琵琶湖の2日間 
 9月の琵琶湖は暑かった。関東よりも暑かった。
 9月9日(日)、琵琶湖で、「琵琶湖を戻す会」の主催による「外来魚駆除釣り大会」が開かれ、ぼくはこれに参加してきたのだ。

 ブラックバス問題シンポジウム
       
 その1週間前の9月1日(土)、立教大学で、ブラックバス問題シンポジウムが開催された。これは、立教大学の濁川孝志教授が中心となった「立教大学ウエルネス研究所」の主催で、共催は全国内水面漁業協同組合連合会、全国ブラックバス防除市民ネットワーク、生物多様性研究会である。
 立教大学でのシンポジウムは毎年開かれていて、去年もぼくは参加している。いや、去年参加したのは「釣り人のための哲学塾」で、もちろんブラックバス問題も語られたが、ぼくがファンである哲学者の内山節さんの講演を聞きに行ったと言うほうがあたっている。
 今回のシンポジウムのメイン・イベントは、嘉田由紀子滋賀県知事と、ジャーナリストの櫻井よしこ氏の対談である。嘉田さんは、環境社会学専攻で、琵琶湖博物館の企画と開館準備の中心的な存在として活躍してきた。ぼくの新潟の知人で新潟水俣病の患者の支援をしている旗野秀人さんから、「そのうちに紹介するよ」と言われていたのだが、紹介してもらわないうちに滋賀県知事に立候補し、当選してしまった。いや、ぼくは嘉田さんの政治姿勢を支持しているので、「めでたく当選」と言わなければいけないのだが。
 一方の櫻井よしこ氏は、他のジャンルではぼくと異なる意見を激しく発表しているのだが、ブラックバス問題については、明確な「駆除派」の主張を展開している強力な助っ人である。
 さらに、開会あいさつに立った全国内水面漁連会長は、自民党の元参議院議員、桜井新氏。桜井氏は「琵琶湖の稚アユを魚野川にたくさん放流したい」と嘉田さん向けに話したが、次に登場した池谷奉文氏(日本生態系協会代表)は講演の中で、地域を越えた稚アユの放流も生態系の破壊だと指摘、桜井氏はどう受け取っただろうか。
 琵琶湖の漁師・戸田直弘さんは、「年間400トンから500トンのブラックバス、ブルーギルを駆除し続ける中で、スジエビがもどり、モロコも場所によっては釣れるようになった」と、現状を報告。知事を前にしての話で、ずいぶん緊張した様子だった。
 嘉田さんと櫻井氏の対談は、会場をたびたび沸かせる、とてもいい内容だったと思う。櫻井氏は、「江戸時代の日本は環境大国で、リサイクル文化があった」、「外来魚駆除の費用を釣り業界から出させるべきではないか」などと発言。嘉田さんは、琵琶湖の現状を話しながら、「ブラックバス、ブルーギルはかわいそう。本来、アメリカにいれば問題ないのに、日本に連れてこられたばっかりに悪者扱いされている。悪いのは人間。」「今は高価なホンモロコの串焼きを、安い値段でふつうに食べたい。」「琵琶湖の水位操作を改善して、自然に近い状態に戻し、在来魚の産卵・孵化を守りたい。」など、ユーモアあふれる語り口で参加者に力を与えてくれた。
 最後に登場した有路昌彦氏は、研究者の立場から、琵琶湖を例にして、持続可能な社会の構築に向けたとりくみを紹介、まったく充実した3時間となった。

 このシンポジウムのことは、福島県のIさんからのメールと、生物多様性研究会のAさんからのファックスで知った。連絡手段の多様化は、運動にとって実にありがたい進歩だと思う。そして、現場に足を運ぶことによって、運動はさらに広がって行く。そんなことを考えながら、ぼくは9月8日(土)、東海道を西へ向かったのである。

 遊覧船で生ビール
  
 ぼくが東海道を西に向かった切符は、JRの「青春18きっぷ」である。期限が9月10日までで、普通列車が5日間全国乗り放題の切符を2日分残しておいたのだ。とは言っても、帰り道は新幹線の片道切符を買っているのだが。
 夜明け前に自宅を出て、八王子から横浜線で橋本、相模線で茅ヶ崎へ。そして東海道本線の下り電車を乗り継ぎ、ときどき休憩も挟んで、予約していた滋賀県守山市のビジネスホテルについたのが午後2時半過ぎ。ホテルに釣り道具の入った大きな手提げ袋を預けて、再び電車に乗る。この日は大津の街を散歩してビールでも飲もうと考えていたのである。
 琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡った石山で下車、すぐとなりの京阪電鉄の駅から浜大津まで、小さな2両編成の石山坂本線のワンマンカーに乗った。浜大津駅のペデストリアン・デッキからは浜大津港と琵琶湖がすぐ近くだ。大きな遊覧船も停まっている。
 その浜大津港の遊覧船乗り場に行くと、観光バスでやって来た人たちを含むたくさんの観光客が乗船するところだった。遊覧船は1時間で大津周辺を回遊して戻るとのことなので、あわてて窓口に走り、2000円を出して切符を買う。だいぶ混んでいるようだったが、2階のデッキのテーブルと椅子には十分余裕があった。
 この遊覧船、「ミシガン」という、船体後部に水車のような外輪をつけた「アメリカ風」の船で、アメリカからやってきたブラックバスやブルーギルを駆除しようとしているぼくは、ちよっと複雑な気もしたのだが、ついこの間、アメリカのミシシッピー川で中国から雑草の除草のために導入されたというハクレン、コクレン、ソウギョ、アオウオが大繁殖していて、向こうでは五大湖への侵入を阻止するために必死になっているというニュース番組を見ていたので、この船も許す気持ちになった。
 まもなく出航、ひとしきり写真を撮ってから、生ビール600円を買って、椅子に座って湖の景色を見ながら、ゆっくりと飲む。暑い日だったが、湖上の風は涼しく、ビールがとてもおいしかった。思いがけないひとときに、酔いもあわせてたっぷり満足、帰りに商店街の川魚屋でウグイの熟れ鮨を買って、さらに満足して宿に向かったのである。


 路面区間もある京阪石山坂本線。
    2007.9.8  京阪石山

 浜大津のペデストリアンデッキから遊覧船が見えた。

       こんな「外輪船」です。

 それにしてもプリンスホテルって、まったく自分本位な建て方なんですね。

 「ミシガン」の1時間が終わりました。

 大津名物、京阪京津(けいしん)線の路面区間を走る、京都地下鉄直通電車。

 釣っても釣ってもブルーギル
 まったくよく釣れた。ブルーギルだけがよく釣れた。琵琶湖の南湖(琵琶湖大橋から南の部分)はブルーギルに完全に支配されているようだ。
 9月9日(日)、草津駅前を琵琶湖博物館そばの「烏丸(からすま)半島」行きバスに乗ったぼくは、終点で降りて、博物館の駐車場を突っ切り、博物館横の広場の先の、小さな石積みの鼻に釣り座を定めた。時刻は午前8時40分である。
 きょうの「外来魚駆除釣り大会」は午前10時から。そこで、その前に少しでも自主的に駆除をしておこうという健気なぼく、いや、残暑厳しい予報が出ているので、少しでも涼しいうちに始めてしまいたいという軟弱なぼくだったのである。
 それにしても驚いた。釣りを始める前から驚いたのは、モーターボートの騒音である。水上スキーを引くモーターボート、いや、モーターではなくエンジンで走るので今は「プレジャーボート」と呼ばれるのだが、そのボートが湖岸近くで疾走、旋回を繰り返している。しかもうるさいのはエンジンの音だけではなく、音楽をガンガンにかけながら走るので、そっちのほうが頭にきてしまうのだ。そして駐車場横の岸壁には、ルアーフィッシャーが数人。まったく、ぼくは場違いの人間のような気持ちすら抱いてしまった。
   
 バス釣りと水上スキー。このボートが音楽をガンガン鳴らしていた。バス釣りは持ち帰り用バケツなど用意していないので、釣れてもリリースするのだろう。条例違反だが、罰則はないのだ。でも、こんなうるさい場所で釣れるのだろうか。

 他人から隠れるような釣り座を選んだのは、ぼくが場違いの人間であるような気持ちを持ったからではなく、波の来ない浅い岸辺を選んだからである。深さは1mもなく、比較的きれいで砂地の底まで見え、藻が生えている雰囲気のよい場所を見つけたからである。
 8月に三浦三崎でアジ、サバ、イワシを釣った4.5mの竿と仕掛けに、ミミズを半分にちぎってつける。狙いはブルーギルなので、ウキ下は底よりもだいぶ浅い60cmにした。そして、第一投。いつもは、うれしい瞬間である。この日も、雰囲気のいい釣り場を見つけて糸を垂れたのだから、うれしいはずなのだが、どちらかというと「戦闘開始」の緊迫した気分が勝っていた。
 第一投から、ウキにアタリがきた。アワセると、手ごたえ。竿をしならせて上がってきたのは、もちろんフナではなく、10cmほどのブルーギルだった。ゴム手袋をはめた左手でつかみ、親指で、人間で言えば首の骨を、つぶす。そして、わずかに水を入れたビニールバケツに投げる。
 第二投も、ブルーギル。ハリが秋田狐3.5号なので、喉の奥まで飲まれてしまう。ブルーギルはフナとちがって、すぐにハリを飲むのである。口の横を裂いてハリを探し、強引にはずす。
 次の魚は少し大きく、0.4号のハリスを切られてしまった。そこで、ハリをイワナ7号、ハリス0.6号に換える。ぼくのフナ釣りでは絶対に使わない大きさなのだが、ブルーギルならこのほうがいい。ハリを換えてからは飲まれることがなくなり、効率が上がった。
 それにしても、ブルーギルだらけである。食いが落ちたときには数m場所を移動させると、また入れ食いになる。ため息をつきながら、またミミズをつける。
 結局、1時間あまりで30尾以上のブルーギルを釣った。ブルーギルしか釣れなかった。フナであれば甘辛煮にちょうどいいサイズなのだが、これは「釣果」ではなく「戦果」である。

 湖岸の藻場。ほんとうに雰囲気はいいのだが。

 これが殲滅対象のブルーギル。このあと、親指に力を込めるのだ。

 これが「戦果」。バケツの左の物体は、バス釣りが放置したと思われるゴム製の疑似餌。回収しました。

 多目的広場では、この日、「スポーツカイト」の大会が開かれていました。後ろの木立の奥に琵琶湖博物館があります。

 「外来魚駆除釣り大会」
 さて、この日の「外来魚駆除釣り大会」の場所を、ぼくはこの多目的広場だと思っていたのだが、集まってテントを設営した人たちは、何と、凧揚げを始めたのである。場所が違うのか、それともまさか日程を間違えたとか……。駐車場の整理員に「外来魚駆除釣り大会」のことを尋ねたら、知らないと言う。そこで博物館の案内係に聞いたが、「そこの広場ではありませんか?」との答え。ぼくが困った顔をしたら、「博物館の情報利用室で聞いてみたら」と言ってくれたので、その部屋に行って、学芸員にインターネットで主催団体の「琵琶湖を戻す会」のサイトを開いてもらったら、「9月9日(日)、きょうですね」。ああ、よかった。
 この日の場所は、博物館から少し離れた「志那中(しななか)湖岸緑地」という所だった。地図を見せてくれて「2kmはありません」とのことなので、喜んで礼を言って博物館を出た。
 2kmはないと言っても、釣具や着替え一式を入れた手提げ袋と「戦果」を入れたバケツを持ち、暑い日差しの中を歩くのはきつい。いつものザックを草津駅のコインロッカーに入れてきて、よかった。
 それでも、25分ほどで会場に到着、本部テントで受付をする。「メールでお便りをいただいています」と話したら、「ああ、『くまのたいら』の方……」と先方も知っていて、「琵琶湖を戻す会」のT会長とごあいさつ、名刺交換をすることができた。(私はBCCメールで「くまのたいらニュース」を月2,3回送信しています。ご希望の方はメールをください。)
 さて、ともかく釣りである。10時からの大会に11時近くなって着いたので、すでに数十人の参加者は思い思いに釣り糸を垂れている。緑地の湖岸は石積みだが、波が直接当たるので、ぼくの仕掛け(小型玉ウキ2個の「簡易シモリ仕掛け」という)ではアタリがとりにくい。そこで、歩いてくるときに見つけた、内湖への水路で釣ることにした。水路の幅は7,8mで、水深は、底が見えないが1mもないだろう。波は水路の入口を覆う藻でさえぎられているので、ぼくの仕掛けには最適である。
 この場所でも、釣れた。ブルーギルばかり、釣れた。しばらく釣ると型が小さくなったのか、アワセてもハリになかなか掛からなくなったので、イワナ7号からまた秋田狐3.5号に換える。(5号くらいを持ってくればよかったかも。)今度は、最初のウキの動きでアワセないと飲まれてしまう。早いアワセで、かわいい小ブナのサイズの、しかしブルーギルが次々に釣れた。
 小学生の男の子が4人、ぼくが釣っている水路を見つけてやってきた。「駆除」に父親と参加したらしい子どもたちである。ルアー竿にウキとミミズエサをつけた子もいる。「おるかな?」「あっ、見える見える」などと、賑やかに竿を出した。「どうですか?」とぼくに尋ねるので、「ブルーギルばかり、いっぱいいるよ」と答えると、気合が入った様子。そのうちに子どもたちにもブルーギルが掛かり、歓声が上がった。

 志那中湖岸緑地の大会本部。

 みんな、がんばっています。

 がんばる子どもたち。しかし、ぼくの胸は痛んだ。

 これがここでのぼくの釣果。
 ぼくは、歓声の横で相変わらずブルーギルを釣り上げては殲滅していたのだが、しだいに寂しい気持ちになってしまった。この子どもたちは、フナ釣り、ジャコ釣りの楽しさを味わったことがあるのだろうか。ぼくが昔の思い出として胸に抱いているフナ釣り。この子どもたちが思い出として抱くのがブルーギル駆除だとしたら、ああ、何てかわいそうな子どもたちなのだろう。ぼくは、たびたび上がる歓声を聞くたびに、胸が締めつけられるような気がした。
 ぼくが初めて琵琶湖で釣り糸を垂れたのは30年近く前。そのとき、ぼくは瀬田川でタナゴを釣り、北湖の漁港の突堤でフナやオイカワをたくさん釣った。ブラックバスもブルーギルも、1尾も釣れなかったのだ。それが今は、こんなひどいことになっている。ぼくは涙が出そうになった。
 子どもたちに「がんばってね」と声をかけて、ぼくはブルーギルのたくさん入ったバケツを提げて、本部テントにもどり、大きなポリバケツにブルーギルを入れた。大きなポリバケツの中には、たくさんのブルーギルと数尾のブラックバスが入っていた。
 「釣っても釣ってもブルーギル。」
 琵琶湖を戻す会のT代表が、苦笑いをした。この日駆除されたブルーギル、ブラックバスは31.8s。2007年春の琵琶湖全体の外来魚推定生息量は1,600トンだから、微々たるものだ。しかし、この会の持続的な取り組みはマスコミにも報道され、外来魚駆除に取り組む人たちの大きな力になっている。
 滋賀県では漁協を中心に、2006年度は489トンを駆除しており、漁協の大掛かりな駆除と、この日のような市民レベルでの裾野を広げる取り組みが、琵琶湖の生態系をとりもどすための車の両輪だと言える。そしてぼくも、その一端を、この日、担ったのだ。
 琵琶湖の湖岸には、外来魚リリース禁止条例にともなって、所々に釣り上げた外来魚を入れるボックスやいけすが設置されている。この日の釣りで、釣り場や魚の処理のシステムがわかったので、今度来るときからは必ず釣り道具を持参して、少しでも多くの外来魚を駆除しようと、ぼくは決意したのである。
 
 琵琶湖の、内湖(琵琶湖と水路でつながっている小さな湖)への水路。ぼくにはとても釣りやすい場所だった。ここでフナやタナゴが釣れる日を、ぼくは目ざします。

 ナマズのTシャツ
 大会本部を後にしたぼくは、再び暑い湖岸道路を歩いて、琵琶湖博物館へ戻った。チケットを買う前に最初に行った場所は、トイレ。ここで、汗びっしょりになった衣服を、ズボンも含めて全部取り替える。それからチケットを買い、ロッカーに釣り具や着替えた服の入った大きな手提げ袋を入れて、身軽になって展示を見て回った。
 見て回ったと言っても、実は、何度も来ているリピーターなので、常設展示はスタスタ歩くだけ。魚の水槽は少しゆっくり見て、特別展示「琵琶湖のコイ・フナの物語」に入る。だが、実物の琵琶湖と実物のブルーギル多数を何時間も見たあとなので、ため息が出てしまう。ぼくが次に琵琶湖でフナを釣るのはいつのことだろうか。
 さて、ここ数年、琵琶湖博物館に行くぼくの最大の目的は、実は、ミュージアムショップなのである。「琵琶湖で釣れたのはタナゴだった!」のページでも書いているが、ここで売っているTシャツが、このところのぼくの愛用品なのである。この日も、ナマズのTシャツと、新製品の琵琶湖の形を染め抜いたTシャツを買った。ぼくは、あまり露骨にメッセージやロゴがプリントされたものは好かないのだが、ここのTシャツは、小さめのプリントがさりげなく主張しているのが気に入っている。だから、同じプリントで色違いのTシャツを、ぼくは何枚も持っているのである。
 Tシャツのほかに、フナ鮨も買って、ぼくは満足して博物館を出た。荷物はまた重くなったが、あとは草津から米原へ、そして新幹線でビールを飲むだけだ。
 博物館の前からのバスまでは、まだ15分ほど時間があった。ぼくはバス停のコンクリートの台に腰掛けて、次の琵琶湖訪問のことを考えていた。

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