里の小川で生物調査 |
||||||||
仙台で新幹線から東北本線の下り電車に乗り換えて、鹿島台駅で降りる。駅前のシナイモツゴの看板の前に、迎えの軽トラックが停まっていた。 この日、2007年9月2日(日)は、宮城県で在来の淡水魚の保護活動をすすめている「シナイモツゴ郷(さと)の会」による小川とため池の生物調査に参加させていただいた。いや、参加というよりも「見学」と言ったほうがあたっているのだが。 「シナイモツゴ郷の会」は、2002年に、地元の鹿島台町(現・大崎市)の人たちが中心となって発足した。 会の名称となっているシナイモツゴとは、ぼくがよく釣っているモツゴ(関東では「クチボソ」と呼ばれる)の近縁種で、宮城県の品井沼で発見されたことから命名された小さな魚である。 この「シナイモツゴ」は、1916年に品井沼で採集された標本から、1930年になって、魚類学の先達である京都大学の宮地傳三郎博士によって新種として登録された。ところが、関東地方などから放流されたコイやフナに混じってモツゴが侵入したために生息域が狭まり、宮城県では1935年から約60年に渡って、発見されずに「幻の魚」となっていた。 1993年に宮城県水産試験場の調査によって、県内のため池からシナイモツゴが再発見され、地元ではすぐに保護に乗り出した。 しかし2001年、シナイモツゴが生息するため池の一つでブラックバスが密放流されたことが確認され、危機感を持った地元の人たちが会を発足させたのだ。同じころ、近くの伊豆沼(渡り鳥を保護するための「ラムサール条約」に登録されている)でもブラックバスが繁殖して在来魚が激減する事態となり、中でもそれまでたくさん獲れていたゼニタナゴがほとんどいなくなってしまった。 このような事態に、ブラックバス駆除と在来魚の復活をめざす人たちや団体が力をあわせて、伊豆沼や県内各地のため池での外来魚の駆除と、シナイモツゴ、ゼニタナゴ(両者とも環境省によって「絶滅危惧T類に指定されている)の保護活動にとりくんでいる。今回の生物調査もその一環というわけである。 軽トラックで集合地点に行き、集まってきた地元の人たちとあいさつする。活動の中心となっているのは、宮城県内水面水産試験場の研究員をしている高橋清孝さんだ。ぼくより少し年上の世代。昨年(2006年)11月に大崎市で開かれたシンポジウムでお会いして以来、会の通信を送っていただいている。ぼくが実際の会の活動に参加するのは今回が初めてなので、「参加」と言っても、ほとんど戦力にはならない「見学者」に近いのだが。 最初の調査地は、集合場所に近い小川。橋の上からは魚の群れが見える。ぼくが竿を出したいくらいの小さな川だ。何人もの参加者が、サデ網やタモ網を持って川に降りて行く。ぼくは胴長を貸してもらい、カメラだけをぶら下げて後を追った。
それにしても、小さい川にたくさんのオイカワ(ぼくはヤマベと呼んでいる)やウグイがいるのには感動した。しかしぼくの感動は、クーラーボックスがあれば持って帰って天ぷらにしたいという類の感動だったのだが。 次の調査地点では、フナがたくさん網に入った。一番大きなものは見事な金色で、ぼくは、 「うわあ、きれいなキンブナですね!」 と叫んだのだが、若手の研究者が背びれのスジ(軟条)を数えて、 「ギンブナですね、金色だけど」。 ぼくは、金色で体高が低ければキンブナだと喜んでしまうのだが、学問とは冷徹なのである。 これが「金色のギンブナ」。でも、心情的にはキンブナでいいですよね。 この日は小川で6尾のバスが捕獲された。胃の中を検分、右下の個体から溶けかかった小魚が。 午前中で大がかりな調査は終了。ぼくは、高橋さんたち会のメンバーといっしょに昼食をとり、午後はため池の調査へ。バスを密放流された池とそうでない池の魚類相のあまりの違いにびっくりしてしまった。 ため池にバスを放流するのはとても簡単だ。そして駆除するためには、大変な労力を必要とする。長い時間をかけた自然の営み、そして人々の努力をあざ笑うかのようなバスの密放流は、いまだに後を絶たない。それでも、駆除の取り組みは続き、広がっているのである。
ぼくは、自分の学校にビオトープを作ってはいるが、このような地域での活動を持っていない。でも、各地での活動を訪ね歩いて、他の地域の人たちに紹介することはできる。ぼくの役割は、活動と活動をつなぐ「連結器」なのではないかと考えている。 それにしても、宮城県にはたくさんの魚たちと、魚たちを守るたくさんの人たちがいる。今度は車にクーラーボックスを積んで、自分で釣った魚を持ち帰って食べたいものだと不純な欲望にかられている、今のぼくなのである。 「田んぼの水路でフナを釣る」のトップにもどる 「水辺の環境民俗学」のトップにもどる ホームページのトップにもどる |