二つのシンポジウム

    
  宮城県大崎市で開かれたシンポジウム。大崎市長(赤い花の人)も挨拶した。
 二週続けて、淡水魚をめぐるシンポジウムに参加した。

 2006年11月25、26日は、宮城県大崎市(古川)で開かれた、「ブラックバス駆除と水田魚道による自然再生」に出かけた。地元宮城県の研究者や地元住民による活動団体「シナイモツゴ郷の会」などの主催で、150人ほどの参加があった。
 宮城県にある、渡り鳥保護のためのラムサール条約にも登録されている伊豆沼で、10年ほど前からブラックバスが繁殖し、在来の魚やエビが激減してしまった。中でも、環境省によって「絶滅危惧TB類」(近い将来絶滅の危険性が高い)に指定されているゼニタナゴは、かつては伊豆沼でたくさん獲れて、佃煮として利用されていたのだが、バスの繁殖によってほとんど姿を消してしまっている。また、ため池に密放流されたバスによって、宮城県品井沼の地名がついたシナイモツゴ(絶滅危惧TB類)が危機に瀕している。さらに、小魚やエビをエサにしている渡り鳥も減ってしまった。
  
 伊豆沼では、ブラックバスの人工産卵床による卵と親魚の駆除で効果を上げている。
 これに対して、地元の人たちはブラックバス駆除の有効な手段を開発して、ボランティアで活動を続け、「伊豆沼モデル」として全国に発信している。また、農業用ため池では、池の水を抜いてバスを駆除する「池干し」を行い、バスを駆除したあとにシナイモツゴやゼニタナゴなどを放流している。
 伊豆沼の状況はマスコミでも取り上げられていたが、ぼくのホームページとリンクしている福島県のIさんのページを通じて伊豆沼でのバス駆除の写真や報告文を見て、何らかの形で自分もかかわりたいと考えていた。
 そこへIさんから、シンポジウムのお誘いをいただき、すぐに参加の申し込みをした。おまけに、ぼくが2001年に出版した「春の小川でフナを釣る」(まつやま書房)を会場で販売していただくというあつかましいお願いまで主催者にしてしまったのである。でも、この本はシンポジウムの内容に、本当にぴったり合致していたのだから……。(10冊持参して6冊も売れたので、残りの4冊は主催団体に寄付しました。どうもお世話になりました。)
 
 このシンポジウムの主催は、地元の団体「シナイモツゴ郷の会」「ナマズのがっこう」と、社団法人農村環境整備センター、そして「全国ブラックバス防除市民ネットワーク」。講演者は、東京海洋大学の岡本信明副学長(遺伝子から見た生物多様性保全の必要性)、近畿大学農学部の細谷和海教授(ため池と水田が生物多様性保全に果たす役割)、宇都宮大学農学部の水谷正一教授(生物多様性保全のための水田の環境基盤づくりと水管理)、農村環境整備センターの長山政道主任研究員(自然再生と農村景観について)という顔ぶれ。
 現場からの取り組み報告は、ブラックバスの影響を報告する研究者、バス駆除や在来魚の保護活動の実際を報告する市民団体、水田魚道の効果を報告する水産試験場、土地改良区、地元団体の人たち、そして「田んぼの学校」での環境教育の報告など、多彩にわたった。
 さらにびっくりしたのは、岡山県から、アユモドキの保護活動の報告があったり、このあいだぼくが行ったばかりの兵庫県豊岡から、「コウノトリと共生する地域づくり」の報告があるなど、参加者が全国に及んでいたことだ。そして、どの報告も、ぼくのフィールドや問題意識にぴったり合っていて、この2日間、ぼくはまったく眠気を感じなかった。
 1日目のシンポジウム終了後、市内のイベントホールで懇親会が行われた。知り合いを増やしたいぼくは、ここにもあつかましく参加したのだが、初対面の福島のIさん、そしてやはり初対面の秋田県仙北市のMさんが、ぼくをいろいろな人に引き合わせてくれた。この場に集う人たちは同じ目標に向かって活動する「同志」なのだ、と心強く思った。

 さて、2日目の朝である。古川のビジネスホテルを夜明け前に抜け出したぼくは、大崎平野の水田と水路のフィールドワークに出かけた。冷え込みがきつい朝、ゴアのカッパの上下を着込んで古川駅まで歩き、陸羽東線の下りの始発列車に乗る。西大崎で降り、霜に被われた田んぼを見ながら、隣の東大崎駅まで歩く。そう、本当の目的は鉄道写真の撮影、である。朝日に照らされた冬の田園と列車の写真を撮りに出かけたのだ。でも、タナゴがいそうな水路もしっかり発見したので、春になったら釣り竿と網を持って来よう!
 
                    霜に被われた田んぼに朝日が当たり始める。 


    線路を潜るのは土の水路。春が楽しみ。
 シンポジウム2日目は、午後4時に終了する予定が、熱が入って4時40分まで延びた。ぼくは古川17時05分の「やまびこ」の切符なので、会場から駅までは早めのウォーキング。でも、ちゃんと間に合って乗ることができた。
 それにしても、なんと充実した2日間だったことか。

 翌週の土曜日、12月2日は、池袋の立教大学で、「釣り人のための哲学塾」が開かれた。この「哲学塾」のことも、宮城のシンポジウムのときに福島のIさんに教えていただいた。この日は日帰りの予定が入っていたのだが、相棒に日程を変更してもらって参加した。なにしろ、この「哲学塾」には内山節さんが講演するというのだから。
 ぼくは、哲学者である内山節(たかし)さんのファンである。内山節さんは渓流釣りを趣味としていて、しかし釣りにとどまらずに、訪れる山里の自然や人々の暮らしを哲学のフィールドにしているユニークな人だ。ぼくは内山節さんが1980年に出版した「山里の釣りから」を読んで以来のファンなのである。「山里紀行」(1990)、「森にかよう道」(1994)などがぼくの愛読書だ。5年ほど前に、新潟県安田町(現・阿賀野市)であった「阿賀に生きる」という、新潟水俣病患者の暮らしを描いた映画の関係者の集いに参加したときは、主催者(ぼくの知り合い)が、ぼくが「内山ファン」であることを知って咲花温泉の旅館で同室にしてくれたので大感激したくらいのファンなのである。

 立教大学構内はとてもいい雰囲気。学食でカツカレー360円を食べた。
 さて、立教大学コミュニティ福祉学部の濁川孝志研究室では、ブラックバス問題についてのシンポジウムをこれまで何度も開催している。ぼくも一度参加したことがあるのだが、「釣り人のための哲学塾」は、そうした活動の一環として、「釣り人と自然環境保全」のテーマで意見交換をするという初めての試みの、第1回目の会だった。

 初めに、内山節さん(今は立教大学大学院教授)が短めの講演。次に、ブラックバス駆除の活動をしている生物多様性研究会の秋月岩魚さん(写真家)が問題提起、そのあと、60人ほどの参加者が意見を出し合い、内山節さん、秋月さんもこれに加わった。
 内山節さんの話で印象に残ったのは、「自由と自在は違う」ということ。「自由」とは明治時代に西洋から入った思想で、キリスト教の、「神に対する権利と義務」がもとにあり、自由とは権利を意味すると言う。これに対して「自在」は日本の思想で、しっかりとした知識を持ち、地域の自然や人々との関係をふまえてことを行うことを意味する。「自在」には絶えず自分の器量、資格への問いかけがある。また、日本人の道徳観は、その場所で永遠に暮らしていくことを前提にしている。つまり、「持続的な社会」のための意識だと言うのだ。
 この内山節さんの言葉は、ぼくの体の中にストンと落ちた。ぼくが最近思っていること、うまくまとめられないことを、具体的な言葉で明快に表現してくれたのだ。ああ、来てよかった、とぼくは思った。
   
                  内山節さん(左)と秋月岩魚さん(右)。
 討論が、ブラックバス釣りによって育った若者、子どもたちの話になったので、ぼくも手を上げて討論に参加した。ブラックバスを子どもたちが知る前に、子どもたちにフナなどの在来の淡水魚を教える必要があること、各地の学校で「ビオトープ」が作られていて、そこでは在来の生き物の保全が基本的なスタンスになっていることなどを発言した。

 ぼくが2001年に出版した「春の小川でフナを釣る」のサブタイトルは、「田んぼと用水路と魚たちの今」。その続編を今、この「田んぼの水路でフナを釣る」のページに書いているわけだが、早くこれをまとめて本にしたいものだと、二つのシンポジウムに参加したぼくは固く決意してしまったのである。。

 
   立教大学学食前のイチョウの木。

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