琵琶湖で釣れたのはタナゴだった! |
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近江八幡市岡山の砂浜。夏は水泳場になるのだろう。 日本一の湖・琵琶湖は今、ブラックバスとブルーギルの駆除に懸命である。バス駆除派の一員であるぼくは、琵琶湖に行ったら駆除に力を貸さなければならない。 しかし、なかなか琵琶湖に行く機会はない。ぼくは秋田内陸縦貫鉄道という秋田県の第三セクター鉄道のサポーターとして運動をしているので、どうしても行き先が北に偏ってしまうのである。 しかしこの秋、ぼくは久しぶりで、西への旅に出た。11月4日に兵庫県加西市で開かれた「全国鉄道まちづくり会議」に参加する旅なのだが、11月2日(木)がぼくの勤務する小学校の開校記念日なので、この日に休暇をとれば(開校記念日は子どもは休みでも職員は勤務日なので、多くの職員は休暇をとって休むのです)、3日(金)の文化の日と4日(土)、5日(日)を合わせて4連休。さらに、1日(水)は午後の授業がなかったので、午後から休暇をとって、ジムニー「はつかり号」で4泊5日の旅に出たのである。 1日(水)は午後2時前に出発、八王子インターから中央自動車道を西へ走る。1時間ごとに少しの休憩をしながら、午後7時前に大垣インターで降り、ビジネスホテルに泊まる。そして2日(木)が琵琶湖の日、である。 泊まったホテルが無料のバイキングの朝食付きだったので、7時ちょうどに食堂へ。腹ごしらえをして7時20分に「はつかり号」のエンジンをかけた。東海道本線に沿った国道21号で関が原を越え、米原へ。ここまでは快調だったが、北陸からの国道8号と合流してからは、となりの彦根市街まで、渋滞気味。この日は平日なのだ。このままでは琵琶湖博物館到着が遅くなってしまうので、琵琶湖の湖岸に出て、湖岸道路をたどることにした。これは正解。右に湖を見ながら、気分は爽快。 まっすぐ博物館に行こうと思っていたのだが、岸辺の景色を見ているうちに、とりあえず試し釣りをしたくなってきた。そこで、近江八幡市の湖畔、岡山園地の駐車場に車を停めて、長靴を履き、釣具の入った手提げ袋を持って、林の間の小道を岸辺に向かった。 ここの岸は砂浜だった。静かな入り江の海水浴場のような、すてきな砂浜である。水に指を浸してなめてみたが、もちろんしょっぱくはない、琵琶湖の岸辺である。ただ、砂浜は遠浅なので、ぼくのいつものフナ釣りの仕掛けでは魚まで届かないだろう。水辺から水中をのぞいても、魚影は見えない。そこで右手の、小さな岩場まで歩いてみた。岩場といっても、石切り場から角ばった石を運んで積んだような小さな鼻である。石積みの先の砂地は少し深さがありそうなので、3.6mの竿を出していつもの仕掛けをつけ、2号の小さなハリに、ミミズをちぎって刺して第一投。 と、二つの玉ウキが、なじむと同時にスッと引き込まれた。あれっと思いながらアワセたが、空振り。エサはついている。小さなブルーギルだろうか。そこでもう一度。今度は、少したってから、ゆっくりウキが持っていかれた。でも、空振り。そして三度目、少し待ってから軽くアワセると、今度は魚がハリにかかっている。水面から小さな魚の体が見えたとき、「ああ、やっぱりブルーギルの子どもか」と思ったのだが、手の平に載せてびっくり。これが何と、国産のタナゴだったのである。 ぼくはびっくり仰天した。そして感激した。実はぼくは、もうぼくは琵琶湖でタナゴを釣ることはないだろうとあきらめていたのだ。 今を去ること26年前、1980年の夏に、ぼくは琵琶湖で魚釣りをした。練り餌をエサに、湖北の港の岸壁でフナやオイカワ(関東では「ヤマベ」)を釣り、湖東の水路でフナや大きなタナゴを釣り、そして瀬田の唐橋近くの瀬田川の岸で、たくさんのタナゴを釣ったのだ。 そのときまだ20代だったぼくは、職場のすぐ近くの小さな川で子どもたちといっしょに魚釣りをしていた。そして、まだ知らない魚の名前を覚えようと、図鑑やハンドブックを買って眺めているうちに、淡水魚のことをもっと知りたくなってしまった。そして、琵琶湖が淡水魚の宝庫であり、西日本には関東で見られない幾種もの魚たちがいることを知ったのだ。そこでぼくは、そのときの愛車、ホンダCB125に釣り道具を積んで、西への旅に出たのである。そして、中国地方へ入る前の一日を、琵琶湖を回って過ごしたのだ。 あのときの琵琶湖、そして西日本の川や池、湖の旅は、本当に楽しかった。カワムツやウグイを里川で釣り、池や水路ではフナを、ダム湖ではオイカワやスゴモロコも釣った。どこにでも、日本の淡水魚が泳いでいた。 それからまもなく、よくヤマベを釣りに行った相模湖にブラックバスが増え、ヤマベが釣れなくなった。学校の子どもたちがルアーを筆箱に入れてくるようになった。やるせない思いを抱きながらも、ぼくはフナ釣りの世界から離れて、海辺へ、そして渓流へと逃げていった。 10年ほど前から、ぼくはフナ釣りに復帰した。車で走る素敵な田んぼの景色を見ているうちに、小学生のころから父に連れられてフナ釣りに出かけていた楽しい思い出がよみがえってきたのである。 だが、いざ、フナ釣り、となると、釣り場を探すのが大変だった。大きな川は苦手なぼくは、田んぼの用水路を探したのだが、季節によって水量がまったく違うし、流れが速すぎたり、コンクリートばかりだったりして、どこで釣ったらいいのか、さっぱりわからなかった。 それでも、試行錯誤を繰り返すうちに、しだいに釣れる場所の条件が見えてきたが、それとともに、フナや淡水魚を取り巻く環境がとても厳しくなっていることに衝撃を受けた。 ぼくは、フナと彼らを取り巻く環境について、フィールドワークのまとめを「春の小川でフナを釣る」(まつやま書房・2001)として出版した。そしてその後も、少しずつフィールドを拡大している。だが、ぼくの琵琶湖の釣りは、まだ復活していなかった。そして今回、兵庫への旅に、すでに何度も通っている琵琶湖博物館を加えたとき、ぼくはフナ釣りの道具を車に積んだのだ。 ぼくの手の平の上で、タナゴは小さな体を震わせている。急いで写真を撮り、そっとリリースしたぼくは、満面の笑顔になっていた。 これはオス。何というタナゴなのか、どなたか教えてください。
琵琶湖博物館の学芸員でブラックバス問題に精力的に取り組んでいるのが中井克樹さん。面識はないが(その後、面識ができました)、以前、ぼくの「春の小川でフナを釣る」を謹呈して、ていねいなお返事をいただいた。バス駆除についての集会で壇上にいる姿は拝見しているが、いつかお会いしたいと思っている。 琵琶湖博物館は、琵琶湖と滋賀県の自然史、湖と暮らしのかかわり、環境と動植物などを総合した大きな博物館である。初めて行ったのは、友人と化石掘りに行ったときで、展示に圧倒され、感激したが、時間がなくてゆっくり見ることができなかった。その後、青春18切符で関西に行くときに寄り道したり、琵琶湖博物館に行くためにだけ普通列車で往復したりするリピーターになっている。車で行ったのは、今回でたしか3回目。 ちょうど琵琶湖の風景と自然の写真展をしていたので、それも合わせて鑑賞。それにしても、平日だから空いていてゆっくり回れるだろうと思ったら、遠足の小中学生で賑やか。「ほら、静かにせんと……」と気を遣う先生に、きょうは逆の立場のぼくは、ちょっと同情。 博物館の売店(最近は「ミュージアム・ショップというらしい)では、いつものようにグッズを買いこむ。実は、ここ何回かの訪問の主目的は、これ。売店でセンスのよいトレーナーやTシャツなどを売っているので、ぼくは普段着に活用している。最近はナマズのキャラクターが多く、今回はナマズのワンポイントのTシャツの色違い4枚と、キーホルダーを買った。(ちなみに、ぼくの普段着のTシャツやトレーナーのほとんどは、琵琶湖博物館と長良川河口堰に反対する会、日本野鳥の会、そして神宮球場で購入している。) 12時近くになったので、館内のレストランで「なまず天丼」を食べた。なかなかのおいしさ。ここでは「バス天丼」などのバス料理も(駆除の一助という位置づけで)出しているのだが、きらいなものを自分の体に入れたくないぼくは、パス。東北地方でバス駆除に取り組んでいる方から、「おおほさん、バスはおいしいですよ」とメールをもらったけれど、やはりどうも、精神衛生上、よくないような気がするのだ。 琵琶湖博物館を出たぼくは、琵琶湖大橋を渡って湖の西岸を北上した。翌日は兵庫県豊岡市の「コウノトリの里」を見たいので、この日は湖西から若狭、丹後を走る。だが、湖岸を見て走ると、やはり竿を出したくなってきた。そこで、高島市(2004年に湖西の旧高島郡がまとまって一つのしになった)で一休み。午前中と同じような条件の石積みで、釣れたのはやはりタナゴ。もううれしくなったぼくは、この先の長い道のりも忘れて、湖岸のひとときを楽しんでいた。
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