八戸線 ヤマメの上を走る

  
                        2007.8.9  八戸線 陸中中野―侍浜       
 東北のイワナは、海のすぐそばにも棲んでいる。2006年には津軽海峡の目の前で、めでたくイワナを釣ったのだが、今度は太平洋の目の前で釣ってみたい。それも、できれば線路のそばで。
 そんなことを考えたが、どうも「線路のそば」と「太平洋の目の前」は両立しそうもない。そこで、太平洋に流れ下る川の、しかもイワナのそばを列車が走る所を探すことにした。その第一は、八戸線である。
 八戸線は、東北新幹線の今の終点・八戸から、三陸海岸に沿って南の久慈まで、約65kmを走る。久慈からはさらに南へ三陸鉄道が伸び、三陸を縦貫して仙台まで列車で行くことができる。その「三陸縦貫鉄道」の一番北のランナーが、八戸線である。
 海岸沿いを走る区間が多い八戸線だが、1ヶ所だけ、川に沿って谷を上る区間がある。終点の久慈に近い、陸中中野―侍浜間である。ここは侍浜駅を頂点にした急勾配区間で、勾配には弱いキハ40系ディーゼルカーが、ゆっくりとエンジン音を響かせて走っている。
 ここには何度か撮影に出かけて、この川、高家川の様子も見ているのだが、果たしてイワナがいるのかどうか、心配だった。この川、上流は山ではなく、集落や畑が林を切り開いて連なる「丘」に過ぎないのだ。もしかしたら、アブラハヤかウグイの川かも知れない。
 8月の朝、国道45号を久慈から登り、脇道に入ってしばらく走った侍浜(さむらいはま)の駅で、上り列車を出迎える。峠の駅に「浜」という名がついているのが不思議だが、久慈市侍浜町という、海から山まであるかつての「侍浜村」のエリアに駅がある。2004年まではタブレットを扱う駅員がいたが、いまは無人駅である。
 
          侍浜駅に進入するキハ40系の八戸行き。  2007.8.9
 さて、侍浜から列車は高家川に沿って下って行くのだが、道路は川に沿っていない。それでも、川に出られる場所を見つけて、竿を出してみた。流れは小さく、藪はきつく、暗い。ゴミも捨ててある。少なくとも、東京からはるばる東北にやって来て入るような川ではない。ぼくだって、八戸線の線路がそばにあるから無理して入るのである。
 東北地方でも太平洋側の渓は、アブが少ない。日本海側の渓には、この時期はとても入りたくない。ずっと以前、この時期の山形の渓で、アブにあちこちを噛み付かれながら、やっとの思いでイワナを釣った悲惨な記憶がある。林道を走って行って、車を停めたとたんに、アブの群れが車を取り巻いてしまったこともある。だから、梅雨明けから8月半ば過ぎまでは、区界を拠点にした北上高地の渓に入ることが多い。
 だが、太平洋側でも、アブがいないというわけではない。数が少ないというだけで、やはりアブはいるのである。
 アブにもたくさん種類がいるのだが、花に集まる種類は別にして、人間を目がけて近づいてくるアブは、ぼくの見立てでは3種類。まず、日本海側では大発生すると始末におえないメジロアブ。これは、数が少なければ叩き落せるし、1匹や2匹に噛まれても、さほどダメージは受けないので、御しやすい。また、スズメバチくらいの大きなアブも飛んでくるが、これも体を低くしているとどこかへ行ってしまうので、まだ噛まれたことはない。(大きいのでびっくりするが。)
 怖いのは、名前は知らないのだが、金色の体に緑の眼をした小型のアブだ。これは、1匹でも確実に攻撃してくる。そして、噛まれるとメジロアブよりもずっと痛いのである。何度か噛まれた記憶が、このアブを見たとたんにぼくをパニックに陥れるのである。
 この金色のアブは、ふつう、1匹でやって来る。このアブに対しては、攻撃が最大の防御。顔や首を守りながら、しっかりと相手の動きを見定めて、服の上に止まったとたんに軍手をはめた手で思い切り叩いて殺すのである。決して容赦してはいけない。向こうはいつも本気なのだ。
 その金色のアブが、八戸線の線路の横でぼくに向かってきたのである。ぼくは顔をゆがめ、悲鳴を上げながら、1対1の闘いを受けてたった。そしてアブがぼくの山シャツにとまった瞬間、ぼくは自分の腹を思い切り叩いた。痛かったが、このアブに噛まれるよりずっとマシである。そしてアブは地面に落下し、悶えた。ぼくは靴のフェルト底で、アブに止めを刺したのだった。
 アブはやっつけることができたが、この辺りにはやっつけたくない相手もいるらしい。それは、クマ。道路に看板が出ているので、海に近いこの辺りにまで、ツキノワグマが歩き回るようだ。この相手には、会わないようにするしかない。いや、本当は会いたいのだが、狭い渓のヤブで遭遇すると、向こうはびっくりして、さっきアブに対峙したぼくのように、顔をゆがめ、悲鳴を上げて、ぼくを叩きに来るだろう。それでは困るので、ぼくはいつも首から提げているホイッスルを、近くにいれば聞こえるように「ピッピッピー!」と鳴らした。

 魚は、いた。最初に小さいイワナが釣れたが、次はヤマメ。アタリが、イワナよりも鋭角的なのだ。そして、エサだけとられることも多く、イワナならもう一度エサをつけて入れるとまた食いつくことも多いのだが、ヤマメはまず一度だけ。それでも、意外なところで出会えて、ぼくはうれしくなってしまった。川から上がって撮ろうと思っていた列車も、川の中からヤブ越しに撮ることになってしまった。(このページの最初の写真です。)まったく困った人である。


 もうどこにでもある、この手の看板。ぼくはホイッスルという具体的な手だてで対処しています。「注意」とは、思っているだけではダメなのです。

 小さな、いい雰囲気の沼。でも、大きなコイがいました。

   18cmのヤマメ。おいしそう。

   やっぱりクマが出そうです。

 それにしても、今年の夏は北国でも暑い。もちろん東京の暑さよりはマシなのだが、清涼感を感じないのだ。前線の南側になっているので湿った空気が入っているのだろう。
 川の水も、ちっとも冷たいと感じない。もう少し水温が上がれば、ヤマメやイワナもへばってしまうのではないだろうか。彼らに同情しながらも、しかしアワセの手をゆるめることのない、冷酷な釣り人である。

 旧・国道45号の「第4久慈街道踏切」。踏切の名前は昔と変わらないので、思いがけない歴史遺産に出会ったような気持ちになることも多い。

 勾配をゆっくりと登ってきた、国鉄「タラコ色」の久慈行き列車。
 車で少し下流へ移動すると、踏切には「第4久慈街道踏切」とある。つまりこの道は、三陸を縦貫する国道45号の旧道なのだ。踏切の向こうは砂利道なのに。
 道路はどんどん改良される。それも、税金で。鉄道は、自前で資金を得なければならない。車で走るぼくも、鉄道ファンとしてこの格差に腹を立て続けているのだが、国の道路偏重政策はまだ止まらない。
 「第4久慈街道踏切」が現役の国道踏切だった時代、八戸線には蒸気機関車の引く貨物列車が走り、ディーゼルカーにはもっとたくさんの人が乗っていた。ぼくはため息をつきながら、日陰で警報機が鳴るのを待っていた。

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