津軽海峡イワナ釣り |
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青函連絡船 津軽海峡と言えば、石川さゆりの名曲、「津軽海峡冬景色」である、と言うのはオジサンだからだろうか。 津軽海峡と言えば、青函連絡船である。青森から函館まで、113kmの海路を約4時間で結んでいた、国鉄の連絡船である。JRになった翌年、1988年の青函トンネル開通に伴って廃止された鉄道連絡船である。最近は「津軽海峡と言えば大間のマグロだ」などというケシカラン輩が続出しているのが大変残念だ。大間のクロマグロ漁はぼくもだいぶ前から知っていて、これがメジャーになってきたのはとてもいいことだと思ってはいるのだが、青函連絡船のことが人々の記憶から次第に遠くなっていくのは、とても残念なのである。 などと生意気なことを言っているぼくは、実は、青函連絡船に乗ったことは2回しかない。1972年10月、秋田大学の1年生の秋休みに、北海道に鉄道写真を撮りに出かけた往復に乗っただけなのだ。だから、何十回、何百回も乗っている人たちの前ではえらそうに言えないのである。 だが、青函トンネルはできたものの、津軽海峡の航路は健在である。青函トンネルは自動車の通行ができないため、北海道へ渡る車は、フェリーを利用しているのだ。津軽海峡を通らない長距離フェリーもあるが、青森―函館(青函)間にも実に20往復以上が運航されている。また、下北半島の大間と函館の間にもフェリー航路がある。 ぼくは、バイクでツーリングを楽しんでいた1981年夏に、フェリーで青森と函館の間を往復している。青函連絡船に比べると船も小さく、地味な存在という印象で、フェリーとすれ違う国鉄連絡船の雄姿を、うらやましく眺めていた。 今、津軽海峡を眺めるというのは、ぜいたくな旅である。飛行機全盛の現在、北海道へふつうに出かける人は、津軽海峡を間近に眺めることはできない。ぼくの三度目の北海道はグループでの視察旅行で飛行機だったのだが、高い空から見下ろしても、まるで地図帳を見ているようで、それなりに感慨はあったものの、地面に足が着いていないような気がして(あたりまえか)、物足りなかった。 赤腹のイワナ 前置きが長くなってしまった。そう、ぼくは津軽海峡で(マグロではなく)イワナを釣りたかったのである。いや、正確に言うと、津軽海峡を見ながらイワナを釣りたかったのである。 15年ほど前、下北半島の尻屋にいた大学の先輩を訪ねて、ぼくは下北半島でイワナ釣りを初体験した。そのとき、渓流とは程遠いおだやかな小川のような川でイワナを釣った。民家の裏の、そこだけを見ればイワナ釣りをしようとは考えられない沢で、イワナを釣った。 初めて下北のイワナの姿をみて、ぼくはびっくりして声を上げた。赤いのだ、腹が。 正確には、朱色、茜色と言ったほうがいい。それにしても鮮やかな色だった。会津のイワナの黄色い腹を見慣れていたぼくには、大きな衝撃だった。その、赤い腹のイワナにもう一度会いたくて、ぼくは下北への旅に出たのである。 大人の休日倶楽部 残念なことに、ぼくはすでに齢五十を過ぎてしまった。まったくいやになってしまうのだが、それでも、いいこともある。それは、JR東日本が2005年から募集を始めた「大人の休日・ミドル」の会員資格を入手したことである。 それ以前は、65歳以上を対象にした「ジパング倶楽部」という会員制度で、これにはぼくの父も入っているのだが、ぼくは、「年寄りだけ割り引くなんて……」と、腹立たしい思いで眺めていた。鉄道ファンのぼくにとって、少しでも安いきっぷで数多く出かけたいというのは切実な願いなのである。 ところが、2005年、JR東日本は、新たに団塊の世代を取り込もうと画策し(たと思う)、50歳以上を会員資格とする「大人の休日倶楽部・ミドル」を大々的にキャンペーンし始めた。吉永小百合がキャンギャル(?)を務めている、あれである。通常のきっぷの割引率は5%だけで、しかも、ぼくがいつも使っている「おはよう秋田往復きっぷ」などの、すでに値引きされているきっぷには適用されないのだが、年に何回か、会員向けの期間限定大幅割引フリーきっぷを発売する。これを1回使えば、年会費を払っても十二分に元が取れてしまうのだ。 ぼくは2005年の12月に会員になったのだが、まだ大幅割引きっぷを使う機会がなかった。そこで、2006年7月初旬にこのきっぷ(大人の休日倶楽部パス。3日間フリーで12,000円)が利用できることを知り、現地でレンタカーを借りての津軽海峡イワナ釣りを計画したのである。 じゃらん 日程は7月1日(土)の夕刻発。この日、ぼくの職場は一日学校公開日なのだ。この夜は八戸のビジネスホテルに泊まり、翌朝、野辺地から大湊線で終点の大湊へ。ここで駅レンタカーを借りる。 新幹線の指定券を買い、レンタカーも予約した。宿は、以前、案内してくれた先輩に紹介してもらったビジネス旅館にしようとしたら、満員とのこと。これは困った。そこで、インターネットで宿を探したら、風間浦村の下風呂温泉に、高くない宿が見つかった。このサイトは宿の案内・予約をしてくれる「じゃらん」というサイト。インターネットで宿の予約をするのは初めてだったが、必要事項を打ち込み、予約は成立した。世の中も便利になったものだ。 「大人の休日倶楽部パス」も「じゃらん」も初めて使う。さらに、レンタカーは何度か使っているものの、イワナ釣りにレンタカーを使うのは、初めて。「初めて」の三本立てで、初めての「津軽海峡イワナ釣り」に挑戦するのである。 7月1日夕刻、いつもの釣り用のザックを背負い、いつもの旅用バッグを肩にかけ、さらに小型クーラーボックスや渓流シューズなどを入れたな手提げ袋を持ったぼくは、東京駅から東北新幹線「はやて29号」に乗り込んだのだった。
赤腹のイワナに再会 そうだ、ここは鉄道のページではないので、途中は省略する。7月2日(日)、大湊で軽のレンタカーを借りて、肌寒い曇り空の下、まずはお土産のイワナの確保に向かった。下北半島東部の、ゆったりとした起伏の風景の中を流れる川である。水量は増えていない。むしろ減水気味だろうか。 川のそばに車を停めて、釣り支度。川に入ると、流れはゆるいが、股下まで水に浸かる渕もあり、ちょっと困惑。しかも、最初に釣れたのは10cmのヤマメ。次に釣れたのも、17cmのヤマメである。今回の目標はクーラーボックスの容量から、イワナ10尾としているので、ヤマメはとりあえずリリースして、もう少し上流をねらうことにした。 ヤナギの枝が流れの上にかぶさる場所で、初めてイワナが出た。バシャバシャという水しぶきの中に、朱色が鮮やかに踊る。十数年ぶりの、下北の赤腹のイワナだ。手に取ってしばらく見つめてしまった。 腹から尾びれの下縁部まで赤い、下北のイワナ。 最初のイワナのあと、ヤマメも混じったものの、リリース5尾、キープ3尾を1時間ほどの間に釣って、いったん車にもどる。実は、うっかりクーラーボックスに入れる氷を買い忘れていたのだ。 この日曜日、酒屋は3軒あったがみんな閉まっていた。コンビニは近くにはない。やっと4軒目の店で氷を手に入れて、魚をクーラーに入れる。そして次の沢を目ざした。 それにしても、川の傾斜がゆるやかなためか、2万5千分の一地形図から想像したよりも水量が少なく、目星をつけた沢(というより、小川)も現地を見てがっかり、の連続。 ある集落を抜けた奥の林道に入ろうとしたら、何と、「クマ出没注意」の看板がある。下北半島の西部の山岳地帯にクマが生息していることは知っていたが、東部の丘陵地帯にも棲んでいるとは知らなかった。いつもクマのテリトリーでイワナを釣っているので、ホイッスルは携帯しているのだが、さっきの川ではザックにしまったままだったので、ドッキリした。車を停めて、さっそくホイッスルを首にかけて吹く。 この沢も傾斜はゆるく、水量も少なかったのだが、赤腹のイワナ、そしてヤマメがエサを追う。ヤマメは小型のものが多く、ミミズをすぐにちぎられてしまうので、残りの量を心配する事態になった。 この沢では、4尾をキープして竿をしまう。帰りに集落で会ったおばあさんにクマのことを尋ねると、やっぱり最近出たとのこと。クマには会いたいが引っ掻かれたくないぼくとしては、見通しの悪い沢ではホイッスルは必需品でなのである。
津軽海峡 雨の中 クマの看板の沢を出たときには、時刻は午後3時近かった。ここから下風呂温泉まで車で1時間かかるとすると、釣りの時間はあと1時間くらいだろうか。 車のフロントガラスを雨が叩くようになった。この日は曇りのち雨の予報だったから、ここまで雨が降らなかったことで良しとしなければならないだろう。翌日の予報は、雨。そこで、きょうのうちに今回のメインテーマ、「津軽海峡を見ながらイワナ釣りをする」の実現をはかることにした。 2万5千分の一地形図をにらんで、目星をつけた。沢がそのまま津軽海峡に流れ込んでいれば、イワナが釣れる可能性が高い。しばらく車を走らせて、目ざす沢の入口に車を停めた。 沢の入口といっても、そこは海辺の国道である。沢は山から出て国道をくぐり、ゴロタ石の浜に出て、そのまま打ち寄せる波にもまれている。国道から見た流れはイワナの匂いがしたので、雨の中、この日の最後の釣りを敢行することにした。 それにしてもちょっと恥ずかしい。こんな海辺の国道で渓流釣りの格好なんて、どう見ても場違いである。しかし、恥ずかしがっていては津軽海峡までやって来た甲斐がないので、通る車からかけられているだろう奇異の視線を無視して、浜に下りることにした。 まずは何といっても、波打ち際である。ここで釣れれば申し分ないのだが、しかし、沢が小さく、波があるので、潮をまともにかぶってしまいそうだ。しかたなく、波打ち際から数メートルの流れに第一投。それにしても、どうかんがえてもこの場所には場違いな釣りである。 ところが、ほんの小さな、ポイントとは言えないような、ふつうだったら絶対に通り過ぎるだけの流れで、小さなアタリがあった。びっくりしてアワセたら、エサのミミズがちぎられて上がってきた。 「うわあ、いる!」 まだここは国道の海側、浜辺なのである。ここでイワナが釣れたら正真正銘の「津軽海峡のイワナ」なのだ。 気合を入れて、ちぎられて短くなったままのミミズをもう一度流す。すると、またアタリ。だが、魚が小さいらしく、ハリにかからない。3回目に流したら、もうアタリがない。4回目も、アタリがない。これは相手に気づかれたか。小さなため息をついて、また数メートル上流へ。今度は国道の橋の下の、暗い深みである。ここで釣れれば、後ろは海だ。目的達成である。 しかし、橋の下では一度もアタリが出なかった。大きなため息をついて、橋の下を上流側に抜ける。ポイントは連続しているので、まだ、後ろを振り返れば橋の向こうに海が見える。かろうじて合格である。 そのポイントに2回目に仕掛けを入れて少し竿先を引いてきたとき、「グングン」という手応えがあった。 「やった!」 仕掛けをゆるめて少し待ってから、軽くアワセる。魚の重さが右手にかかった。これはキープサイズだ。あとは、魚の種類だけが心配。ウグイだったら失格である。だが、その心配はすぐに解消した。20cmを少し越える、まちがいのないイワナだったのである。 そのイワナを取り込んだぼくは、ゆっくり後ろを振り返った。国道の橋の下の隙間から、津軽海峡の海が灰色の空の下に踊っていた。 これが、津軽海峡から40mほどのポイントで出たイワナ。目的は無事、達成された。
色もニオイも味もある温泉 下風呂温泉は、大畑から大間へ向かう国道279号線の旧道沿いに、10軒ほどの旅館が固まっている。車を停めると硫黄の匂いが漂ってくる。山側には不思議なコンクリートアーチ橋が架かっている。 ぼくは温泉にはウルサイ。旅館の豪華さにはちっともうるさくないのだが、温泉の泉質にはウルサイ。だが、「色もにおいも味もしない温泉なんて、つまらない」などと言っているだけなのだが。 そのぼくに、初めて泊まった下風呂温泉は最高だった。何しろ、乳白色、硫黄の匂い、渋い塩味という、三拍子そろった温泉だったからだ。 泊まった旅館は、まるほん旅館という小さな宿。宿の人は親切で、料理もいい。建物は古く、ぼくの部屋は6畳間で景色も悪かったが、この日の客7人のうち、たぶんぼくが一番安い料金だったと思うので、文句は言えない。風呂場は、脱衣所からさらに階段を下りた地下のようなところで、四角い湯船いっぱいに湯が入っている。今流行の循環式とは対極の湯治場風。
この日の夕方から翌朝まで、いや、翌日もずっと雨。もう土産はクーラーボックスに入っているので、釣りはせずに車で下北半島を巡ることにした。 7月3日(月)の朝食後、ビール代込みで8,000円とちょっとの代金を払い、旅館のそばにある不思議なコンクリートアーチ橋のことを尋ねると、何と、昔鉄道を敷くために造られたものだとのこと。びっくりして、車を少しだけ動かして橋のたもとに停め、橋の上を歩いてみた。最近遊歩道として整備され、ホームの前にはレールも敷いてある。ホームは、今はやりの「足湯」だった。 この鉄道は、戦前から戦中にかけて、大畑線を延長する形で大間を目ざして路盤工事を進めたのだが、資材不足でこの少し先で中断、戦後は工事が再開されることのないまま、肝心の大畑線まで国鉄から分離され、下北交通大畑線となったが、結局2001年に廃止されている。この線はもともと大間の軍事要塞のために建設が進められたことから、下風呂温泉のアーチ橋はそのまま遺跡として残されたのだ。 このアーチ橋からは、下風呂の漁港がよく見渡せるのだが、港の工事の大型クレーンなどが不釣合いな景観を演出しているのは残念だった。
大間崎へ 「津軽海峡冬景色」を思わせる暗く低い空と海。「あれがごらん大間みさき」です。 雨の国道279号を、津軽海峡を右に見ながら大間へ向かう。集落に、学校へ向かう子どもたちの姿が見える月曜日である。 本州最北端の大間崎には、「大間のまぐろ」の碑ができていた。観光バスで来た人たちが記念写真を撮っている。まだ朝なのにずいぶん早いなと思ったら、きのう下風呂温泉の大きな旅館の駐車場で見たバスだった。 大間から佐井へ向かうあたりで、大規模な工事が行われていた。一体何を作るんだろうと看板を見たら、何と、原子力発電所。なるほど、下風呂から大間への国道に「工事車両マナーチェック」などと書かれた見張り所がいくつかあったのは、このためだったのか。 そう言えば、東通村の太平洋側にも原発がすでに稼動している。原発はどれも過疎地の辺境に作られるのだが、いつの日か「大間のマグロ」がかつてビキニ環礁で水爆の灰を浴びた第五福竜丸のような「放射能マグロ」にならないことを祈りたい。
佐井からは下北半島のマサカリの刃の部分を西から東へ横断する「あすなろライン」という道に入った。これで有名な薬研(やげん)温泉に浸かり、恐山を見て大湊にもどるというコースである。ところがこの「あすなろライン」、名前の優雅さとは裏腹にほとんどダートの林道モードなのでびっくり。ぼくの愛車ジムニー「はつかり号」なら元気に走るのだが、一番料金の安い軽のオートマのレンタカーなので、慎重にゆっくりとハンドルを切り、アクセルを踏む。もっとも、シフトをセカンドに入れてもあまりスピードが出ないのだから、ゆっくりにならざるを得ないのだが。 この「あすなろライン」、いくら走っても「あすなろ」(青森ヒバ)の木は見当たらないし、視界も開けない。いい加減にいやになったころ、やっと峠を越えて下り坂になった。さらにさらに下って、ようやく谷川に架かる橋を渡る。ぼくのいつもの習性で、橋の上から流れの様子を見たら、もう一つの橋、もう朽ちているがすぐ上流にある。ぼくは歓声を上げて車を停めた。森林鉄道の橋なのだ。 下北半島の大畑川流域には、かつて森林鉄道が走っていた。大畑川の上流に架かるこの橋にも、たくさんの材木を乗せて列車が行き来していたのだろう。ぼくは、すばらしい宝物に会ったような気がして、しばらくそのまま朽ちた橋を眺めていた。 「あすなろ」にも会えた。この橋を過ぎたあたりから、道の両側にヒバの木が目立ち始めたのだ。そして道自体も、河岸段丘の上の林の中をまっすぐに走る、まるで森林鉄道のような雰囲気になった。もしかして、森林鉄道の跡をそのまま道路にしたのかもしれない。ああ、静寂の中の幸せ。
これはやっぱり森林鉄道の跡なのだろう。 結局、佐井から奥薬研温泉までの1時間、1台の車にも会わずに来た。大畑川の奥はヤマメの地域変異種「スギノコ」の生息域で、禁漁区に指定されている。「スギノコ」は、大畑川のイワナの生息域よりも上流に生息しているとのことで、「禁漁」の看板では、スギノコ生息域にイワナを放流しないように呼びかけていた。 ここまで来たのだからと、薬研温泉に入ることにした。老舗の古畑旅館(建物は新しい)で500円を払い、浴場へ。ところが、成分表を見たら、無色・無味・無臭の単純温泉なので、ちょっとがっかり。それでも、総ヒバ造りの風呂を一人占めして満足した。 きれいになっていた恐山 恐山への県道からの風景。ヒバとスギ、広葉樹の混交林のようだ。 薬研温泉から恐山への県道は、舗装されているものの、軽のレンタカーには結構きつい。雨に加えて霧も出て、と言うか雲の中に入ったようで、見通しもよくなかったが、ヒバの林やブナの木を見ながら山を越えて宇曽利山湖の畔に出た。 ぼくが恐山に来たのは、1978年のバイク・ツーリング以来だ。その、久しぶりの恐山は、伽藍が新築されて、すっかりきれいになっていた。それとともに、オドロオドロしい怖さまで失われてしまったように思えた。たしかに「地獄めぐり」はそれなりの風景を持っているのだが、岩盤浴にたくさんの人が通う秋田県玉川温泉のほうが鬼気迫っているのではないだろうか。(これ以上書くと悪い夢を見るかもしれないので、ここでやめておく。) 一番ゾッとした風景がこれ。カラスも役者ですね。 帰り道は楽だった 自分の車で下北まで行ったら、帰り道は2日がかりにしたい。時間的には1日でも帰れるはずだが、とてもそんなに一生懸命走る気にはなれない。それなら、道路公団改め高速道路株式会社に払うお金でどこかで1泊したほうがましだ。 でも、今回は違う。大湊でレンタカーを返して、14時15分発の大湊線に乗り、野辺地から特急「スーパー白鳥」で八戸へ、さらに東北新幹線「はやて」で大宮に18時42分着。さらにさらに、大宮からは平日ダイヤで18時47分発の快速「むさしの」号に間に合い、直通で八王子に19時49分(実際には中央線がいつもどおり遅れていたので、53分)に着いてしまったのだ。 クーラーボックスや、水を吸った靴やトレパンは重かったけれど、この時間の短さはなんともありがたかった。次回の「大人の休日パス」もこのパターンで出かけようかとすでに思いをめぐらしてしまった、今回の旅だったのである。
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