三陸鉄道は
   
    ヤマメの川をつなぐ


  
         普代川橋梁を渡る。    2007.8.9   田野畑−普代          
 普代(ふだい)の駅には、ここが国鉄久慈線として開業した1975年に、卒業論文の現地調査で降り立った。鉄道開業の影響を村役場で聞くためである。そのときの村の職員の言葉が印象的だった。
 「一番大きな効果は、高校生が自宅から通えるようになったことです。これで村の高校進学率が上がります。」
 鉄道開通までは、久慈市の高校に通う生徒は、ほとんど久慈市内に下宿をしていたと言う。バスの通学定期運賃と下宿代がほぼ同額(当時で1万5千円ほど)で、バスでは久慈まで1時間かかる。そのために、普代村の高校進学率は、1973年度の資料で全日制58%、定時制を含めても77%だったから、当時としてもずいぶん低い。それが、鉄道の通学定期だと1,300円(当時)になるのだから、費用は十分の一になったのだ。
 大学生のぼくは、予期していなかった答えにびっくりした。鉄道の開通が高校進学率の上昇をもたらすというのは、これは交通というよりも教育と福祉の分野ではないか。鉄道が地域にもたらす大きな役割について、ぼくは認識を新たにしたのだった。
 

 開業から2ヶ月の久慈線野田玉川駅。現在は交換設備が設けられている。  1975.9.10

   1975.9.10
        野田玉川―堀内

 2007年8月9日の昼ごろ、「はつかり号」で普代駅に行くと、盛り土の上のホームに、たくさんの人が乗っている。これはきっとツアー客の団体乗車だろうと思い、急ぎ足でぼくもホームに上がった。
 この人たちは阪急交通社の団体で、これから久慈まで列車に乗るのだという。まもなく宮古行きの列車が3両編成で入ってきた。こっちにも団体が乗ってきて、ツアコンの案内で駅前で待っているバスに乗り込んで行く。気がつくと、列車の乗務員が後ろの1両の切り離し作業をしているので聞くと、「臨時列車になるんです」と言う。この団体が乗るのだろうか。
 この、後ろの車両から、乗務員と、いつの間にかホームに来ていた売り子の女性が大きなダンボール箱をいくつも、急いでホームに下ろした。そうか、これはツアー客のお昼の弁当なのだ。
 前の2両が宮古へ向けて発車すると、ツアコンの男性が30人ほどの客に弁当とお茶を配り、売り子の女性はビールやお菓子を売り始めた。まもなく、また観光バスが駅前に着き、同じ阪急交通社の団体がホームに上がってきて、やはり弁当を配り始めた。同じツアーの1号車と2号車のようである。もうホームはいっぱいだ。
 さっきの宮古行きととなりの田野畑で交換した久慈行きが2両編成でやって来た。ツアー客が2両に別れて乗り込んだが、すでに座席は半分くらい埋まっているので、ここからのツアー客の中には座れない人もいたのではないだろうか。ちょっと心配なぼくをホームに残して、久慈行きがエンジンを響かせて発車して行った。
 さて、残されたのはぼくだけではない。切り離されて「臨時」の表示を出した1両もそのまま残されている。あれれっと思いながら駅前に出ると、また観光バスがやって来た。どうやらこのツアー客のための臨時列車のようである。この日、三陸鉄道は大賑わいだった。

 宮古行きが入ってきました。  普代

 真ん中はレトロ車です。


 1両だけ残されました。

 久慈行きが2両で到着。みんな乗り込みます。

 普代駅近くで、三陸鉄道は普代川というおいしそうな川を渡る。ここで釣ってみようと決めたのだが、商店街には「入漁券」の看板や旗が見つからない。普代駅の観光案内所で、普代川で魚を釣るのに券が必要かどうか尋ねると、「わからないので役場で聞いてください」と、電話をしてくれた。
 役場に尋ねると、「漁協で聞いてください」。そこでまた電話を借りて漁協に尋ねると、「はい、必要です」との答え。「どこで売っているんですか?」と尋ねると、「漁協に来てください」と言う。そこで、案内書にお礼を言って、車で少し離れた所にある漁協へ。着くと、立派な建物だ。これは海の漁協である。このあたりの川にはサケやサクラマスが遡上してくるので、海と川は同じ漁協なのだろう。
 漁協のカウンターで日釣り券を求める。525円で、ノートに住所・氏名も書くことになっている。ぼくの券の番号は16番で、ぼくの前の人は7月半ばの日付である。この券は年券にも日釣り券にもなるようなので、この川で釣りをする人は(正しく券を買った人は)ぼくで16人目、ということかもしれない。岩手県には県内共通の年券もあるので、そっちを買っている人もいると思うけれど。サケの漁業権を漁協が持っているので、同じサケ科のヤマメやイワナにもついでに漁業権を設定している、というような、のんびりした雰囲気である。

  これが普代村漁協の日釣り券です。

 そしてすぐにヤマメが釣れました。
 券を買ってから時計を見ると、あと1時間しないうちに次の列車が来る。いや、次の列車まで1時間もない。そこで、とりあえず足回りを釣りモードに替えて、近くの枝沢に様子を見に行く。すると、「あれっ?」と言う間においしそうなヤマメが釣れた。
 ヤマメをクーラーボックスに入れて、三陸鉄道普代川橋梁へ。ここは建設年代が新しいので、鉄橋ではなくコンクリート橋である。国道の橋でカメラを構えると、下の川の流れがヤマメに見える。そこで、列車の写真を撮ると、次は橋の下で竿を出すことにした。
  ここではリリースサイズしか釣れなかった。
でも、十分満足。向こうに見えているのは国道の橋。
 いくら雨が少なくても、この辺りの水量はそれなりに多く、股下ぎりぎりまで水が来る。アタリは多かったが、上がってくるのはみんなリリースサイズ。それでも、三陸鉄道普代川橋梁の下でぼくがヤマメを釣ったのは、まぎれもない事実なのである。

 まだ時間があるので、車で国道を上流に向かった。国道45号は普代から一つ南の田野畑村までの途中は、しばらく普代川に沿っているのだ。数分走って、何件か家のある辺りで車を脇に停め、川に下りた。流れは結構豊かで、雰囲気もいい。釣り歩くだけでも楽しそうだ。
 川の中で転ばないように慎重に歩く。この水量だと、転んだら首から提げて胸ポケットに入れてあるデジカメも水没してしまうのだ。
 何度かヤマメのアタリがあるのだが、その度にミミズだけを取られてしまう。それでも、雰囲気を楽しんでいたら、やっと、アワセた竿に重さがずしりと伝わった。ひざを曲げて、竿を立てて少しこらえる。こらえながら左手でポケットのデジカメを取り出し、竿を左手に持ち替えてカメラを構える。こんなとき、コンパクトなカメラは本当に楽だ。
 ヤマメは、22cm。うれしいサイズである。ヤマメの頭を叩いてビクに入れたぼくは、もう一度、ヤマメがいた流れをたしかめた。三陸の豊かな川の流れが、そこにあった。
 
                         普代川の、22cmのヤマメ。

 
              海から山へと入って行く、三陸の渓流である。

 三陸鉄道の宮古から久慈までは、「北リアス線」と名づけられている。観光案内には「不思議の国の北リアス」などと書かれていて、ちょっと笑ってしまったりするのだが、ぼくはこの北リアス線沿線が大好きだ。ただ、ほんとうのリアス式沈降海岸は宮古から南、JR山田線と三陸鉄道南リアス線の沿線で、このあたりは海岸段丘が目立つ隆起海岸なのだけれど。
 三陸鉄道は、海の景色がよさそうに思えるが、入り組んだ海岸線を避けて山を直線トンネルで突き抜けているので、限られた区間しか海を楽しめない。その区間が、もとの国鉄久慈線の、普代から陸中野田までなのだ。だから、ツアーの観光客もここに集中している。三陸鉄道としては、もっと長い区間を乗ってもらいたいところで、JRとの直通列車を夏の間は何本も走らせている。
 今回は列車には乗らなかったが、ぼくはこれまで何度も、車を駅前に置いて列車の旅を楽しんでいる。三陸鉄道に限らず、ローカル線の駅前には車を(無料で)置けるスペースがあることが多いので、車で出かけたときにも、時間があれば「パーク・アンド・ライド」を楽しんではいかがだろうか。特に、第三セクターや私鉄は経営が苦しいので、「支援」という意味でも、ぜひお願いします。
 
 三陸鉄道の名所、堀内のコンクリートアーチ橋。  2007.8.9 白井海岸―堀内

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