このテン場、いいね 2007 岩手くんせい紀行 |
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いつものテン場は立入禁止 2007年の「岩手くんせい紀行」は、波乱の幕開けだった。いつものテント設営場所に入る林道が、伐採作業のために立入禁止になっていたからだ。 いや、このことはある程度予想されていた。昨年、ぼくたちのテン場に測量用の杭が打ち込まれていて、古い作業道の復活工事が想定されていた。2007年に伐採作業を行うという告知看板も近くに立てられていた。だからぼくたちは、今年のテン場は林道の入口を少し入った林の中を考えていたのである。 ところが、行ってみると、林道の入口に「伐採作業のため立入禁止」の大きな看板が置かれていて、入口からちょっと入ることもあきらめなければならなかった。これは大変な事態である。 ぼくたちはあれこれ思案した結果、やはりこの沢沿いの伐採作業のために3年前に一度設営した場所を、今年のテン場にすることにした。 しかしその場所は、3つの欠点がある。それは、川の水面と2m以上の段差があるため、階段を作らなければならないこと、周りがネマガリダケの藪なので、トイレの穴を掘るのが大変なこと、そして、車を停めてから、廃道となった昔の林道を歩かなければならないことだ。でも、他に適当な場所が考えつかないし、時間はどんどん過ぎて行く。夜中に八王子を出発して、もう午後になっているのだ。 ぼくたちは車でその場所に移動して、Uさんが廃道に分け入り、前回のテン場を偵察、変化がないことを確認してから、タケの被さる道を荷物運びに往復した。3年前は先代のジムニーを、タケ藪を押しのけてテン場まで乗り入れた(すり傷だらけになった)のだが、まだ新しい三代目ジムニーに傷はつけたくない。それに、3年前よりももっと藪がひどくなっていて、とても車を乗り入れる気にならなかった。 これが、車とテン場を結ぶ道。実は所要時間は3分なのです。でも、「車の横は宴会場」に慣れてしまったぼくたちには、きつい藪でした。 設営作業で汗びっしょり テン場に荷物を運び、テントと宴会場、川への階段とトイレの設営にかかる。ぼくはUさんの指示で、トイレに至る10mほどの道の開削。廃道の両側から茂るタケをSさんのナタで切り、夜中に酔っ払ってもトイレに行けるようにするのである。 ネマガリダケを振り払っているうちに、ぼくはふと気がついた。このタケは、いつも「竹串」に使っているタケである。それなら、道を開削しながら竹串の材料を調達すれば一石二鳥ではないか。いつもは竹串の制作に夕方の時間をとられるので、ここで調達すれば夕方が楽だ。ぼくはナタを振る手に力を込めたのである。 結局、テン場の設営には4人で2時間近くを費やした。みんな、汗びっしょりである。だが、今夜の献立はイワナの「なめろう」なのである。その材料を調達しなければ、今夜のメインディッシュができないのである。もう3時近かったが、4人はぼくとSさん、UさんとOさんの2組に分かれて、沢に散ったのだった。
豪華な晩餐 岩手の渓は、だが、水が少なかった。東北道を北上しながら福島、宮城の川の増水を見て喜んだのもつかの間、岩手に入ると川の水は少なく、したがってイワナの出も悪かった。ぼくが2尾、Sさんも2尾、Uさんは4尾、まだ日の浅いOさんはオデコ。したがって、この夜のイワナは全部合わせて8尾だけ。それを全部、Uさんが3枚に下ろして切り刻み、ネギと青紫蘇と味噌を合えて、おいしそうな「なめろう」に作ってくれた。 この日の夕食のメニューには、これまでにないものがあった。それは、ヤキトリ。串に鶏のモモ肉や砂肝、豚のバラ肉、ネギを刺して、焚き火の上の金網で焼くのだ。この準備はなかなか楽しかった。 昨年さつま揚げチャンプルーにさつま揚げを買い忘れた料理長のUさんは、今年もさつま揚げを買い忘れてしまった。だが、今年はちくわを買っていたので、「さつま揚げのないさつま揚げチャンプルー」ではなく、「ちくわ入りのさつま揚げチャンプルー」として少し進化したのである。
まずUさんが「ちくわ入りのさつま揚げチャンプルー」を作る。高く燃え上がる焚き火の火に、油を入れた中華鍋をかざし、次々と材料を入れていく手際は、年々冴えわたってくる。ぼくはと言えば、椅子に座ったり写真を撮ったりしていただけなのだが。 チャンプルーができあがって、ようやく乾杯。沢水に漬けておいたたビールは、ちょうどよい冷えかた。1日目の晩餐の、始まりである。 炎の中で「ちくわ入りのさつま揚げチャンプルー」ができます。
「初めてアタリがなかったよ」 テン場の朝は、Uさんが一番早い。「連続で5時間しか寝られない」という特異体質(?)のUさんは、まだ暗い3時ごろに起き出して、朝食の準備を始めている。このテン場は宴会場とテントが密着しているので、物音に敏感なぼくは、すぐに目が覚めてしまった。でも、またウトウト。小便を我慢できなくなったところで、モソモソと起き出した。午前4時になっていないが、辺りは少し明るくなっている。 顔を洗い、歯を磨き、椅子に座ってボーッとする。そしておもむろにコーヒーを沸かす。テン場の朝の一杯が、ぼくは大好きなのだ。 やがてSさんとOさんも起きてきて、朝食。メインは玉子丼である。もちろんUさんの特製。飯ごうの飯もうまく炊けていて、違和感がない。年々進化を続けるUさんである。 午前6時過ぎに、テン場を出発。きょうは燻製用のイワナをたくさん確保しなければならない。燻製が作れなければ「岩手くんせい紀行」などというタイトルは変更しなければならない。貧果のため、本来は2晩にわたって作る燻製が、きのうは1尾も作れていないのだ。だからきょうは、必死に釣らないといけないのである。 そうは言っても、イワナにはイワナの都合というものがある。ぼくたちの要求に素直に応えてくれるとは限らない。 そこで、ヤブ沢釣りが得意で釣り上がるペースも速いぼくとUさんが枝沢を、Sさんと、まだ釣り技術が十分でないOさんが、実績のある大きい沢をねらうことにした。 枝沢と言っても、水が少ないので、傾斜のゆるい沢は展望がない。そこでぼくとUさんは、10年以上前にぼくが入ったことがある沢へ。そのときは魚はいたものの、今回はどうだろうか。心配しながら沢の入口へ向かった。 最初にUさんが仕掛けを入れる。するとUさんはすぐにぼくのほうを振り返り、「いたっ!」。その数秒後、18cmのイワナがUさんの竿をしならせた。これは幸先がよい。 次のポイントで、ぼくにもアタリ。これは16cmだったのでリリース。次のポイントでUさんがまた18cm。その次でぼくが20cm。その次でUさんが……。ポイントごとに必ずアタリがあるので、ぼくたちはびっくりの笑顔である。よかった。これで今夜は燻製ができそうだ。 またイワナを釣り上げたUさんの横から前に出たぼくが、次のポイントに仕掛けをそっと入れた。 「あれっ、あれっ?」 「どうしたの?」 怪訝そうな顔をするUさんに、ぼくも首をかしげて答えた。 「初めて、アタリがなかったよ。」
22cmのオス。精悍な顔立ちである。 2007.7.23 帰り道は天ダネを摘んで この沢にはイワナはたくさんいたが、だからと言って、ぼくたちが気楽にどんどんイワナを釣ったのかと言うと、決してそうではない。水が少ない影響は大きく、食いがとても悪かったのである。悔しい思いをしたほうが、ずっと多かったのである。 水が少ないので、流れがゆるやかで波立っていない渕や瀬が多く、そこで出てきたイワナは、エサを追いかけてきても食わずにその流れの中で知らん顔を決め込むのだ。数メートル先に見えるイワナの少し上流にエサを落としても、無視。このパターンが実に多かった。それでもめげずに釣り上がり、5時間ほどでぼくはキープサイズが16尾、Uさんが15尾という釣果を得た。 さて、今度は帰り道の心配である。この沢、林道がだいぶ離れているので、川通しで戻るのが確実なのだが、川通しは時間がかかるし、慎重に緊張して歩くので、時間もかかる。でも、林道を探して迷ってしまうと、さらに時間と体力を消耗する。お昼のおにぎりを食べたぼくたちは、ネマガリダケの茂る斜面を見回したが、林道らしきものは発見できなかった。そこで、安全策をとり、川通しで下ることにした。たぶん1時間ほどかかるだろう。 下り始めたぼくたちは、それでも、林道をあきらめたわけではなかった。 「昔の作業道が沢を横切っていればわかるんだけどな。ほら、こういう所は、作業道が渡っていたりするんだよね。」 ぼくは、沢がカーブしているところで、何本ものカラマツの細い幹が沢に斜めに横たわっているのを見ながら、Uさんに説明した。 「ほら、あっちからこういうふうに……。あれっ? あれっ? あーっ! もしかして!」 ぼくが指差した方向に、幅が2m近い不自然な緩斜面が沢から下流方向にまっすぐ登っているではないか。 「これ、作業道じゃないの?」 「行ってみようか。」 ぼくたちは、周りよりもまばらな、それでも草やネマガリダケの茂る緩斜面を登り始めた。 「大穂さん、この道、上に登って行くんだけど、いいのかね。」 前を行くUさんが心配したが、傾斜が変わらずに真っ直ぐ伸びているこのスペースは、どう見ても作業道の跡だ。 「だいじょうぶ。作業道は林道までこうやって登って行くんだよ。これで林道に出たら、もう最高なんだけどな。」 ぼくは希望的観測を交えながら、ヤブをかき分けるUさんを激励した。するとまもなく、進む先に明るい一角が。 「あっ、林道だよ!きっと!」 ぼくが大きな声を上げてから数秒後、今度はUさんが叫んだ。 「出た!」 ぼくたちの前に、2本の砂利のラインがくっきりとした林道が出現したのである。 林道は沢の入口に向かって、ゆっくり下っている。 「そうだ、天ぷらのネタを探さなきゃ。」 Uさんが林道の両側を見ると、よくしたもので、ウドとタラノキがあちこちにある。本来の時期はもう過ぎているのだが、まだ成長を続ける若芽だけを手折ってビクに入れるUさんは、もう料理人の眼差しになっていたのだった。 ここが林道に出た地点。わからないと思いますが、帽子を持った左手の後ろが作業道の入口です。ああすばらしい、ぼくのルート・ファインディング能力!
くんせい作りは進化した この日、午後は別の沢に入って釣果を上げ、SさんとOさんもだいぶ釣ったので、イワナは十分。天ぷらにする分を除いて、あとは燻製である。 くんせい作りはぼくの仕事。まず、クーラーボックスに塩水を作ってイワナを入れ、1時間漬ける。漬けている間に竹串作りをするのだが、今回は、Sさんが長い竹串を買ってきてくれたのと、前日のトイレへの道作りのときにタケを手頃な長さに切っておいたので、切ってある竹を水洗いするだけなので楽だった。 塩が効いてきたイワナは、やや青みがかった色になる。そのイワナを1尾ずつ串に刺し、カマドの周りに立てる。そして、表面が乾いたら、カマドの上にSさんが細枝で作る「焼き棚」に載せるのだ。あとは、肉が硬く締まり、アメ色になるまで数時間待つ。いや、待っている間に宴会をする。そして眠くなるころ、くんせいができあがるのである。 今回は、竹串のほかにも進化したものがあった。それは、Sさんの「焼き棚」である。これまでよりも棚の位置を低くしたところ、くんせいの焼き上がりが以前よりも早くなったのだ。ぼくたちの「くんせい紀行」も、年々進化を続けている、ということである。 さて、宴会である。午後7時から始まった宴会で、ぼくは何と、夜の8時ごろには眠くなってしまったのである。しかし、ここで寝てしまうと、お腹がいっぱいのままなので、夜中に腹がもたれて目を覚ましてしまう。でも、どうしようもなく眠い。立ち上がって歩き回っても、眠くてフラフラするだけだ。せっかくのテントの夜なのに、こんなに早く寝るわけには行かない。そこでぼくは最後の手段に出た。カラオケ、ではないアカペラ歌謡ショーを始めたのである。 「ああ上野駅」、「北国の春」、「山男の歌」、「アルプス一万尺」、「友よ」、「インターナショナル」、「加藤隼戦闘隊」と、もう選曲はメチャクチャである。やみくもに大声で歌っていないと眠ってしまいそうなのだ。そのうちに他のメンバーも加わって、動物迷惑大歌謡大会になってしまったのである。 気がついたら、眠気はどこかへ消えていた。ビールも日本酒も消えていた。あとは焼酎を割って飲むだけである。ところがここでUさんが、「そろそろ寝ようか」などとケシカランことを言ったのである。「まだ早いじゃないか」とぼくが、さっきの眠気を忘れて文句を言うと、「もう11時だよ」とSさん。何と、さっきの眠気から3時間もたっていたのだ。明日の朝はテン場を撤収しなければならない。もう潮時である。テントの中に入ったぼくは、もう次の記憶がなかった。
早池峰と兜明神と缶ビール 翌日の夕方近く、一行4人は、区界旅館近くの道の駅の広場で、早池峰山と兜明神岳を眺めながら、ビールを飲んでいた。 「あのテン場、よかったね。」 「森に包まれているって感じだからね。」 「いつものテン場は、オートキャンプ状態だったからな。」 「車から3分であの雰囲気なんだから、いいよね。」 「来年もあそこにしようか。」 この日、朝食のイワナ天丼を食べたぼくたちは、2時間かけてテン場を撤収、余裕のイワナ釣りを楽しみ、おにぎりの昼食。午後は温泉で汗を流して、区界旅館に無事帰還したのである。 旅館での夕食には、ぼくたちがこの日釣ったイワナを焼いて出してもらった。ほかにもおかずがたくさんあるので、もう腹いっぱい。ぼくは何と、午後8時にはリタイアして先に布団に入ってしまった。やわらかな布団の感触が、懐かしかった。
まぶしい光が渓に差し込む。 抜けるような青空。雨にまったく遭わなかったテン場でした。 「押角駅前でイワナを釣る」に跳ねる 「東北の渓のザッコ釣り」のトップにもどる ホームページのトップにもどる |