岩手の渓のザッコ釣り 

   年に一度の「くんせい紀行」
  
                                尺イワナの燻製

 毎年7月に、ぼくは友人のSさん、Uさんと3人で、「イワナのくんせい紀行」に出かけている。
 この3人の「くんせい紀行」、もう10年ほど続いている。はじめは秋田や会津の渓だったのだが、ここ6年ほどは、岩手の渓に定着している。
 くんせいは、焚き火で作る。焚き火ができるのは、テント泊まりのときだから、「くんせい紀行」は、テント泊まりの釣りの旅である。
 ぼくはテントを持っていない。だからいつもSさんのテントで寝る。Uさんは自分の1人用のテントを使う。
 はじめのころは、車を置いて何時間も山道を歩くところに出かけていた。大自然に抱かれた、世俗と隔絶された渓の暮らし(2泊3日だが)に浸っていた。しかし、テント場が他の釣り人に先を越されているのではという不安、重い荷物を背負っての山道歩き、そして、必ずしも保証されない釣果というリスクに、寄る年波が加わって、車の横にテントを張るという怠惰な「ザッコ釣り」に変貌した、というわけである。
        
    ブナやミズナラに囲まれたテント場。実は、使われなくなった林道の転回場。

 上の写真は、今年(2004年)のぼくたちのテント場である。手前はUさんのテント、向こうは宴会場だ。宴会場にはビニールシートで屋根が作られている。屋根の柱は、テント場の周りに生えていた細い木を使っている。宴会場の設営は、アウトドア・サバイバルの達人Sさんの担当だが、ぼくも助手を務めている。柱の木は、ぼくがのこぎりで切った。木はカエデ、サワグルミ、ミズナラの幼木。大径木の茂る林内では、大きく育つ可能性はほとんどないので、ぼくたちが使わせてもらっている。
 炊事や燻製作りの燃料は、薪。近くに捨てられている、伐採されたカラマツの枝を運んでくる。カマドは、川の中の石をSさんが選んで運び、手際よく作る。
 Uさんは料理の達人。2泊3日のメニューを組み立て、事前の買出しを指揮する。そして黙々と、いや、何だかんだとしゃべりながら、おいしい料理を次々に作り出す。
 アウトドアの達人Sさん、料理の達人Uさんといっしょにいるぼくは、ボーッと時を過ごしているわけではない。いや、そういうときもあるのだが、何を隠そう、ぼくは「釣りの達人」なのである。燻製にしたりホイル焼きにしたり天ぷらにしたりするイワナを一番たくさん釣るのが
ぼく、というわけなのだ。そして、燻製にするイワナを焼くための竹串を作り、火の周りに立てるのも、ぼくなのである。でも、燻製ができあがるころには酔いが回っていて、役に立たないのだが。 
 
                               燻製を確保したぼくの手。
 さて、食べておいしいイワナのサイズは、というと、20cm前後だとぼくは思っている。大きければおいしい、というわけでもなく、小さければそれなりにおいしいのだが、将来のためにリリースする。30cmを越える「尺イワナ」を釣るのがステイタスと考えている人もいるのだが、ぼくは、尺イワナはハリを飲まれていなければリリースすることにしている。と言っても、まだ6、7尾しか釣ったことはない。
 小さいイワナはリリース、というのは、もちろんだ。ぼくの場合、ハリを飲まれていなければ、18cm未満がリリース。そのおかげか、毎年入る小さな沢でも、釣れるサイズや数は一向に減らない。
 渓のテント場での食事はUさんがほぼ作るのだが、これが結構凝っている。下の写真は、朝ご飯に玉子丼の具を作っているところ。前夜の天ぷらは、でも、ぼくが揚げたのだけど。20cmのイワナは、開いただけでは天ぷらには大きいので、半分に切り、頭側としっぽ側に分割して油に入れた。
        
 夜はもちろん宴会なのだが、ぼくは疲れて先に寝ることもあるし、再び回復して遅くまで騒ぐこともある。騒ぐと言っても、たいていはアカペラのナツメロ大歌唱大会だ。3人は同世代なので、知っている歌も大体同じ。演歌からフォーク、労働歌まで出てきてしまう。今年は、岡林信康メドレーで夜が更けた。
 
  歌に酔いしれるSさん。ぼくは翌朝、二日酔いだった。
 ぼくたちの「くんせい紀行」は、川の水量がある梅雨明け直後を狙って行くのだが、雨に遭わない年はない。去年は、ずっと霧雨が降りっぱなし。今年は、雷雨に遭ってしまった。会津に行っていたときは、宴会場の床上浸水という非常事態にも遭遇した。(今度書きます。)それでも、燻製は毎年確保して、帰りに区界旅館のお土産にもしている。これはひとえに、釣りの達人がいるおかげである。次のページでは、その釣技を紹介しよう。
 

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