奥会津は萌黄から新緑へ |
||||||||||||||
去年より1週間遅い帰り道の景色。去年と比べてみてください。 やがて雨は上がった 2006年5月19日(金)の夕刻から、Uさんと毎年恒例の奥会津昭和村へ出かけた。昭和村の宿、昭和館に午後9時半ごろに着き、仏壇に線香を上げてから、風呂、ビール。 木曜日の夜の天気予報では、土曜日は一日、雨。だが、宿についてから見た予報は、雨のち曇り。雨は昼で上がる予報である。これは何とかなるかもしれない。ともあれ、朝までは雨のはずなので、「目が覚めたら起きようよ」と言いながら布団に入った。 夜中の雨音で一度目がさめる。やっぱり、と思いながら、また夢の中。もう明るくなった午前5時、Uさんも起きている様子なので、声をかけて起床。窓を開けると、雨は小降りになっている。 小雨の朝、山がもやる昭和村。 気温が高いので、末端冷え性のUさんは雨でも気合が入っている。ゆっくり身支度をして、用意してもらった弁当を持って、5時40分ごろに宿を出発。沢の入口から林道を少し上り、橋のたもとに車を停める。雨は小止みで、気にならない。午前6時、今年初めてのイワナ釣りの始まりである。 この沢は段差が少なく、遡行は楽。雨の中、カッパを着ての釣り。これはUさん。 最初の沢は、まだ萌黄の木々に包まれていた。雨は時おり強く、また小止みになる。低気圧が北を通るときの典型的なパターン。寒冷前線が通ってしまえば、いったん天気は回復する。それまでの辛抱だ。 Uさんがリリースサイズのイワナを釣る。ぼくにはまだアタリがない。小さい沢なので交代で竿を出すのだが、Uさんはこのあと18cmをあげた。そしてリリースサイズも。ぼくにはまだアタリがない。 ようやくぼくにもアタリが来た。だが、アワセると、上がってきたのは12cmほどのリリースサイズ。今年初めてのイワナにしてはちょっと以上に小さい。ハリをはずして流れにもどす。 「おなかすいたね、メシにしない?」 Uさんが声をかけるのだが、ぼくは腹が減った感覚がまだない。 「減っていないんだよね。もう少し行こうよ。」 どうも、夕べのピーナッツが残っているような気がする。いや、その前の、パーキングエリアでたべたカツカレーが残っているような気もする。困ったものだ。 Uさんはよほど腹をすかしているのか、何度もぼくに「メシ」を提案する。そのうちに雨が上がった。これ以上空腹のUさんに我慢を強いるわけにも行かないので、開けた場所で休憩。もう午前8時だから、2時間釣り上がってきたことになる。 昭和館の弁当はボリュームたっぷり。右は、ぼくが見つけたヒラタケ(鑑定したのはUさん)と、コゴミやウルイを入れたイワナ汁。 空腹感はなかったが、弁当とイワナ汁はちゃんと腹に入った。このときまで、ぼくのハリにかかったのは、リリースサイズか2尾だけ。うち1尾はハリを飲まれてしまったので、イワナ汁要員となった。Uさんはすでにキープサイズを2尾釣っているが、そのうち1尾をイワナ汁に提供してくれた。どうもすいません。 自分が見つけたヒラタケを自慢する筆者。目じりが下がっている。 やっと釣れた17cmのイワナ。 朝メシのあと、ようやくぼくにも調子が出てきたようだ。リリースサイズが混じりながらも、18cm、22cmを釣り上げた。雨は、まだぱらつくが、時おり雲の切れ間から青空も見えてきた。前線が通過したようだ。これで安心。 この沢は、一度全部伐採を受けたあとに育った二次林に包まれている。スギの植林地もあるが、それは一部で、きれいな広葉樹の林が広がっている。シラカバ、ミズナラ、サワグルミ、そしてブナの若い木たちが育ち、沢のイワナを育てているようだ。 これはブナの新緑。まだ柔らかい葉と灰白色の樹皮が、沢の明るさを演出している。 しかし、この沢は魚影が濃いと言えない。飽きない程度、忘れない程度にイワナが釣れるくらいなのだが、景色がいいし、もともと天気が悪いのを覚悟で入ったのだから、環境的には満足である。コーヒータイムもとり、昼近くまで上がったところで、沢がヤブに覆われてきたので終わりにした。この沢でのぼくは、キープサイズ5尾の釣果だった。 竿をしまってから、林道を25分ほどもどる。この歩きがまたいい。萌黄色の林は、雨のあとでみずみずしく、生き物の香りに満ち溢れているようだ。 いや、そして、たしかに生き物が目立った。それはヒキガエル。実は、イワナ釣りをしていて一番多く出会うカエルが、ヒキガエルなのである。渓の石の上にのっそりと座っていて危うく踏みそうになったり、突然流れにボチャンと飛び込まれてびっくりする相手がこれなのだ。 ヒキガエルといっても、都会の家の庭で発見されるモノとはちょっと違う、「ナガレヒキガエル」という種類らしい。だが、風体はやっぱりヒキガエルである。そのヒキガエルが、この日は渓の中ではなく、林道の端を流れる雨水の溜まりにウヨウヨいた。そう、産卵をしているのである。オスがメスの上に乗り、腹をギュッと押さえて動かない。ぼくたちが覗き込んでも、まったく動じる気配がない。何しろ、もっとも大事な行動の最中なのだから、人間なんぞに構ってはいられないのだ。車にもどったぼくたちは、今度はヒキガエルを踏まないように、路面を見つめて慎重に次の渓へと向かったのである。 萌黄から新緑へ移る、春の二次林。もっともっと、大きくなれ! こんなはずじゃなかった! 次の渓も、林道が沿った渓だ。 イワナ釣りを始めて、あちこちの沢を探し回っていたころは、林道が沿っていない渓を地図でチェックして探索していた。これは他の釣り人があまり入っていないだろうと予測してのことだ。林道が沿っていない渓は、しかし、深くて険しい渓か、小さくて藪に苦労する渓と同じ意味である。帰り道がなくてそのまま流れの中を下ったり、杣道を探さなければならず、疲労が大きい。もちろんこうした渓は魚も釣れることが多いのだが、魚がそれなりに釣れて帰り道は林道をのんびり歩ける渓があれば、それに越したことはない。寄る年波とともに、次第に怠惰な釣りへと方向が変わってきたのは当然である。 そもそも、もう、たくさんイワナを釣りたいという欲求が薄れてきた。キャッチアンドストマックの釣りでは、釣った魚の処理が必要で、あまりたくさん釣れても後が大変なのだ。それに、昭和村の春の釣りには、山菜というオマケまである。だからUさんの釣り場選定基準は「山菜が採れるところ」なのである。 そんなわけで、午後の沢は、イワナは少し釣れて、山菜が採れるところにした。昭和村の山は、地区によって、入場料(「入山券」といっている)を払って山菜取りを認めているところと、山菜採りの入山禁止の看板を立てているところがある。ぼくたちはイワナ釣りに来て宿に泊まり、1日900円の入漁券を購入しているので、渓での味噌汁の具と少しのお土産分はお目こぼししてもらっているという立場。だからもちろん、自主規制しているのだけれど。 さて、この午後の沢には、ここ数年通っている。山菜もあるし、林道もあるし、イワナは少ないけれど景色がとてもいいからだ。やはり釣りはすてきな景色の中で楽しみたい。 ところがこの日は勝手が違った。イワナがたくさん釣れてしまったのだ。サイズは昭和村の沢の標準、17cmから24cmだが、3時間でぼくが12尾。Uさんも10尾近く釣った。これでぼくのこの日の釣果は17尾。昭和村2日間の豊漁の基準は20尾としているので、もうすぐ達成しそうである。うれしい悲鳴、プラスの誤算に満足しきって宿にもどり、温かい風呂、そして冷たいビールで乾杯。翌日の天気予報は、晴れ。 ちょっとこわい「滑床」の岩盤。Uさんは危うくずり落ちそうになった。ぼくは平気だったが、その理由は技術ではなく、ウェーディングシューズのフェルト底。Uさんのは古くて磨り減っていたのだ。夏の岩手までに買い換えるとUさんは決意した。 岸のスミレ。この種類のスミレがどこにも咲いていた。どなたか名前を教えてください。 大きなブナの木が残っている。
イワナの天国 源流近くのイワナは腹の赤みが強くなる。20cm。 人間の世界で言う「天国」は、雲の階段を登った上にあるらしい。しかしイワナの天国は、ブナの林の中にある。 だが、「イワナの天国」という言い方は、実に人間勝手な言い方だ。イワナの天国に人間が足を踏み入れたそのとき、そこはイワナにとって「地獄」に変わってしまう。 ぼくたちの間では、「イワナの天国」とは、仕掛けを入れたポイントの二つに一つ以上はアタリがあり、キープサイズのイワナが釣れる場所を言う。もちろん、ぼくたちにとっての天国である。前項「こんなはずじゃなかった!」の沢も、天国の区間があったが、アタリがほとんどない区間も1時間近く続いていた。だから、天国は地域や沢を示すのではなく、沢の中の区間を指す。 5月21日(日)にぼくたちが入った沢は、多くの区間が「天国に近い」、または「天国」の領域だった。去年は沢の入口から釣り始めて、まったくアタリがない区間もだいぶあり、傾斜もヤブもきつかったので、今回は沢の途中から入ったのだ。そうしたら案の定、マル。崩れたスノーブリッジの横をへつり、傾斜がゆるくなると、上るというより歩くというくらいで、しかも天国。ただ、夏場は草が伸び、葉が茂るのでとてもきついだろう。今の季節だけ「天国」楽しみ、あとは来年にとっておけばよい。
「楽しかったねぇ。」 「大正解だよ。」 そんな言葉を交わしながら、ぼくたちは流れの脇のコゴミの原やスミレの脇を、潅木の枝を避けながら帰途につく。 林道まで20分、そしてそこから車までさらに10分の道は、ちっとも苦痛ではない。山菜採りの人たちに声をかけ、景色の写真を撮りながら、軽い足取りで車にもどった。去年より一週間遅い景色は、萌黄から緑に変わっていた。 林道脇には雪がこんなに……。5月21日である。 「はつかり号」での初めてのイワナ釣りである。 お土産は「ひとめぼれ」 田植えを終えた昭和村中向。こんな景色に会いたくて、毎年通っているのだ。 まだ午前11時前だが、釣りはもうおしまい。濡れた釣り着を着替えて、村の景色の中を走る。田植えの季節、あちこちで人が出て作業をしている。だが、ぼくの目はいつもと違い、田んぼの端に置かれた苗箱に注目していた。 この時期、ぼくの職場である小学校でも、田植えの季節を迎えていた。今年は学習用の田んぼを広げて「本物の田んぼ」の雰囲気を作り、やっと水を入れて田植えの準備ができたのだ。ところが、今年も学校に届いた苗は、広げた田んぼには足りないことが判明、苗の調達が緊急の課題だったのである。誰もいない田んぼの隅に置かれた補植用の苗を見ながら、「これをだまってもっていったら、ドロボーだよね。」などとため息をつきながら、すてきな景色の中をさまよっていた。 助手席でUさんは、別のことを考えていた。実はUさん、ザックにいれておいた予備の釣り竿を、どこかに置き忘れてしまったのだ。気がついたのは釣りから車にもどったときなので、可能性のある場所は、朝メシを食べた場所かコーヒーを飲んだ場所か、それとも昭和館の部屋だと言う。朝メシを食べた場所は林道の近くなので、車で上って探したが、ない。コーヒーを飲んだのは納竿直前の場所だから、30分ほど歩かなければならないので、これはパス。 「宿の部屋にあればありがたいんだけど。」 「じゃあ、温泉に入ってから寄ってみようよ。」 というわけで、村営の昭和温泉しらかば荘であたたまってから、昭和館に寄ることにした。 まだ掃除をしていないとのことで、Uさんは部屋に上がっていったが、結果はバツ。ところが、がっかりしているUさんの横で、ぼくはハッと目を輝かせた。 「あのう、あまっている苗って、ありませんかねぇ。ほんの少しでいいんですけど。」 事情を説明すると、オヤジさんと息子さんが亡くなってから手伝いにもどっている娘さん(ぼくたちと同じくらいの歳)が、二つ返事で近くの家の苗代ハウスに連れて行ってくれた。昭和館では自家用の田んぼを持っていて、明日が田植えだとのこと。そこで、すでに田植えを終えて余っている家の苗を分けてもらえることになった。 「やったぁ!」 「いやあ、聞いてみるもんだね。」 ぼくは何度もお礼を言い、小さな発泡スチロールの箱に収まった「ひとめぼれ」の苗を、そっと「はつかり号」の荷台に積んだのだった。
福島県の山間部では、以前は「初星」という寒さに強い品種が奨励されていた。だが、「ひとめぼれ」が誕生すると、調査や試験の結果、味はもとより、耐寒性も「初星」より優れていることがわかった。そこで、ここ数年の間に品種の転換が進んだのである。 ちなみに、ぼくは新潟コシヒカリにはライバル意識を持っている。しかも、6年前に新潟平野の田んぼのフィールドワークをして以来、通常の栽培方法(「慣行栽培」。農薬や化学肥料を農協の指導通りに使う栽培)の新潟コシヒカリは信用していない。ぼくのおすすめは、岩手の「ひとめぼれ」である。田んぼを見れば一目瞭然。資料を読んでも、新潟での「減農薬栽培」と岩手での慣行栽培は同じくらいのレベルである。(このあたりは、「田んぼの水路でフナを釣る」の「フナは除草剤に負ケズ」や、拙著「春の小川でフナを釣る」(まつやま書房2001)を合わせて読んでほしい。) 昭和村大芦の田んぼ。山間部のこの村でも、圃場整備によってこんなに大きい田んぼになった。 「ひとめぼれ」を積んだ「はつかり号」は、村のあちこちを巡りながら、田島への舟鼻峠をゆっくりと上った。ブナの新緑が、峠を越えるぼくたちを見送っていた。 この峠のブナの木々を見たことが、ぼくたちが昭和村に通い続ける最初のきっかけになった。 今年、もう一度来たいな……。 そんな思いを抱いて、「はつかり号」は昭和村を後にしたのである。 峠のブナの木。
「東北の渓でイワナ釣り」のトップにもどる ホームページのトップにもどる |