コウノトリ 舞う郷へ

   
                里山の空を舞うコウノトリ。   2006.11.3  

 江戸時代には日本全国にいて、「松に鶴」の絵にも描かれたコウノトリは、明治以後の乱獲や樹木の伐採のためにその数を激減させ、第二次大戦後までかろうじて生きながらえていた個体も、水田などへの農薬の使用によって体を蝕まれ、最後に残った生息地である兵庫県豊岡盆地でも、1971年に野生個体が絶滅した。豊岡市の飼育センターで飼われていたコウノトリも、最後の1羽が1986年に死に、日本からコウノトリの姿が消えた。

 そのコウノトリが今、空を舞っている。田んぼの上から色づき始めた里山の裾を、大きな翼を広げて滑空する姿に、ぼくは小さく歓声を上げた。コウノトリは、ぼくの周りでゆっくりと弧を描き、羽ばたいて谷戸田の向こうに消えた。

 野生のコウノトリが日本から消えてからも、中国や旧ソ連から譲り受けたコウノトリによる繁殖の試みが続けられていた。1988年、東京都の多摩動物公園で、初めてコウノトリの人工繁殖に成功。翌1989年には、兵庫県のコウノトリ飼育場(現・コウノトリの郷公園の保護増殖センター)でも繁殖に成功した。その後、他の動物園での繁殖もすすみ、現在、日本で飼育されているコウノトリは200羽を越えている。
 兵庫県では、1992年に、コウノトリの野生復帰への取り組みを開始した。多摩動物公園など、他の施設との連携をとって個体数を増やし、1999年には飼育場を発展させた「兵庫県立コウノトリの郷公園」を開園、2002年には豊岡だけで100羽を越えるまでになった。
 そして2005年9月、野生化訓練をつんだ5羽が初めて放鳥され、全国に大きな反響を呼んだ。今、公園の野外にいるのは18羽だとのこと。うち2羽は、ロシアあたりから飛来した野生のコウノトリだ。野生の個体は2002年に日本にやってきて、あちこちで話題を提供したが、今は豊岡にいついている様子。これもすばらしいことだ。野外にいる個体の中には、風切り羽根の一部を切って、あまり飛べないものもいるとのことで、まだ試験段階を出ていないのだが、それにしてもすばらしいプロジェクトだと思う。
    
     まだ靄がかかっているコウノトリの郷公園を展望スポットから見る。
 コウノトリは、もともとはアジア大陸東部のロシアや中国東北部で夏を過ごし、冬に日本に渡ってくる渡り鳥だったらしい。それが、日本の暮らしが気に入って夏も北へ帰らないグループができたという。だから、渡り鳥のコウノトリと留鳥のコウノトリがかつて日本にいたわけだ。そして、冬場に日本ではなく中国南部に渡るグループは現在2,000羽から3,000羽いるとされている。しかしこの数は、やはり絶滅が危惧される数である。
 コウノトリのほかに、新潟県佐渡ではトキの野生復帰を目ざした取り組みが行われている。実は以前、ぼくはこうした取り組みには懐疑的だった。いくら飼育下で繁殖させても、彼らの餌場である水田地帯は昔と大きく様変わりしている。農薬を使い、圃場整備をすすめたために、彼らの餌となる生物は激減している。だから田んぼの環境を変えなければ、野生復帰しても生きていけないのだ。
 だが、数年前に豊岡の取り組みをテレビで見て、ぼくは衝撃を受けた。田んぼの環境を、変えようとしているのだ。フナがいてドジョウがいてメダカがいて、たくさんの虫たちが生きていた田んぼと里山を復活させることがコウノトリの野生復帰に不可欠な条件であることを、取り組んでいる人たちが認識しているのだ。これは本物だと思った。豊岡は、ぼくの憧れの地に変わった。

 2006年11月3日の午前8時半過ぎ、、丹後の久美浜から峠を越えて豊岡に入ると、さっきまでの快晴が霧に閉ざされてしまった。それでも、盆地に下るころには見通しのよい曇り空になった。
 兵庫県立コウノトリの郷公園は、第三セクターの「北近畿タンゴ鉄道」(旧・国鉄宮津線)の但馬三江(たじまみえ)駅の近くから東へ少し行った祥雲寺地区にある。水田とそれを囲む山、集落に集合住宅もある、よく見られる景観だ。しかし、看板にしたがって公園の入口を目ざして右折したとき、ぼくは田んぼの上を飛んでいる、大きく白い鳥を見た。
「えっ、まさか?」
 まさかではなかった。フロントガラス越しに見える大きな鳥の翼の先は黒い。アオサギではない、ダイサギでもない、まぎれもないコウノトリだったのだ。コウノトリは、ゆっくりと弧を描いたあと、公園の中に降りていった。
   
  公開されている開放ケージの中では、風切り羽の一部を切られてとべない個体が餌のドジョウをついばんでいる。動物園の雰囲気だが、放鳥された個体や野生の個体も舞い降りる。右上は、餌をめあてに来ているアオサギ。

 空を舞うコウノトリをこんなにも早く見てしまったので、心の準備ができていなかったぼくは、ハンドルを握りながら感動して涙を浮かべてしまった。ブレーキを踏み、車を駐車場に入れて、落ちてくる涙をそっと拭き、気を取り直してドアを開けた。ザックを背負い、カメラを首にかけて入口に向かう。
 コウノトリの郷公園は、入園無料。だから車止めだけで門はなく、すぐに敷地に入っていける。午前9時の開園の時間には、すでに数十人の人たちが三々五々集まっていた。目の前にある兵庫県立コウノトリ文化館の屋根には鬼瓦の代わりにコウノトリの置物が、と思ったら、なんと本物のコウノトリ。これを見てまた涙が出てきてしまう。ほかの訪問者に見られたら恥ずかしい。ほかの人たちは、みんな笑顔で、楽しそうに、うれしそうにコウノトリを見ているのだから。
   
                 コウノトリ文化館の屋根にとまるコウノトリ。
 もちろん、ぼくはコウノトリが空を飛ぶ姿を見ることができて、とってもうれしいのだ。うれしすぎて涙が出てくるのだ。でも、やっぱり恥ずかしいので、一生懸命、泣くのを我慢。
 公園入口の看板を見てびっくり。きょうからの3連休に、普段は非公開になっている繁殖ケージなどがある東側の谷戸が特別に公開されるというのだ。何という幸運! 公開は午前10時からなので、ゆっくりと園内を歩くことにした。
    
 自然観察ゾーンへの道。まさに「里山の道」です。田んぼはコウノトリの餌場として湛水中。
 特別公開されるゾーンへは、山裾の道を歩く。なんとも雰囲気のよい里山の道だ。それに、公園内と外を隔てる柵がないので、この地区一体が広い公園といった雰囲気。もちろん、近くに人家もあるのだが。まだ時間があるので、山の展望スポットへの小道に入る。10分ほど登ると、尾根にあずま屋があり、文化館から歩いてきた道や周辺の家々が見渡せる。公園内の谷戸田は、耕作はしていないものの、水が張られて生き物のすみかを提供している。公園一体は、大きなビオトープになっているのだ。

もうすぐ公開時刻。ゲートの前の人は意外に少なかった。

 テレビカメラも取材に。雲が切れて青空になってきました。

 飼育ケージの向こうのコウノトリたち。

 大掛かりな施設ですが、こういう施設に税金を使うことには大賛成です。

 まもなく10時。非公開ゾーンへ入るゲートには、10人くらいの人たちが公開時刻を待っていた。テレビカメラも来ているが、思ったより人数が少なく、のんびりした雰囲気。しだいに雲が切れて青空が見えてきた。
 係の人に促されて、いよいよ中へ。でも、特別に「秘密の施設」というわけではなく、いつもはコウノトリを驚かさないように、部外者を入れていないだけ、という雰囲気。金網に近づいてコウノトリの写真を撮ろうとしたら、「コウノトリがおびえるので金網に近づかないでください」と言われた。また、歩いている人がいても余り気にしないが、とまってじっと見られるとストレスをためてしまうとのこと。なるほど。
 いくつもある繁殖ケージには、ペアのコウノトリが入っていた。コウノトリはペアになるのに「相性」があり、気持ちが合わないと相手を殺してしまうこともあるそうで、ペアの選定は慎重に行っているという。「相性」の他に、限られた個体で血筋が濃くならないように、多摩動物公園など、他の施設の個体を導入したり、中国かロシアかというそれぞれの出身地にまで気を配っている。だから、ここに限らず、日本にいるすべてのコウノトリは「血統書つき」というわけだ。
 おだやかな日差しの下で、道のあちこちに座っている係の人たちも、おだやかな顔。「ご苦労様です」と声をかけながら、もと来た道をもどる。そのころには、非公開ゾーンを見にくる人も増えてきた。
 開いたままのゲートを出て、入口近くのコウノトリ文化館にむかう山裾の道を歩いていたとき、ぼくの正面から1羽のコウノトリが低空飛行して来た。向こうもぼくに気づいたらしく、やや左によけてぼくの横を通り抜け、大きく旋回してその麗姿をぼくに見せてくれた。ぼくは立ち止まって、青空に翼を広げて舞う美しいコウノトリを、じっと見つめていた。

      
 コウノトリの飛翔。なのに粒子が粗くてすみません。新しいデジカメをISO400で撮ったためと思われます。

 

   
 文化館には、牛とともに水辺にたたずむコウノトリたちの写真が飾られていた。今から40年以上前の、あまりに有名な写真である。ぼくはこの写真を見るたびに涙を流してしまう。

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