朝マズメ 夕まずめ 渡良瀬遊水地の夜明け |
釣りの世界に、「朝マズメ」「夕マズメ」という言葉がある。夜明けのころと、夕暮れ時は、魚の活動が活発で、よく釣れるという意味だ。 海の防波堤釣りでは、夜明けのころは貴重な「入れ食い」の時間だし、川の夕暮れは、羽虫を求める魚のライズの時間である。 だが、フナ釣りには、この言葉はあまり当てはまらない。早く釣り始めたい、よいポイントを押さえたいという欲求から、夜明けとともに釣り始める人もいる(ときどき私も……)が、フナ釣りには陽だまりや、青田の香り、土の香りが似合っている。風景としてだけではなく、水温が上がる昼間のほうが、魚の動きも活発なのだ。 でも、ぼくは夜明けが大好きだ。鉄道写真を撮ったり、魚釣りに出かけるために、ぼくは他の人よりずっとたくさんの夜明けを見てきたような気がする。そして、他の人と同じくらいの夕日を眺めてきた。釣りをしていなくても、朝と夕方の太陽は、心を沸き立たせるドラマを演出してくれる。 霞ヶ浦の夕日。湖面の向こうに、筑波山の姿が浮かぶ。 ヘラブナ釣りの名所、横利根の夜明け 2004.12.19. 日の出や入日を見たことがない子どもがたくさんいる、というニュースをこのあいだ聴いた。最近とみに増えたというようなニュアンスだったが、夕日はともかく、日の出を見たことがない子は、昔からずいぶんいたのではないだろうか。でも、それは子どものせいではなく、親がその時刻に子どもを連れて外に出ていなければ、見ることができないのだからしかたない。 ぼくは、東京都内の生まれだが、子どものころ、父親と一緒にフナ釣りに出かけていたので、夜明けの風景は途中の電車の中でよく見ていた。鉄道写真の撮影も、暗いうちに出かけるので、朝日は電車の中から見ていた。海の夜明けも、やはり子どものころよく行った、三浦半島の親類の家でたくさん経験した。だから多分、他の子どもよりもたくさんの夜明けを見てきたのだろう。そして、今でも夜明けが大好きだ。 夕焼けは、他の子どもたちと同じくらい見た。そして、鉄道写真を撮り始めてからは、夕日と列車の組み合わせを意識的にねらうので、他の大人よりも、夕日をよく見ていると思う。 岩木山の夕暮れ 2003.10.10. 津軽鉄道 五農高前 ぼくの勤務している学校の子どもたちは、他の学校の子に比べて、たくさんの夕日を見ているのではないか。何しろ、家に帰ってから、また学校に遊びに来て、暗くなるまで、いや、暗くなっても校庭で遊んでいる子がけっこういるのだ。ぼくの学校は、多摩川河川敷の市民グランドに面していて、校庭もそのグランドの一部を使用している。そして、どこからでも出入り自由なので、放課後の校庭は子どもたちの遊び場と化す。もうすぐ成人になるくらいの卒業生が何人も、子どもたちにサッカーを教えに来る。(いっしょに遊んでいると言ったほうがいい。でも、この青少年たちのおかげで、校庭に「不審者」が来ないのかも。)そしてみんな、なかなか帰らない。ときどきぼくは、「もう暗くなりました。早くお家に帰りなさい」と、アナウンスしている。 そんなことだから、夕日どころか夕暮れを毎日のように味わっている子がたくさんいるのである。何て幸せな子たち、と思う。 「田んぼと里山の春」に泳ぐ ホームページのトップにもどる 水辺の環境民俗学のトップにもどる 「田んぼの水路でフナを釣る」のトップにもどる |