2006.5 北陸LRT訪問記

       

 大宮で新幹線を乗り継ぐ
 いつも上りの「こまち」で帰るとき、大宮駅に到着する前の乗り換え列車のアナウンスの最初に、上越新幹線の案内がある。「新幹線を乗り継ぐなんて、そんな人、いるのかよ」と思っていたぼくが、「そんな人」になった。
 5月4日、秋田内陸線訪問を終え、角館から「こまち28号」で南下したぼくは、大宮駅で上越新幹線の「MAXとき347号」に乗り換えたのである。翌日の富山での「ライトレールとまちづくりフォーラム」に参加するためだ。
 5月2日(金)の夕刻に八王子を出発、夜遅く秋田県北秋田市鷹巣に到着、3日は内陸線のプロモーションビデオの撮影(ぼくはカメラの横ではしゃいでいただけ)、4日は鷹巣のFさん一家といっしょに青森県大鰐のデザートレストラン「シュバルツバルト」でおいしいガトーショコラ。大鰐から列車で鷹巣までもどり、内陸線の「もりよし3号」で角館に出て、「こまち28号」に乗ったのだ。この日のうちに富山に入るために、東北・上越新幹線の乗り継ぎを初体験したわけである。

 富山駅北の賑わい
  
   新設された軌道を走る「ポートラム」。   2006.5.5  富山駅北付近

 今年の1月に、ぼくは北陸を訪れている。その報告は「2006.1北陸の旅報告」を見ていただきたい。その1月の旅のときには工事中だった「富山ライトレール」が4月29日に開業となった。開業当日の話は全国鉄道利用者会議のMさん(関西大学院生)からメーリングリストで配信されたが、15分間隔の電車に乗るのに1時間も並んで待つという大変な賑わいだったとのことである。
 5月5日の朝8時、富山駅北口のライトレール(「ポートラム」という愛称がつけられている)の乗り場に行く。さすがにこの時間は行列はない。だが、見物をしたり、乗ってみたりという客は何人も来ていた。ぼくも乗りたかったが、9時にこの場所に集合することになっているので、それまでは「おあずけ」にして、コーヒーを飲みに行った。

 これは富山地鉄市内線の新型車8001号。駅の正面口(南口)を走っています。

 これが「富山駅北」停留所(というのかな、駅なのかな)の富山ライトレール「ポートラム」。
 
   こんな顔をしています。

 一編成ずつ色が違います。秋田内陸線みたい。

 8時40分、再び北口へ。今度は受付が用意され、すでに10人以上の人が集まっていた。全国鉄道利用者会議の原田事務局長が受付にいたので、ごあいさつ。清水孝彰代表も、他のメンバーも来ていた。
 9時発のポートラムに乗り、途中の城川原で一度降りて、駅で撮影。でも、他の多くのメンバーは次の電車で来るようだ。乗れなくはないが、座席はもちろんない。
 終点の岩瀬浜でドヤドヤと降りる。ベンチでボーッと電車を眺めていたら、「いどうしますよーっ」の掛け声。近くの「岩瀬カナル会館」(道の駅のような施設)前で、地元岩瀬浜の人たちが待っていた。これから岩瀬浜を案内してくださるとのこと。ぞろぞろとついて行く。

 運転席の展望。ここは富山港線の線路をそのまま使っている。
    岩瀬浜駅に浜黒崎海水浴場行きの接続バスが来ていたが、乗客がいなくてかわいそう。夏は混むでしょうね。 

 こんな料亭が現役でした。北前船の港町の景観保存をしています。
 
 くず鉄を買いに来ているロシア船。船員たちが自転車でどこかへ出かけて行きました。
 ぼくは岩瀬浜は初めて。富山港線のイメージから、工場地帯だとばかり思っていたら、北前船で賑わった由緒ある港町なのだ。回船問屋の建物が保存されていて、楽しい説明もしてもらった。
 
 内容がたっぷりのフォーラム
 午後、カナル会館の2階でフォーラム。カナルとは運河のことで、建物の向こうはマリーナになっている。ポートラム開業に合わせてリニューアルしたそうだ。
 講演は、鉄道研究家の服部重敬氏。LRTの研究が専門で、こんど「路面電車新時代」という本を山海堂から出版した。
 講演の内容から、少しいただく。
 
LRT(ライトレール・トランジット)の定義
・単なる路面電車の延長ではない。
・事業者の都合ではなく利用者本位のサービスを行う。 
・交通機関としての質の高さを持つ。
・都市の装置として位置づけ、公共性を重視する。
・都市計画と連携する。
・多様な交通モードを統合する。
・その都市のシンボルとして位置づける。

                   
 富山ライトレール開業の要因
富山ライトレールは、恵まれた要因がいくつも組み合わさって、早期開業に至った。
・クルマ社会、都市のスプロール化に行政が危機感を持っていた。
・自治体首長のリーダーシップがあった。
・市が明確なまちづくりの方針を持っていた。 
・富山駅高架化の財源があり、これの一部を使うことができた。
・国の強力な支援があった。
・地方交通事業者が一社(富山地鉄)で、県と市の協力関係もあった。
・LRT化を目ざす先進事例があった(高岡市の万葉線)。

 そして服部氏は、行政がハード面を短期間で整備したため、住民の運動がまだ盛り上がっていないことを指摘、今の開業ムードのあるうちに、住民による支援体制を作ることが必要だと指摘した。
 服部氏は、「住民の意識転換が過大だ。これまでの、『財貨(モノ)の保有』から、『機能(システム)の保有』の優位性を意識していくことです。」「車に乗っている人に、電車に乗り換えなさいと言うのではなく、10回に1回は電車を利用してもらうこと。これだけで公共交通機関は活性化します。」と話した。本当にそうだとぼくも思う。
 講演のあと、富山、金沢、福井の市民団体の取り組みの紹介があり、廊下にはLRTを紹介するパネルも展示された。
 日本で初めての本格的LRTとなった富山ライトレールが、全国の都市交通のモデル線区となり、他の都市へこの動きを波及させていきたい。思いを新たにしたフォーラムだった。          

 フォーラムで講演する服部重敬氏

 このパネルは富山、高岡、金沢、福井とリレーされる。
 
 うーん、ヨーロッパの都市の夜の雰囲気。ぼくは行ったことないけど。

     パネラーから報告。

 福井鉄道の低床電車に乗る
 フォーラムのあと、カナル会館の広間で交流会@ビール。そして岩瀬浜からポートラムに今度は座って富山駅北にもどり、地下道をくぐって駅前へ。清水孝彰さん、東京のAさん、横浜のHさん、、関西大学院生のMさんとぼくで、二次会。場所は、「全国どこでも地元」というMさん(地理学専攻なのです)の案内で、駅から5分ほど歩いた「鮮」という店。これがよかった!
 お通しがキトキトホタルイカの茹でたて。これが本物のホタルイカだと聞いて、思わず写真に撮ってしまった。刺身も煮魚も……。
  
 これが本物のホタルイカ。おいしかった!
 最後の1匹になって慌てて撮った。
 
 青森から夜を徹して走ってきた「日本海4号」。
     2006.5.6 加賀温泉 

 翌日朝、富山5時45分発の「しらさぎ2号」で福井へ向かう。ただし、ぼくの「北陸フリーきっぷ」のエリアは加賀温泉までなので、ひとまず降りて、後から来た寝台特急「日本海4号」を撮る。この列車、途中でぼくの「しらさぎ」に抜かれてしまったのだ。客車は最高速度が遅いので。)
 「日本海4号」と「しらさぎ2号」に松任で抜かれた敦賀行きの普通電車に乗り、福井に7時43分着。コインロッカーに大きなバッグを預けて、福井鉄道の駅前停留所へ。
 福井鉄道では、今年4月から、名鉄岐阜市内線を走っていた低床電車を運用の中心にすえて、「地方鉄道」からLRTへの変身をはかっている。1月にぼくが訪ねたときとは大きく変わっているはずだ。
 福井駅前で最初に見たのは、しかし以前と同じ大型の鉄道車両。朝夕は輸送力確保のために大型車を使うとは聞いていたが、連休中でも見られたのはぼくには幸せ。
 市役所前から、正面2枚窓の200形に乗る。途中の神明止まりで、乗客は高校生2人だけ。セミクロスシートの車内がうれしい。鉄道線に入った福井新で降り、少し歩いて折り返す。
 今度やって来たのは名鉄からの低床車。1両なので、まるで路面電車。福井新駅のホームは、ほかの鉄道線内の駅と同様、低床車に合わせて低くなった。この「モ800型」は、乗ってびっくり。真ん中のドアから乗ったのだが、運転席のほうへ行くのに「上り坂」になっている。なんでも、「部分低車」というそうで、車端部の出入り口には階段がある。外観はまるでボール紙の工作キットみたい。
 2両編成の低床車は、雰囲気がなかなかよいが、車内に入るには、どのドアからも階段になっている。それでも、大型車の「驚異のタラップ」よりはずっと乗りやすい。
低くなった鉄道線のホームでは、大型車はタラップを使う。 2006.5.6 福井新 800型と、お役御免となった120型。この違い!

 800型の車内。ずいぶん狭い。
  
 これは2両連接の770型。

 床は低くなって乗りやすくなったのだが、車両サイズが小さくなり、ラッシュ時などは混雑が増したとのこと。増発などの改善策を実施して、「混むなら乗らない」と考える客を逃がさないようにしてもらいたい。

 福井駅前の800型。1月の写真と比べてみてください。
 
             鉄道線を快走!

 駅前へは単線で。すてきなモールのようだ。

 これが新しい福井の街の風景。

 「はくたか」自由席に座る
 福井滞在2時間で、9時44分発金沢行きに乗る。乗車券は加賀温泉まで買い、加賀温泉10時17分着。後ろから来た10時23分発の「しらさぎ1号」に乗り換え、金沢10時48分着。それにしても、ぼくのようなフリーきっぷ利用者にはありがたい「緩急接続」である。
 金沢駅前の地下広場では、「金沢LRTとくらしを考える会」など北陸の市民団体の人たちが、パネル展示と午後のフォーラム会場の準備をしていた。広い広場(広いから「広場」なのだが、新宿西口のそれよりもずっと広い)の一角を展示用パネルで仕切って椅子を並べてある。大掛かりな仕掛けにびっくりした。

 金沢での準備風景。先に帰ってすみません。

 これが金沢のLRT構想です。



 展示をしばらく見たあと、清水孝彰さん、ふくい路面電車とまちづくりの会」(ROBA)の清水省吾さんにあいさつして、「はくたか81号」を待つために駅へ。
 帰りの指定券は10時14分発の「はくたか9号」だったのだが、この展示を見ることにして遅らせようとしたら、どの列車も満員。金沢通いの多い清水孝彰さんに「はくたか自由席は金沢からなら座れる」と言われて、11時58分の臨時の「はくたか」にしたのだ。発車の30分前にホームに出ると、禁煙自由席(自由席は2両で、1両は喫煙)の列には10人ほど。なるほど、これなら大丈夫。
 定刻に「はくたか」は発車。臨時列車ということもあってか、金沢では乗車率30%ほど。石動、高岡と乗客が増え、富山で100%を少し越えた。

 北陸の田んぼは寒かった
 列車は1月のときと違って順調に走ったが、景色を見るぼくの心は寒かった。田植えの準備をしている田んぼの畦のほとんどは、茶色く草が枯れていたからだ。畦に除草剤が撒かれているのである。
 今、多くの田んぼには除草剤が使われているのだが、畦の草にまで除草剤を散布することが広まっている。除草剤を撒かれた畦は草が枯れて茶色くなり、見るからに寒々しく、これが日本の田園景観を破壊しているのだ。除草剤の人体への影響、という前に、景色が破壊されているのである。
 新潟平野でも、そして関東平野でも、多くの田んぼの畦に除草剤が撒かれている。農業の大型化と従事者の高齢化で畦草刈りの手間を省きたいのはわかるが、この田んぼの風景を見たら、ここで獲れた米は食べたくない。
 東北地方では、まだあまり畦への除草剤散布は広がっていないが、それでもぼくがチェックを始めた7年前より確実に増えている。(秋田県が一番多い。)
 くわしいことは、ぼくが2001年に出した「春の小川でフナを釣る」(まつやま書房)を読んでいただきたい。また、このホームページの中の「田んぼの水路でフナを釣る」にも書いているので、ぜひどうぞ。
 そんなわけで、田んぼの現実にも触れてしまった北陸の旅となった次第。越後湯沢で「たにがわ416号」の自由席に座って、日本の農業に思いを馳せた、5月の北陸の旅だったのである。

 
 金沢駅で買った「焼き鯖ずし」は、ノルウェー産のサバの身が異常に厚くてコロコロ、飯といっしょに口に入れることができなかった。1月に清水省吾さんに教わった福井駅前の店の焼き鯖ずしのほうがよかった。(今回は朝だったのでまだ鮨が置かれていなかったのです。)

   車窓から茶色の畦がよくわかる。これが日本の田んぼの現実。
 JR東日本系列のNRE(旧・日食)では、東北地方の緑の田んぼを車窓に見せながら食べる弁当にカリフォルニア米を使っている(O-bentoシリーズ)のだから、こっちは詐欺に近い。
 
 まだ元気な475系国鉄色塗装車。金沢で会いました。
 
 富山ライトレール  城川原 06.5.5  

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