最高気温が35度まで上がった8月の金曜日、まだ照りつける夕方の太陽を背に、オオクマは汗をかきながら多摩川の橋を渡っていた。欄干から見下ろす流れは、減水していて、ぬるまっているように見えた。
駅前のレストラン、「ネパールキッチン」に着いたときには、オオクマは全身汗だらけ。すぐにトイレで着替えをして、
「生ビールください!」
と言いながらテーブルについた。
「待っていなくてもいいんですか?」とセツコさんにきかれたが、
「うん、モリサワは待ってもビールは待てない。」
と、オオクマはまもなく運ばれてきたジョッキをすぐに傾けた。
オオクマがジョッキを飲み干そうとしたとき、バタンとドアを開けてモリサワが大きな靴音で入ってきた。
「久しぶりです。あっ、オオクマさん、もう飲んでるんですか?」
モリサワが口を大きく開けた。
「オレも一杯ください。」
「ぼくもおかわり、ね。」
運ばれてきた二つのジョッキが、まだほかに客のいない小さな店に、カチリと音を響かせた。
「どうだい、南多摩市の学校は?」
オオクマが聞くと、モリサワは唇についた泡を腕でぬぐって、その腕をテーブルにドンと載せた。
「そうなんですよ、いやあ、びっくりすることばかりですよ。」
モリサワは、オオクマが前の学校にいたときの同僚だ。年はオオクマより下だが、体も胃袋もオオクマよりでかい。今年、南多摩市に異動したモリサワから1年ぶりで電話があったので、この店で待ち合わせたのだ。
「何年の担任なんだい?」 「3年です。2クラスで、子どもは22人ずつなんで、楽なんですけどね。」
「じゃあ、いいじゃないか。ぼくは35人持ってるんだぜ。」
「すいませんね、楽してて。で、ね、聞いてくださいよ、ひどいんですよ、こんなことってアリなんですかね。」
「どうしたんだよ。」
「それがね、年度の最初に、教師用の教科書や指導書を引き継ぐじゃないですか、そのときにね、あれっと思ったら、指導書がないんですよ。それで、隣のクラスの先生に聞いたら、指導書は学年1冊しか来ないんですよ、って。」
「ウソだろ?」
「でしょう? オレもびっくりして聞き直したんだけど、何年か前から、財政難だからって、それまで全員に来ていた指導書を、学年1冊にしたって言うんですよ。もう、信じられませんよ。それで、その1冊の指導書を職員室の戸棚に入れてあるんだけど、指導書って、フッと見てみたいときって、あるじゃないですか。そんなとき、教室からいちいち職員室に戻らなきゃならないなんて、まったく利用価値がありませんよ。ぼくなんか、年配の人と組んでいるからまだいいけど、若い人が相手だと、やっぱり、指導書を読ませてやりたいじゃないですか。他の学年の年配の先生は、だから、指導書を若い人に持たせっぱなしですよ。」
「そんなことって、ありなんだ……。」
小学校の場合、担任教師には、子どもと同じ教科書と、教科書に赤字で指導のしかたを書いてある「指導書実践編」(いわゆる「赤本」)、それに、指導案や教材の解説が載っている「指導書研究編」が支給されている。
「それがね、教科によって、赤本まで1冊しかなかったりするんですよ。」
モリサワは、ジョッキの底のビールを飲み干して、
「おかわり、ください」
と言って、つまみのマトンの干し肉を運んできたセツコさんに、ジョッキを差し出した。
「あのう、口をはさんですみません。それで先生たちは文句を言わないんですか?」
「いや、校長会でも組合でも市教委に毎年要求しているそうなんですけど、だめなんですよ。ほしかったら自分の金で買えってことらしいですよ。」
「それって、たとえは悪いけど、兵隊2人に鉄砲1挺しか支給しないで前線に投入するようなものだね。太平洋戦争末期の日本軍がそんな調子だったな。」
「オオクマさんって、戦争マニアだったんですね。」
お替りのジョッキを受け取ったモリサワは、びっくりした目でオオクマを見た。オオクマは、飲みかけたビールを噴き出しそうになった。
「人聞きの悪いことを言うなよ。あのね、戦争とか軍隊のことをしっかり学んでおかないと、同じ間違いをしてしまうかもしれないから、勉強しているんだよ。そりゃあ、子どものころは戦闘機や軍艦のプラモデルが好きだったけどね。」
「じゃあ、『軍国少年』ってわけですね。」
モリサワが納得したようにうなずいた。
「あのね、これでもぼくは、戦後ずっと経ってから生まれたんだよ。あのね、たしかにぼくの子どものころは、少年マガジンや少年サンデーで戦記マンガが流行っていた時代だけどね。」 オオクマの体がだいぶ揺れてきた。
「あのね、ぼくはそのころ、『どうして戦争の時代に生まれなかったんだろう』と残念がっていたんだよ。そのころはね、戦争の時代にあこがれていたんだよね。」
「恐ろしいことを。」
サラダとモモ(ネパール風小籠包)を運んできたセツコさんの顔がこわばっていた。
「ほんとに、今考えると恐ろしいよ。」
オオクマは深くため息をついた。モリサワが質問した。
「そうすると、オオクマ少年の思想転換はいつだったんですか?」
オオクマはネパール酒をセツコさんに注文してから、モリサワのほうを向いた。
「あのね、中学、それとやっぱり高校時代だね。ぼくは小学校のときから地図を見るのが好きでね、地図帳が擦り切れるくらい、いつも眺めていたんだよ。そうしたら、あのね、ちょうどそのころ、高度経済成長といっしょに公害問題があちこちで出てきて、ニュースで取り上げられると、ぼくはその場所がすぐにわかるんだよ。そして地図帳を見て、『ウーン』って唸ってたんだよ。ぼくは魚釣りも山登りも好きだったから、川の汚れや埋め立てとか、林道建設なんかにも敏感だったしね。だから、『公害反対』っていう立場にすぐに立っちゃったんだ。あのね、そうすると、今の世の中は間違っているって思ったんだよ。日本の国を壊しているのが政府なんだから。」
「なるほど、じゃあ…」
「ちょっと待てよ。それでね、あのね、戦争で死んだたくさんの人たち、ぼくの叔父さんも海の底なんだよ、まさに『水漬く屍』なんだよ。戦艦『金剛』って知ってる? 海上自衛隊のイージス艦の『こんごう』じゃないよ、まったく、おんなじ名前をつけるなよな!」
「いやあ、知りません。」
「ンモウ、日本の戦艦の名前ぐらい知っとけよ、日本の常識だぞ!」
オオクマはネパール酒を「グィッ」とあおってから話を続けた。
「それでね、あのね、何だっけ、そう、『金剛』ね、台湾のすぐそばで、アメリカの潜水艦に沈められたんだよ。その『金剛』の機関室に、ぼくの叔父さんが乗っててね、そのまま沈んじまったんだよ。」
「その叔父さんに、オオクマさん、かわいがってもらったんですね。」
「バカ! 俺は戦後生まれだよ。叔父さんは写真でしか見たことないんだよ、常識だろ、そんなの。」
モリサワは天井を向いて、オオクマの年を改めて数えた。テーブルについたオオクマの肘が、ユラユラと揺れている。
「だからね、あのね、戦争で死んだ人たちは、日本を守ろうとしたんだよ、家族を守ろうとしたんだよ、故郷の景色を守ろうとしたんだよ、わかるか?モリサワ!」
「はい。」
「だけど、戦争に負けた。そりゃそうだよ、アメリカと戦争したって勝てっこないんだよ。俺、歴史を一生懸命勉強したよ、だから、よくわかったよ。戦争を始めたやつらが悪いんだよ。だけどね、あのね、『国破れて山河あり』だったんだよ、ウツクシイ日本の山河が、残ったんだよ、その山や川を、何で今の政治家がブッ壊すんだよ、俺は許せないよ。」
「それって、1970年ごろのことですよね。」
「オウ、よく知ってるじゃないか、あのときは、そう、『シンゼンソウ』って、モリサワ、知ってるか?」
「すいません。」
「バカ! あのね、『新全国総合開発計画』っていうの。それでね、70年アンポってのがあってね、デモに行くわけよ、でも、俺は安保よりも『新全総』のほうが問題だと思ってたから、プラカードに書いたんだよ、『新全総粉砕』って。そしたら、デモのリーダーがさ、『オオクマくん、それ、何のこと?』って聞くんだよ、俺に。もう、いやになっちまったよ。セツコさん、もう一杯おかわり!」
「もうダメですよ、オオクマさん、帰れなくなっちゃいますよ。ほら、水、みず!」
セツコさんが差し出した冷たい水を、オオクマはグイグイと飲み干した。
「ウーン、酔っ払っちゃった。フーッ、ところでモリサワくん、きょうは何しに来たの?」
モリサワは手に持っていたジョッキを落としそうになった。
「あーあ、オオクマさん、きょうは、南多摩市の教員の全員研修会の最終日なんですよ。5日間もやったんですから。だから、モリサワさんにその話を聞いてもらいたくて、電話したんですよ。」
「そうだったっけ。それで、なんていう研修なんだい?」
「レベルアップ研修。」
「なんだい、それ?」
オオクマは、あぶなくコップを落としそうになった。
「だって、さっき、南多摩市は指導書も満足にくれないって言ってたじゃないか。それで、5日間も全員を集めて研修会をして、『レベルアップ』なのかい?」
「そうなんですよ。」
オオクマは、少し考えてから、ニコニコ笑いながら話し始めた。
「あのね、帝国海軍の戦闘機に、『月光』っていうのがあったんだよ。アメリカの爆撃機を何機も撃墜した、優秀な双発戦闘機なんだけどさ。」
「それが何か関係があるんですか?」
モリサワは怪訝な顔をした。
「あのね、南多摩市の教育委員会ってね、『月光』の片方のエンジンに燃料を送らないでおいてね、これを『片肺』っていうんだけどさ、その『片肺』で高い空に上がってB29を打ち落とせっていうのと同じことしてるんだね。笑っちゃうね、大本営以下だよ。」
オオクマは一人で笑い出した。モリサワは、大きなため息をついて、久しぶりのオオクマの笑い顔をだまって眺めていた。ちょうど入ってきた三人連れのアメリカ人の客が、不思議そうにオオクマの顔をうかがっていた。
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