オオクマ教諭の獄門島日誌
 くまのたいら小学校のオオクマ校長先生の息子、オオクマタカシは、人間の姿になって秋田大学を卒業、東京都の小学校教員として、また、全国ツキノワグマ連絡会とクマネット(ツキノワグマとブナの森を守る全国ネットワーク)の連絡員としての日々を送っている。これはオオクマタカシの職場の記録である。
 もちろん、この物語もフィクションであり、登場する人物や団体は実在のものではありません。

 主幹が来ない! 

 3月のある日、オオクマタカシの勤務するヒバリが原小学校の職員室に、その一報が届けられた。
 「ウチには主幹が来ません。」
 朝の打ち合わせで、思いつめたような眼差しの校長が、職員にそれを告げたとき、どよめきとともに、職員室の中に、ゆがんだ顔とあきれた顔が同居した。オオクマは、机に向かったまま、「アッハッハ」と、声を出して笑ってしまった。
 打ち合わせが終わったあとで、5年担任のヨネシロ教諭が、あきれた声で同僚たちにつぶやいた。
 「いったい、どういうことなんだい? ウチには主幹様はいらないってか!?」
 「ボクたちは都教委に見放されたんですよ。」
 オオクマは、笑いながら言った。3年担任のマツエ教諭が、のっそりと立ち上がった。
 「やっぱり、獄門島には大切な人材はよこさないってことですね。」
 「勝手にやれってことかい?」
 「いっそ、梁山泊を名乗るか?」
 「解放区とか、カルチェラタンにしましょうよ。」
 「カルチェラタンじゃあ、ちょっと雰囲気が違うんじゃない?」
 勝手なことを言って盛り上がっている職員たちの横で、1年担任のフクブ教諭だけは、ため息をついて頭を抱えていた。
 「ああ、たいへんだ。4月からは、忙しすぎるゥ!」

 「主幹」とは、都教委が2003年度から学校管理規則の中に位置づけた、教頭と教諭の間の職制である。教諭の中から選出され、仕事に向かなければ「ヒラ」に戻れるこれまでの「主任」と違い、試験による任用で給料表も違い、しかも「降格」ができない(ヒラの教諭には戻れない)という「中間管理職」で、ここ最近の都教委の一連の管理強化策の一環として、内外に話題を提供している。
 「でも、都教委は、全校に主幹を置くって、言ってたじゃないですか?」
 図工のコナカノ教諭が、アイヅを振り返って首をかしげた。
 「将来的にはな。だか、あと数年は、バラツキがあるよ。市内でも、主幹が2人いる学校もあるんだからな。結局、主幹制度に人気がなくて、受験者が予想より少なかったんじゃないのかい。受験者全員合格ってわけにも行かなかったんだろうしな。」
 「大切な幹部候補生の主幹を、ウチのような学校によこして、つぶされたらたいへんですものね。」
 コナカノの言い回しがおもしろかったので、職員室は、またドッと沸いた。
 「そんなわけだから、フクちゃん、来年度は、任せたよ。」
 アイヅは大きな声で、フクブの肩を叩いた。フクブは、顔をゆがめて、「ヒィーッ!」と叫び声を上げ、職員室はさらに盛り上がった。

 ヒバリが原小学校には、今年度は、「主幹」が1名いた。「獄門島の若者頭」こと、6年担任のアイヅコウゾウが、その「主幹」を務めていたのだ。
 「主幹」制度1年目の今年度は、その学校にいる教諭が、都教委の論文と面接試験を経て、そのまま同じ学校で「主幹」に任用されることができた。だから、一番の古株で強面、そしてパソコン能力が師範級のアイヅを仲間がそそのかし、試験を受けさせたのである。ここ数年、ヒバリが原小学校では、アイヅが教育計画や様々な学校内のシステムをデジタル化し、大きな成果を上げていた。
 そのアイヅ主幹が、異動の年限がきて他校に移ることから、今度来る「主幹」の人となりが、職員室中の話題だったのである。
 デジタル化の先端を行くヒバリが原小に来る「主幹」は、パソコンを使いこなせなければいけない。子どもも大変、親も大変、教師はスネに傷を持つ者が集まる「獄門島」こと、ヒバリが原小に来る主幹は、身体強健で意志強固、しかも「獄門島」の仲間の信頼を得られなければならない。もちろん、酒が飲めるべきことは自明である。
 ところが、どうも、試験を受けて「主幹」になる人間の質が、あまりよくないらしい。ある教育委員会の幹部が、「ロクな主幹がいない」と愚痴っている状況なのだ。管理職の登竜門として「主幹」をめざす者の中には、「出世」だけを考える人間も当然いるはずだが、それにしても、教育委員会が作った制度を教育委員会の人間が愚痴るのだから、困ったものだ。
 そんなことだから、ヒバリが原小の教員たちには、今度来る「主幹」が、仕事のできる人間か、好人物か、威張るだけの人間か、仕事ができない「困ったちゃん」なのかが、学校運営にかかわる重大な問題だった。
 その「主幹」が、来年度はヒバリが原小に配置されない、というのだから、職員室で異様な盛り上がりになってしまったのである。

 さて、フクブ教諭が頭を抱えた理由である。彼は、教員の中でアイヅの次にパソコンが得意なのだ。だから、異動でいなくなるアイヅから、来年度の学校運営のデジタルマニュアルを引き継いで次の「主幹」に教えるために、何ヶ月も前からアイヅの特訓を受けていたのである。ところが、「主幹」が来ないということは、教える相手が来ないだけではない。来年度の「主幹」がやるべき仕事を、「主幹」よりも給料が安いフクブ教諭が担わなければならないのだ。
 「そんなの、ありぃ!?」
 フクブは、みんなが教室に散ったあとも、放心状態でパソコンを見つめていたのだった。

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 新採が来る!
 
 3月のある日、ヒバリが原小学校の職員室に、大きなどよめきが起こった。
 「主幹は来ませんが、新規採用が来ます!」
 校長の大きな声が、朝の職員打ち合わせの冒頭に響き渡ったのである。

 「エーッ、ウッソー!?」
 「信じらんない!」
 「血迷ったのかい、市教委は?」
 またまた職員室が盛り上がった。
 
 打ち合わせのあと、4年担任のヒヤマ教諭が、誰にともなく、つぶやいた。
 「ウチに新採が来るなんて、何年ぶりかいな。」
 最古参のアイヅが、真顔で答えた。
 「オレも、聞いたことがないなあ。」
 「獄門島に新採なんかよこして、どうするつもりなのかしら。」
 コナカノが、あきれた顔でつぶやいた。マツエが、のっそり立って言った。
 「ウチに来るんでしたら、怖い顔で、生意気で、肩で風を切って歩くような人じゃないと、務まりませんよね。」
 「もとはヤンキーだったとか……。」
 コナカノが言うと、マツエがニヤッと笑った。
 「そう、アイヅさん見たいな人がいいですよね。」
 すると、ヒヤマが
 「いまどき、そんな新採なんか、おらんよ。みんなおそろいの、グレーのスーツ着とるんやから。」
と、右手を横に振った。
 「市教委も、何考えとるんかなぁ。ウチみたいな職場に、エエとこのボンボンやら、深窓の令嬢みたいな子ォよこしたら、つとまらんやないか。」
 「ほんとですね。」
 「それより、大変やでェ。新採の指導は、誰がやるんかいな。学担決めんのやって、こらぁきつくなるでェ。」
 ヒヤマの言葉に、職員室の盛り上がりは、ため息に変わってしまった。

 ヒバリが原小学校の教員の平均年齢は、50歳。高年齢化が取りざたされる学校現場の中でも、やっぱり高いほうだ。なにしろ、30代半ばから下の教員がいない。以前、生意気な5年生の男子が、「ウチの学校の先生は、年寄りと病人ばっかりだ」とつぶやいたくらいである。
 ここ10年ほどの間、毎年の教員採用者の数が増え、市内でも、一校に2人の新採が配置されるケースさえ出てきている。それなのに、ヒバリが原小には、10年以上もの間、新採用はおろか、20代の教員すら存在しなかったのだ。
 
 「それにしても、主幹の代わりに新採だなんて、市教委は何考えてるんですかね?」
 オオクマは、書類の散らかった机にほお杖をついて、横目で教頭に視線を送った。うっかり目を合わせてしまったヒライ教頭は、
 「ワ、私に聞かないでくださいよ。」
と、椅子に座ったまま、あわてて体を反り返らせた。

 10年ほど前に、文部省が新採用者への研修制度を強化してからというもの、新採本人も、それを迎える職場も、格段に忙しくなってしまった。新採が研修で学校を空ける時間が増え、その分、子どもたちとふれあう時間が減った。そして、学校の中でも、指導教員を決めて、新採に対する研修を設定しなければならず、指導教員が新採の授業を指導している時間は、自分のクラスの授業を、非常勤の講師や再雇用の嘱託に委ねることになっている。 ふつう、指導教員には、同じ学年の教員があたるので、校長は、誰を指導教員にして何年生を担当させるかを考えて、学級担任の編成をしなければならない。だから、新採を迎えると、活気が出る半面、忙しさも増すということになるのだ。

 「ねえねえ、今、若い女の子が、玄関から校長室へ入って行ったわよ! 新採の人かしら?」
 どよめきから数日後の夕方近く、職員室に入ってきたコナカノ教諭が、小さめの大きな声で緊急報告した。
 「オッ、どうだったい、強面のネエチャンかい?」
 ヨネシロ教諭が椅子をくるりと回して聞いた。
 「くやしいけれど、アタシより美人だわ。」
 「よし、誰かお茶でも持って行くかい?」
 ニコニコ笑って立ち上がったヨネシロを、音楽のヌマヅ教諭が一喝した。
 「だめよ、ヨネシロ先生! ここは、ジイヤに行っていただきましょうよ。ねぇ、ジイヤ?」
 ヒヤマがニヤニヤ笑って立ち上がった。
 「こういう役目は、枯れたオトコがするモンや。」

 しばらくして、校長室からヒヤマが戻ってきた。
 「ウン、かわいい子や。」
 「じゃあ、『はきだめにツルが来た』ってわけだ。」
  そう言いながら顔を上げたオオクマは、コナカノとヌマヅの冷たい視線の十字砲火を浴びてしまった。
 「どうせアタシタチは、はきだめのゴミですよっ!」
 あわてて口を押さえたオオクマは、そっと目をそらし、まだ5時にならない職員室の時計を、恨めしそうに見上げていた。

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 人間の壁

 3月のある日曜日、オオクマは、いつものコーヒー店でコミック誌を2冊読んでから、ヒバリが原小学校に向かった。
 校門を入ると、駐車場には、見慣れない車がびっしりと並んでいる。体育館を使っている
社会教育の団体の人たちだ。きょうは剣道の大会のようである。
 校舎の横に隠れるように、見慣れた車が何台かとまっている。オオクマはホッとして、職員玄関のドアを引いた。上ばきに履き替えて、職員室のドアを開ける。
 「おはよう!」
というあいさつに、
 「ございます」と答えるのは、マツエ教諭。パソコンをにらんだまま「おはようございます」と言うのは、フクブ教諭である。

 ヒバリが原小は、土曜日、日曜日も、職員の誰かが来ていることが多い。特に、学校行事の前や、学期末は、たいてい誰かが来ている。
 ヒバリが原小も、夜間や休日の警備は警備会社に委託している。と言っても、警備員がいるわけではない。アラームが鳴ると警備会社から人間がやってくるだけの「無人警備」である。
 オオクマが以前勤務していた学校には、夜間や休日も警備員がいた。だから、日曜日に学校で仕事をしたいときには、行く前に学校の当直の警備員に電話をかけておき、着いたら玄関の呼び鈴を押して、警備員に中から開けてもらっていた。
 ヒバリが原小では、朝早くに、シルバー人材センターから派遣されている警備員が来て、校門や玄関を開け、機械警備の設定を解除して、校舎の内外を点検する。そのうちに教頭が来て、警備員と引継ぎをする。教員の勤務時間が始まると、警備員は帰って行く。夕方になると、また警備員がやって来て、見回りをする。警備員の勤務は午後7時前までなので、それより遅くまで教員が残っていると、自分で機械警備のセッティングをしなければならない。
 オオクマは、機械警備のセッティングや解除の方法を知らない。いや、覚えるつもりがない。「サービス残業や休日出勤なんか、したくないモンね!」と公言しているからだ。ヒバリが原小で警備システムを操作できるのは、校長、教頭とアイヅ主幹、それにフクブ教諭ぐらいである。それなのにオオクマは、しばしば休日に学校に来る。だから、金曜日になると、「誰か、明日来る人、います?」などと、声をかけるのだ。手が上がれば「ああ、よかった」とニコニコし、手が上がらないと、「なんだい、真面目じゃないなぁ」などと悪態をつく。教頭は、「オオクマ先生、いいかげんに開け閉めのしかたを覚えてくださいよ」と口を尖らすのだが、オオクマは、「だって、面倒くさいんだモンね」と、涼しい顔をしている。

 さて、この日は、学年末の成績書類の稼ぎ時。マツエは通知表を書いていたが、ヒラ教諭なのに「主幹」の仕事をやらされることになったフクブは、次年度の年間計画をパソコンで作っている。オオクマは、担当している理科室のかたづけが仕事だ。
 少しして、玄関のドアが開いた。
 「すいません、忘れ物をとりにきました。」
 5年生の女の子が2人、教室へ向かう。本来、日曜日は誰もいないはずなのだが、ヒバリが原小の子どもたちは、いつでもあたりまえのようにやって来る。
 また玄関が開いた。こんどはヨネシロ教諭が登場した。
 「やあ、みなさん、ご苦労さんです。」
 やっぱり、学年末は日曜日でも賑やかだ。これで休日手当でも出ればありがたいのだが、教員の休日出勤はタダ働きである。だが、仕事が終わらないのだからしょうがない。

 午後、校庭に原チャリがやって来た。エンジンを止めてヘルメットを脱ぐと、いつものサッカーのメンバーである。いつのまにか、自転車で高学年の男の子たちも来ている。そのうちに、サッカーの練習が始まった。今やヒバリが原名物となった、青少年混合のサッカーである。
 原チャリでやって来るのは、卒業生で、今は高校生の年齢の青少年たち。自転車は、ヒバリが原小の4年生から6年生の子どもたち。日によっても違うが、合わせて10人から20人くらいがメンバーである。1年ほど前から、卒業生が放課後の校庭に来るようになり、サッカーボールを蹴っていたのだが、そのうちに小学生たちにサッカーを教えるようになった。青少年の中には、少年サッカーのコーチの資格を取った者もいるから、なかなかの指導ぶりである。だが、ユニフォームをそろえるわけでもなく、遊びの延長、という雰囲気がいい。
 それにしても、平日の午後も毎日のように来るのだから、青少年たちの学校生活は、想像がつく。こうした青少年が母校に原チャリで来ると言えば、校庭を騒音とともに走り回って威嚇する、というのがふつうなのだが。
 実はこの青少年たち、小学生時代に「学級崩壊」を起こした学年なのだ。それが、立ち直って卒業し、今、小学校を毎日の生活の中に組み込んでいる。そのときを知っているオオクマは、彼らと大人の会話をするたびに、不思議な懐かしさとうれしさが胸の中で交錯する。

 さて、原チャリで校庭にやってくる青少年は、校門を実力突破して侵入するのではない。ヒバリが原小には、そもそも、校庭の周りにフェンスがないのだ。
 30年ほど前に開校したヒバリが原小は、小さな河岸段丘の「はけ」の上に校舎が立っている。階段を下りたところにある広い校庭は、市のグラウンドの一角を仕切っただけで、植え込みで仕切られた北隣はテニスコート、子どもの腰くらいの柵で仕切られた南側は、ソフトボールのグラウンドである。校舎から校庭を突っ切った東側には川の土手があり、その向こうには河畔林と湿地が広がっている。そして、校舎と校庭の間には、近所の人たちが通る通路まであるのだ。
 まったくの開けっぴろげのヒバリが原小は、数年前の大阪での児童殺傷事件に、他の学校とはちがう衝撃を受けた。他の学校で考えられる、「校門を閉める」とか「敷地内への立入を禁止する」などという方策が、まったく意味をなさないのだ。
 そこで、ヒバリが原小では、「地域から多くの訪問者を受け入れることによって、犯罪を抑止する」という基本線を打ち出した。設備や機械によってではなく、「地域の目で監視する」
というものである。市営グラウンドの管理事務所は学校の体育館の裏にあるし、校庭の向こうの土手は、近所の人たちの絶好の散歩コースになっているのだから、この基本線は、苦肉の策と言うより、最善の策と言えるだろう。

 そして、サッカーの青少年である。職員室から彼らの姿を眺めていたオオクマは、ふと、彼らも学校の「人間の壁」なのではないかと気がついた。彼らは意識していないだろうが、屈強な若者たちがスポーツに興じている校庭は、「不審者」の侵入を未然に抑止する役割を十二分に果たしている。
 オオクマは、小学生のときの彼らを思い出して、フッと、口元をゆるめたのだった。

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  秘密基地

 春休みに入った3月末のある日、ヒバリが原小のウワジマ校長が、不穏な動きをしていた。
 オオクマが教室の片付けに廊下を何度も往復していると、校長がしばしば、校長室と、その向かいの階段下の倉庫との間を行き来している。
 不審に思ったオオクマが、養護教諭のダイトウにたずねた。
 「校長さんは、何してんですかね?」
 「私、言いたくないわ。」
 ダイトウは、ため息をつきながら、オオクマの顔と廊下を見比べた。
 「あっ! もしかして、アレですか?」
 「そうなのよ。もう、私、知らない!」
 ダイトウ養護教諭は、口元をゆがめて、もう一度、大きなため息をついた。」

 ヒバリが原小の職員室は、禁煙である。廊下や教室は、もちろん禁煙である。ところが、職員室が禁煙と決められてからも、職員室には、しばしばタバコの煙が漂っていた。
 学校現場でも、最近は「校舎内禁煙」の所が多い。厳しい学校は「学校敷地内禁煙」にすらなっている。だが、ヒバリが原小では、数年前まで、職員室での喫煙が認められていた。
 ふつう、こうしたことは職員の話し合いで決められるのだが、それには「喫煙派」と吸わない人たちの力関係が反映する。オオクマが前にいた学校では、職員室の喫煙者が一人だけだったので、当然、職員室は「禁煙」。一人だけの喫煙者は、体育館との渡り廊下でひっそりと吸っていた。
 ヒバリが原小の職員室で喫煙が認められていたのは、喫煙者が4人もいたから。職員室の人間は管理職を含めて18人いたのだが、4人の存在感と威圧感が他を圧倒していたために、以前からの慣習として認められていたようなのだ。
 オオクマも、実は「喫煙者」である。だが、喫煙本数は年間50本程度。もちろん学校では吸わず、仲間との飲み会のときに、ときどきもらって吸うだけの喫煙者である。学生時代からチェリーを吸っていたオオクマは、以前は3日に2箱のペースで吸っていた。それが、カゼでのどをいためたときに、1ヶ月ぐらいタバコを控えてから久しぶりに吸ったときに、まずさにびっくりして、そのまま吸うのを「休んで」しまったのだ。「禁煙」でもないその「休み」が3年間続いたあと、仲間といっしょの居酒屋で、つい仲間のタバコに手を出し、それからは「飲んだら吸う」ということが続くことになった。ただ、本数は3日で1箱からさらに減り続け、軽いタバコに代え、飲んでも吸わないことが多くなって、今に至っている。だからオオクマは、「禁煙派」でも「喫煙派」でもない「分煙派」なのである。
 さて、オオクマがヒバリが原小に来てから今までの間に、何人もの教員が人事異動で入れ替わったが、不思議と、喫煙派は減らなかった。いや、減るどころか、校長、教頭を含めて5人に増えてしまった。まるで「獄門島」に喫煙者を優先的に振り向けたような教育委員会の人事である。
 それでも、2年前に、ようやく「職員室禁煙」が実現して、職員室から5mほどの体育館前の陽だまり、つまり屋外が事実上の喫煙所になった。昼休みや放課後、体育館入口の階段に腰をかけて紫煙を立ち昇らせる姿は、ヒバリが原小の風物詩になったかのようだ。
 ところが、今の子どもは教師に厳しい。体育館に行く道すがら、「先生、体に悪いよ」と声をかける子が多く、声をかけられた喫煙派は、実に居心地が悪い。
 そこへきて、地域の住民から、「先生があんなところでタバコを吸って、けしからん」という声が寄せられてしまった。さらに、教育委員会からも、「喫煙所」を指定してそれ以外の場所では禁煙とするようにとの指示が出てしまった。もう、喫煙派は、痛しかゆしである。
 
 「だからって、なにもあそこを喫煙所にしなくたって……。」
 ダイトウ養護教諭は、また口元をゆがめた。
 「まったくですよね」
と、オオクマは、次第に腹が立ってきた。
 「だって、ぼくは、学校でビールを飲みたいのに、我慢してるんですよ。それなのに、タバコ吸いは、なんで学校でタバコを我慢できないんですかね? 我慢できないのって、中毒じゃないですか。中毒は医者にかかるべきですよ。それなのに、あんなところをわざわざ喫煙所に改造するなんて!」
 「でもね、校長先生が、自分で、一生懸命に作業しているのを見ていると、文句を言えなくなってしまうのよ。なんだか、かわいそうみたいで。」
 ため息まじりのダイトウの言葉に、オオクマは思わず吹き出しそうになってしまった。
 「そうですね。ぼくも、いま校長さんにパソコンを直してもらっているから、しばらくは見て見ぬ振りをしてあげましょうか。」
 階段下の狭い倉庫に換気扇をつけて椅子を運び込み、人目を忍ぶように鉄の扉をそっと開けて中に消える喫煙派の姿に、「秘密基地」を作って遊ぶいたずら坊主を思い起こしたオオクマは、ダイトウと顔を見合わせて、クスッと笑った。

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 男たちの「花笠音頭」

 ヒバリが原小学校の新年度が始まった。オオクマは3年生の担任となった。
 今年度は5人の教員が入れ替わった。うち1人は、観測史上始まって以来の新採用である。これに一番喜んだのは、4年担任の「ジイヤ」こと、京都府出身のヒヤマ教諭。新採用のクミコ教諭が、となりの滋賀県の出身だったからだ。さっそくみんなを差し置いて、校長室で関西弁の会話を楽しんだという。
 「滋賀いうても、叡山の東側やから、京都みたいなもんや。」
 ヒヤマの京都弁が、今年はパワーアップした模様である。
 「そうですかぁ? 山一つ越えれば、だいぶ違うんじゃないんですか?」
  オオクマと同じ3年担任のマツエ教諭がひやかしても、ヒヤマは動じない。
 「何言うとるんや。京都の人間は、琵琶湖の水を飲んでるんやで。一衣帯水や。」
 「じゃあ、大阪も京都も同じってことですよね。」
 「いや、オオサカは、違う。別モンや。」
 「でも、ヒヤマさんは阪神ファンでしょ。」
 「アホ! 甲子園は兵庫県や。」
 会話を横で聞いていたオオクマが、笑いながらヒヤマに言った。
 「今年のヒヤマさんは、ロウソクの最後の輝きみたいですね。」
 ヒヤマの肩が一瞬落ちたが、すぐに立ち直って言い返した。
 「そうや。阪神も優勝したし、クミコちゃんも来た。もう思い残すことなんか、あらへん。」

 「そうだ、こんなバカっ話をしてる場合じゃないよ、今年は大変なんだ。」
 マツエが真顔になって二人に言った。
 「運動会はどうするんですか、運動会は?」
 「えっ? 何のこと?」
 オオクマが不思議な顔をすると、マツエは深刻な顔でオオクマを見て言った。
 「運動会の『表現』ですよ、『表現』。」
 「え? どうして?」
 「中学年のメンバーを考えてくださいよ、私でしょ、オオクマさんでしょ、ヒヤマさんでしょ、サトウさんじゃないですか。」
 「だから、何?」
 「だれが『表現』の指導をするんですか?」
 「あっ、そうか!」
 運動会の種目は、子どもの数が減ってきたこともあって、学年ごとではなくブロック(低・中・高学年)で行うことが多い。各学年2学級のヒバリが原小も、団体競技と表現はブロックですることになっている。この方が、教員の負担は分散されるし、種目の数が減るので運動会の時間に余裕が生まれる。
 だが今年の中学年のメンバーでは、『表現』が難問だ。オオクマは、昔6年生の組体操の指導をしたことはあったが、踊りを教えたことはない。まして今年は、音楽専科と理科専科を経た15年ぶりの学級担任である。しかし、一つ年上の大男・マツエは、「私にできると思いますか?」と不敵な笑い。ヒヤマは、「今年で退職する人間に、やれ言うのか?」と悲痛な顔。若いサトウアケミは大きいお腹を抱え、もうすぐ産休である。
 「こういう人員配置にした校長がいけないんだから、校長にやってもらえばいいんですよ」とマツエがヤケッパチに天井を向いたとき、校長のウワジマが職員室に入ってきた。
 「校長先生、運動会の『表現』を誰がやるかで困ってるんですけど……」とオオクマがウワジマ校長に声をかけると、ウワジマは事もなげに答えた。
 「いいよ、ぼくがやってやる。中学年は民舞だろ、よし、考えとくよ。」
 オオクマとマツエは顔を見合わせて、次に声を合わせた。
 「ありがとうございます!」
 
 「ああ、よかった。これで安心だ。」
 オオクマは机に頬杖を着いた。ところが、机の書類の向こうから、ヒヤマの大きな独り言が聞こえてきた。
 「そやかて、運動会本番のときに校長に朝礼台に乗ってもらうわけにはいかへんなあ。」
 オオクマはガクリと頬杖からあごを落とした。次のセリフはもう察しがついている。
 「ワシみたいなジジイが乗っても、あれは何や言われるしなあ。」
 横からマツエの大きな顔が、含み笑いをしながらオオクマに向けられている。オオクマは観念した。
 「わかったよ、ぼくが朝礼台の上で踊ればいいんでしょ! やるよ、やる!」
 「校長さんに、よく教われば、大丈夫ですよ。」
 マツエは笑いをこらえながら、自分の机の書類を片づけ始めた。

 数日後、ウワジマ校長が廊下でオオクマに手招きして声をかけた。
 「あのさあ、『花笠音頭』なら、ビデオがあるし、花笠がきれいだから、いいんじゃない?」
 たしかに花笠音頭なら、動きもゆっくりだし、オオクマも昔、前の学校でやったことがある。そのときは横に立っていただけだったが。
 「はい、よろこんで!」
 オオクマは元気よく返事をした。

 「ねえ、花笠音頭でいいよね。」
 オオクマが職員室で3人に言うと、サトウアケミは、「すいませんねぇ、よろしくお願いします」と頭を下げた。マツエは、「異存ありません」とうなずいた。ところがヒヤマは、天井を向いて大きな声を出した。
 「東京音頭いうたら、ヤクルトスワローズの応援歌やないか。」
 「違いますよ、花笠音頭ですよ。」 
 オオクマは口をとがらせた。サトウアケミが、横から、
 「ジイヤ、お耳が、いよいよ……」
と、肩に手を差し伸べながら大きな声で笑った。ヒヤマは照れ笑いをしながらも、なお反撃を試みた。
 「六甲おろし」以外は、みんなおんなじようなもんや。」
 「いいですよ、『六甲おろし』でも。ヒヤマさんが振り付けしてくださいね。」
 「……ワシ、花笠音頭、大好きやねん。」
 これで、『表現』は花笠音頭に決定した。

 ところが、校長から借りたビデオを観て、オオクマはびっくりした。そのビデオは、別の学校の運動会で踊った花笠音頭のではなく、劇団「わらび座」の、振り付け指導用のビデオだったからである。しかも、その振り付けは、オオクマにはむずかしすぎてよくわからなかった。
 「校長先せーい!」
 オオクマは悲痛な声を上げながら校長室に駆け込んだ。
 「振り付けがむずかしくて、わからないんです。」
 「ハッハッハ。よぉし、私が教えてあげよう。」
 ウワジマはうれしそうに立ち上がった。

 それから1週間後、オオクマは体育館で、3、4年生の子どもたちを前に、舞台の上で振り付けを指導していた。
 「トントンパ、トントンパ。」
 なかなか様になっているオオクマを見て、ヒヤマが声をかけた。
 「オオクマくん、熱心やねぇ、見直したわ。」
 オオクマは、ニヤリと笑いながらヒヤマを見て言った。
 「ヒヤマさん、『花笠音頭』ってね、スワローズがタイガースに勝ったときに、神宮のライトスタンドでみんなが手拍子で歌うんですよ。」
 ヒヤマの顔がこわばった。
 「なんでやねん?」
 「スワローズの監督は若松さんでしょ、だから『めでためでたの若松様よ』って、ね。」
 ヒヤマの肩ががっくり落ちた。
 「今年のタイガースは、優勝でけへんなぁ。」
 「そのかわり、ヒヤマさんの送別会には、『六甲おろし』をみんなで歌ってあげますから。」
 「わかった、わかった。」
 ヒヤマは大きなため息をついて、窓の外に視線を移した。桜の若葉が、5月の風に揺れていた。
 
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