宴会場 浸水す
   
         
 まだぼくたちが南会津の黒谷川に通っていたときのことである。
 首都圏から近い会津の、名前が知られている黒谷川では、いつも「先行者」の有無が最大の感心ごとだった。林道の車止めに着いたときに、釣り人らしい他の車が駐車していると、その奥はあきらめざるを得ない。車止めから何時間も歩いてテント場に着いたら先行者がいた、なんて悲劇そのものである。
 この年は車止めに2台の車があったので、ぼくたち、ぼくとUさん、Sさんの3人は、本命を避けて、別の沢に転進することにした。徒歩2時間の果ての1泊目は、3人でイワナが6尾。降り始めた雨は夜中に激しくなり、このときまだテントではなくツェルトを使っていたUさんは、荷物ごとズブ濡れになってしまった。

 2日目、雨の中を車止めまでもどり、今度は車が入れる林道沿いの沢に向かった。ジムニーをUさんのテントにするためである。
 沢沿いの林道を奥へと走り、砂防堰堤の上の、砂利が堆積して平らになった河原をテント場に決めた。ジムニーからテント場までは、約50m。テント場からはジムニーは見えない。いくらジムニーでもここの河原までは入れないし、第一、車の横にテントを張るなんて、オート・キャンプみたいで風情がないから、このくらいがちょうどいい加減である。宴会場は、流れの脇の河原、テントは50cmほど高い草地に張ることにして、草刈り、整地、敷き草、そして宴会場のカマドと屋根作りにいそしんだ。雨は上がっていた。
 寝床と宴会の支度がすんで、いよいよ釣りである。宴会場の10mほど上流のボサの陰から、内山さんが22cmのヤマメを釣り上げ、一同、大歓声。これは幸先がよい。
 本流をしばらく3人で上ったが、よかったのは出だしだけで、あとは小さなイワナが2尾だけ。そこで、ぼくとUさんが、左から入る沢を釣り、Sさんは本流を釣り上がることにして、集合時刻を4時にして別れた。
 この沢、渓相はまずまずだったが、メダカみたいなイワナしか目につかない。それでも、子どもがいれば大人もいる、と気を引き締めて上ったが、ぼくが19cmのイワナを2尾釣っただけ。しかたなく、作ってあった握り飯とコーヒーで昼食をとり、いったん戻って、車でもう一つ上の沢に行くことにした。
 雨が本降りになってきた。林道は車一台が通れる幅で、その外側は草や灌木の茂みになっている。ジムニーはバサバサとぶつかる草をかき分けるように上流へ向かった。佐藤さんを見つけられるかと思ったが、林道は流れのずっと上を通っているので、見つけることはできなかった。
 次の沢の上を渡る橋に着き、下に降りるルートを見つけて一安心。だが、この沢は上流からの土砂でだいぶ埋まっていて、しかも両側は切り立った崖になっている。鉄砲水が来たら、これはまずアウト。緊張しながら奥へ進んだ。だが、イワナは、ぼくが20cmを2尾釣っただけで、あとはアタリも影も見えない。雨が次第に強くなってきたので、この沢も引き上げることにした。
 テント場に着いたが、Sさんはまだ戻っていない。雨はまた上がった。集合時刻まではまだ一時間もある。そこで、Uさんは宴会料理の下ごしらえを、ぼくはカマドの火を起こすことにした。 ところが、火が、なかなか着かない。何回やっても失敗してしまう。新聞紙から小枝に燃え移っても、その火が大きくならないで消えてしまうのだ。「アーン、クソッ!」と大声を出したとき、上流からSさんがゆっくりと歩いてくるのが見えた。ぼくはうれしくなって、両手を大きく振って出迎えた。
 Sさんの釣果は、2尾だけだった。だがSさんは、ぼくが苦労しても着けられなかった火を、一回で着けてくれた。
 少ないイワナでも、宴会はできる。イワナは刺身とムニエルに、あとはフキの煮物、ミズナのおひたし、それに乾き物のつまみ。アルコールをどんどん飲み続けるのにちょうどよい量の肴だった。ぼくたちはどんどん酔っ払っていった。雨はまた降り出したが、屋根の下の宴会場は、赤々と火が燃え、酔っ払ったぼくたちの顔を照らしていた。
 初めにダウンしたのはSさんだった。もう、ロレツが完全に回らなくなり、「もう、寝る!」と言って、フラフラとテントの中に消えていった。まだ飲み足りないUさんとぼくは、だんだん大きくなる雨音を聞きながら、平然と、残ったつまみを胃袋に収め、焼酎を酌み交わして気炎を上げていた。
 ふと、足元の異常に気がついた。宴会場の床、ではない河原の小石の間を、水がチョロチョロと流れているではないか。不思議に思ってキャップ・ランプで河原を照らすと、宴会が始まるときには一〇メートルほど先を流れていた水が、いつの間にか宴会場の小石の間にまで、その幅を広げている。もともと堰堤の上のフラットな流れなのだが、これは床上浸水の一歩手前である。このまま水が増えると、屋根の下の荷物が濡れてしまうので、とりあえず、濡れて困るものを移動しようとした。ところがそのとき、Uさんがよろけて、屋根の支柱の木に体をぶつけてしまい、屋根が倒壊してしまったのである。
 あわてて、2人で屋根を直そうとしたが、2人とも酔っ払っているので、まともな仕事ができない。そうしている間にも、水はだんだん増えてくる。もう、あきらめて、荷物を全部、一段高くなっているテントの横に投げ、その上に、屋根ではなくなったビニールシートを掛けることにした。大声を出しながら、やっとのことで荷物を上げ終わったときには、2人とも疲れきっていた。Uさんはジムニーへ、ぼくは佐藤さんがぐっすり寝ているテントの中へ入り込み、すぐに意識を失ってしまった。
 翌朝は、すっかり明るくなってから目が覚めた。雨は上がっていた。まだ寝ているSさんを起こして、テントの外に出た。テントの横には宴会場の残骸が、メチャメチャになってシートに覆われていた。宴会場の水は、もう引いていた。そこにも、残骸の一部が残っていた。惨状の説明をするぼくの横で、Sさんはポカンと口を開けていた。彼は、宴会場の浸水騒ぎはおろか、自分がいつ寝たかも覚えていなかった。
 二人が笑っているところへ、Uさんがさわやかな顔でやってきた。
 「ああ、よく寝られたよ、車で寝て正解だった。」

 空を覆っていた雲の切れ目から青い空が見え、3日振りの太陽が顔を出した。3人は、また大きな声で笑い出した。
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