渓で転ぶ

      

 カヌーの世界では、ひっくり返ることを「沈(チン)する」と言うそうである。ザイル、カラビナ、水泳が必需品の源流釣りでは流れに落ちることを「ドボン」と言うらしい。小さな沢のパズルのような釣りが好きなぼくの場合は、転ぶことを「水没」とでも名づけようか。

 渓流釣りを始めたころは、よく転んだ。いや、今でももちろん転ぶ。ただ、転び方が変わってきた。最初のころは岩で足を滑らせて、体のどこかを岩にぶつけて痛い思いをするパターンが多かった。今では、転んだら痛い思いをしそうな岩にはなるべく乗らず、初めから足を水に浸けてしまうようにしている。ぼくの足回りはウェーディング・シューズにウェット・スパッツ、ジャージのトレパンなので、水に浸かることは苦にならない。沢に足を踏み入れたときからもう濡れているのだから、「落ちる前に降りる」が鉄則である。
 それでも、川底の石が滑ったり、バランスを崩したりして転ぶことがしばしばある。そして「水没」する。無論、小さな沢だと、頭まで全部などということはない。一番多いのが腕の水没。竿を右手に持っているため、多くの場合左腕を優先的に水没させる。間に合わずに右手を川底につく場合には、竿を手から離してしまう。握ったままだと竿を折ったり指をケガする可能性があるからだ。
 20年近く前、ぼくのホームグラウンドの東京・秋川の渓で川底の石につまずいて前に倒れたとき、左手の小指の第二関節を石にぶつけてしまった。とたんに、「ビーン」という鋭角的な傷み。これはしまった、骨が折れたかと思ったが、初めての沢で魚も釣れていたので、がまんしてそのまま釣り上がってから、帰途についた。まだ整骨院に通っていなかったころなので、医者に行くのも不安で面倒。何日か湿布を続けて痛みがとれてきたが、改めて指を見ると、第二関節が微妙に変形している。やっぱり医者に見せたほうがよかったかとも思ったが、後の祭りである。この教訓から、以後は、渓のケガに限らず、小さなケガでも治療を受けることにした。
 前に転ぶことの次に多いのが、後ろに転ぶこと。これは尻餅である。浅瀬なら「下半身水没」、深かったり流れが急だったりすると、胸まで水没する。夏なら「あはは、びしょ濡れだぁ」ですむが、春の雪代では「ギヤーッ」という悲痛な声を発する。
 夏の岩手の渓では、変わった水没をした。膝下ぐらいの流れで左足を置いた石が滑り、「わぁぁ!」と声を上げながら、そのままゆっくり左に四分の一回転だけ側転をしてしまったのである。前を歩いていた同行Uのさんが振り返ったとき、ぼくは大きな声で笑いだした。「左半身水没だぁ!」。
 しかし、転ぶ回数はぼくよりもUさんのほうが多いのである。それは、技術とか体力ではなく、性格に起因しているとぼくは考えている。彼は実にせっかちで、作業が粗いのだ。しかも刃物や工具を使うことの多い図工専科教員だから、しょっちゅうケガをしていた。しかし彼の作品のイラストは、実に緻密である。ぼくにはよく理解できないが、このアンバランスが彼の芸術家たる所以なのだろうか。
 そのUさんも、最近はあまり転ばなくなってきた。ふと気がつくと、一日に一度も転ばないことも珍しくなくなった。経験を積んだためか、年齢をとったためかは不明だが、おかげでぼくが彼の悲鳴にドキッとしたり、笑ったりすることも少なくなった。ぼくの渓での楽しみが、一つ減ってしまったのである。

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