山と海の鼠ヶ関

  
  小国川での釣果。上2尾がヤマメ、下2尾がイワナ。ちょっとわかりにくいですが。
 山がダメでも海がある
 久しぶりに初秋の渓に出かけてみたいと思った。9月の5連休である。秋だから、イワナだけでなく山の幸も収穫したい。そこで、いつもの「岩手くんせい紀行」の仲間をさそった。Sさんは都合がつかなかったが、UさんとOさんは日程が取れたので、3人で出かけることにした。
 確実な釣果を求めるなら岩手のいつものフィールドだが、ちょっと遠い。そこで山形県の最上川支流、真室川を考えた。新庄から秋田県境へ向かう奥羽本線に沿った流域で、かつて写真撮影に通っていたので土地勘もある。
 だが、もしイワナが釣れなかったらどうしよう。ぼく一人なら何とでもなるが、同行の友人たちに申し訳がない。そこで、行先を同じ山形県でも日本海沿岸の川を考えた。新潟県から県境を越えた鼠ヶ関から温海あたりまでの、海に注ぐ小さな川である。小さな、と言っても水系はイワナにとって十分。それに、山がダメなら海があるので、両方を楽しむことができる。まして、特急列車や貨物列車がたくさん行き交う羽越本線もある。
 宿は、インターネットで調べて、鼠ヶ関の民宿「丸武(まるたけ)」を選んだ。魚屋さんが経営している民宿とのことで、魚が大好きなぼくたちにはもってこいの宿である。
 そんな計画をぼくのメールマガジン「くまのたいらニュース」で紹介したら、今年の夏に日程が合わずに同行できなかった知人のSさんから、現地で合流したいというメールが来た。これは楽しい宴会になりそうである。

 9月19日(土)の午前2時、あきる野市在住の2人を乗せてジムニー「はつかり号」で出発、圏央道から関越道を走る。前日から宿に泊まっているSさんから、朝食を宿でいっしょに食べようとの連絡があったので、鼠ヶ関に午前8時到着のダイヤである。
 高速道路の終点である黒川(村上の手前)で降りたのが6時半。時間に余裕があるので、海沿いの国道345号で景色を楽しみながら北上、7時55分に鼠ヶ関の民宿に到着した。待っていたSさんと合流、もう部屋に入れてもらって4人で朝食。前日の夕食もとてもおいしかったそうで、食事の期待は、大である。

 小国川
 9時過ぎにいよいよイワナ釣りに出発。まず温海の釣具店で釣り券(一人600円)を購入、2万5千分の一地形図で選んだ小国川へ。水が少なくて期待薄だったが、昼食のイワナ汁の具が手に入ればいいので、2人ずつに分かれて川に入った。ぼくはSさんといっしょ。仕掛けをつけて最初のポイントで19cmのイワナが出たので、これは有望、と思ったのだが、後が続かない。何しろ水が少なく、流れが緩すぎる。ぼくが17cmを追加しただけで、あきらめて場所を移動。上流を目指したが、そこでも魚は出ない。まあ、2尾あればイワナ汁ができるし、「山がダメなら海がある」ので、釣りを切り上げてUさんとOさんを迎えに行った。
  
   最初に出た19cm。このときは期待が大きかったのだが。 2009.9.19
   
     水の少ない流れで苦闘するSさん。イワナ釣りではボウズだった。
 Oさんは道路に出ていたが、Uさんは川岸でなにやらうごめいている。何をしているのかと思っていたら、
 「いやあ、クリが大漁だよ」
と笑顔で上がってきた。釣果はヤマメ2尾だとのこと。さらにUさんはミョウガも仕入れていて、
「これで味噌汁がおいしいぞ。」
と、満足そう。
 上流の林道を入ったところに車を停め、川に下りて準備。調理は内山さんの得意領域である。といっても、この日はイワナ、ヤマメとミョウガを切っただけだったのだが。
 「イワナ汁」は渓流釣りでの定番だが、「ヤマメ汁」というのは聞かない。これはイワナとヤマメの味の違いによるものだと、ぼくは思っている。ヤマメよりもイワナのほうが、出汁として有効なのである。一般にはイワナよりもヤマメの方が上等として扱われ、何しろイワナは東北では「ザッコ(雑魚)」と呼ばれているのだが、イワナのほうがヤマメよりも味にずっとコクがある。まあ、この日は両方混ざっていたので、宿で作ってもらったおにぎりといっしょに、あまり気にせずに食べてしまった。
 
 小国集落
 地形図を見たSさんが、「小国川」の名前となった小国の集落を指さして、
 「ここは昔の宿場ですね。」
と言う。なるほど、海から数km入った所にある小国の集落は、川が東西に流れているのに対して南北に家が並んでいる。しかも、南の鼠ヶ関川、北の温海川の谷に至る道が峠を越えて延びている。海岸沿いのルートが険しい岩に阻まれていた笹川流れの近くでは、内陸に入って山を越える街道が使われていたのではないだろうか。
 自宅に戻ってから調べてみたら、やはり小国は江戸時代の北陸道の、関所もある宿場だったとのこと。Sさんは古老からの聞き取り調査をすすめているNPO「昭和の記憶」を主宰しているくらいだから、地図を見る目も確かなのである。
 その小国集落の家の並びが一直線でみごとなので、集落を俯瞰できないかと探したら、北側の峠道を少し登ったあたりに、木が伐採されて集落が見える場所があった。きっと数年前に、その目的で木を切ったのだと思われるが、杉の木はまた伸びてきて、集落を隠そうとしている。
 集落の家々は、もちろん建て替えられてはいるが、昔の雰囲気はそのまま残っている。もし、南会津の大内宿のように茅葺屋根が並んでいたら、きっと一大観光名所となったに違いない。だが、それも住んでいる人たちの意思である。
 「小国(おぐに)」という地名を、ぼくは山形県内だけでも2カ所、知っている。米坂線が通る西置賜には小国町が、新庄からの陸羽東線沿いには小国川がある。川を遡った所に開けた小さな平地が「小国」である。ここ鶴岡市(旧・温海町)の小国集落も、谷をたどった所に位置する小盆地だ。しかも、ぼくはこれで3ヵ所の「小国」でイワナを釣ったことになる。今回の「小国」は、ここを訪れる前に地図を買って眺めて初めて知ったのだが、何だか不思議な因縁を感じてしまったのである。
  
   小国集落を北入口から見る。正面の、手前の山の上に城があったそうだ。

         
    杉木立の向こうの小国集落。できればもう少し木を切ってほしいのだが。

 鼠ヶ関川、その河口
 ねずがせき、という地名は、古代の朝廷権力の果てにあった「奥羽三関」(鼠ヶ関、白河関、勿来関)に由来する。今から千年以上前に、すでに関所があったのである。白河関は栃木県から福島県に入った所に、勿来関は茨城県から福島県に入った所にあったとされている。(勿来関は存在そのものが不確かである。)そして鼠ヶ関は、新潟県と山形県の県境にあり、今でも東北地方への玄関口に当たっている。
 民宿でSさんから、
 「鼠ヶ関の町の中に、新潟県との境があるんですって。めずらしいですよね。」
と聞いた。Sさんはぼくたち3人が着く前に、付近のリサーチをしていたらしい。不思議に思って地図を見直すと、なるほど、羽越本線鼠ヶ関駅の少し南に、たしかに県境が引かれている。そうすると、鼠ヶ関駅で降りる客の中には、新潟県在住の人もいるわけだ。
 都市近郊では、住宅地が都県境を跨ぐことはめずらしいことではないが、人の住まないエリアが広い地方では、なかなかこのようなケースはないだろう。これも「関所」の町ゆえなのだろうか。何だかもっと知りたくなってしまった。

 さて、鼠ヶ関の港は入り江をさらに防波堤で守る形の、「内湾」のような雰囲気になっていて、小国川と同じくらいの規模の鼠ヶ関川が湾に流れ込んでいる。こうした場所にはハゼが生息する場合が多く、インターネットで鼠ヶ関の釣り情報を探したときも、「河口ではハゼ」という記述を見つけた。ハゼ釣り大好きのぼくは、この記述に小躍りし、イワナ釣りの午後は、まず河口のハゼを探索したのである。
 鼠ヶ関川の河口は、まったく小さい。潮が引いているときには、澄んだ小川の流れが寄せる波にそのまま飲まれてしまうような小さい河口である。海釣り用のイソメとアミを仕入れたぼくたちは、この小さな河口でハゼの探索をすることにした。
 日差しも強いが西風も強く、竿が風で押されて曲がってしまうのをこらえて、玉ウキ2個をつけた仕掛けを河口に振り込む。すると、ウキが消し込まれ、アワセると、小さな手ごたえ。上がってきたのは小さな小さなクロダイ(の子)である。これはもちろんリリース。そして次に上がってきたのは、まぎれもないマハゼである。ぼくはUさんに、ハゼをかざして大声を上げた。
 「ハゼだよオ! ハゼが釣れたぞォ!」
 Uさんも驚きの声を上げ、用意していた仕掛けを振り込んだ。そしてUさんにも、ハゼ。これはすばらしい場所だ。

 河口で最初に釣れたクロダイの子。

  まぎれもない、マハゼ。今日は両方ともリリース。

 だが、ぼくたちはこのままハゼを釣り続けるわけにはいかない。ぼくたちが自宅にもどるのは2日後なので、いくらクーラーボックスに入れておいても、確実に鮮度が落ちてしまうのだ。ハゼは明日の楽しみにしなければならない。
 「あれっ? もうやめるのかい?」と怪訝な顔のOさんと、昼寝をしていたSさんを促して、ぼくたちは港の岸壁へと移動したのである。

 鼠ヶ関港の岸壁
  
   風をよけて港の中の岸壁で釣り支度。  2009.9.19  鼠ヶ関港
 高い防波堤によって日本海の荒波から守られている鼠ヶ関港は、たくさんの釣り人たちで賑わっていた。高い防波堤ではルアーでイカを狙っている人たち。港内の船着場の岸壁では、サビキ仕掛けにアジやサバがかかっていた。ぼくたちは内側の岸壁に場所を決め、サビキではなくウキ釣りの支度をした。いつもぼくとUさんが三浦三崎(神奈川県)で使っている仕掛けである。さっきのハゼも同じ仕掛け。実はフナも、同じ仕掛けで釣るのである。この仕掛けで釣れない魚は釣らないという頑固な主義なのである。
 コマセ用の冷凍アミのブロックを砕いて、少しだけビニールバケツに入れて海水を加える。これをヒシャクで撒き、寄ってきた魚を、アミエサのついたハリにかけるのだ。
 ぼくがコマセを撒き、3人が竿を出す。するとすぐにウキが消し込まれ、小さなアジが身を躍らせた。アジといっても小さい小さい「豆アジ」である。ときどき魚屋の店先に、「から揚げ用」としてザルに盛られているサイズである。
 アジの次に竿をしならせて抵抗したのは、サバ。18cmほどのサイズなので、引きが実に強い。上がってきたサバを見て、Uさんが笑顔で言った。
 「これは明日の昼の味噌汁だ。」
 サバは「サバの生き腐れ」と言われるように、鮮度の低下が早い。だから、この日の釣果は現地で消化してしまうのである。
 「アジは小さすぎるから、サバだけキープしよう。」
 料理長のUさんがそう言っているうちに、Sさんの竿が大きくしなった。上がってきたのはサバではなく、15cmほどのアジ。これなら立派に味噌汁に入る。そしてSさんはこの釣行でやっとボウズから脱却することができた。同じくOさんもサバやアジを釣り上げ、この釣行を企画したぼくは、とりあえずホッとしたのである。
   
                         アジを釣り上げて笑顔のSさん。
 夕方まで岸壁で釣りをしたぼくたち4人は、民宿にもどって風呂、そしてビール。話に盛り上がっているうちに夕食が運ばれてきた。酔いそのままに食べ始め、一息ついたのが午後7時半。このまま寝てしまっては夜中に目が覚めそうなので、囲碁を始めたUさん、Oさんを残して、ぼくとSさんは駅まで散歩。上着を着ても涼しい、いや、肌寒いくらいの夜の冷え込みの中、貨物列車や「いなほ」の通過、ディーゼルカーの折り返しを眺めて、1時間ほどで宿にもどった。対局中のUさんとOさんを横に見ながら、ぼくはすぐに眠りについてしまった。

       これが豆アジ。6〜10cm。

 無人駅になっていた鼠ヶ関。特急「いなほ」が轟音とともに通過する。

 2日目の朝、5時に起き出して、「朝飯前」の釣りへ。それにしても寒い。カッパの上下に身を包んで、さらに長靴で足元を防御して、釣り支度をする。
 昨日の岸壁には、夕方と違ってサバが寄っていなかった。またもや豆アジの入れ食いである。Sさんは朝飯のあとで帰るので、気合を入れて「お土産」を釣っている。ぼくたちも、今日の釣果からは氷詰めにして持ち帰るので、気合を入れたのだが、バケツの中の豆アジがどんどん増えてしまうので、小さいもの(みんな小さいのだが、その中でも小さいもの)はリリースしながら数を増やしていった。
 7時半で釣りを切り上げ、空腹を抱えて宿へ。おいしい朝食で体もお腹も温めて、畳の上に横になった。
  アジの次にぼくとUさんが狙うのは、もちろんハゼである。Oさんはルアーでイカを狙うというので、午前中は別行動。もう東京へ向かうSさんを見送って、いよいよハゼ釣りである。

 これはフィールドワークなのである
  
 羽越本線の新潟・山形県境の普通列車はすべてディーゼルカーである。39年前はこのような「小俯瞰」は撮っていなかった。島は羽越本線南部の、いわばシンボル、新潟県エリアの粟島である。 2009.9.20  小岩川―温海
 それにしても、東京(の在)から山形県まで来てハゼを釣ろうなどとは、ふつうの釣り人の考えることではない。そもそも、山形県まで来て豆アジを釣って喜ぶのも、ふつうの釣り人のすることではない。ぼくたちは「ふつうの釣り人」ではないのである。
 ぼくたちは、釣りに来たのではない。旅行に来たのである。日本海沿岸の環境と民俗のフィールドワークに来たのである。釣りは、その「お釣り」なのである。だから、東京湾でも釣れるハゼや、三崎でも釣れる豆アジでも、立派な土産になるのである。ただ、Oさんだけは、大物釣りの夢を捨て切れなかったのだが。
 さて、潮が引いているためか、ハゼはまったく釣れない。少しはなれたところにスロープを見つけて移動したが、そこでもまったく釣れない。これはぼくたちの腕のせいではなく、潮のせいである。そこでぼくとUさんは午前中の釣りをあきらめ、残りが少なくなったアミエサを買い足しにあつみ温泉駅近くの釣具店に向かったのである。
 あつみ温泉駅(昔は「温海」だった)は、鼠ヶ関から駅2つ。小岩川と温海の間は、ぼくが39年前にD51やC57を追って歩いた思い出の場所である。そのときの撮影ポイントを見つけたぼくが、アミエサを買ってそのまま鼠ヶ関の岸壁に直行したいと考えているUさんをだまくらかして列車の写真を撮って行こうと考えたのは、至極当然のことなのである。
 「あっ、もうすぐ列車が来るから、ちょっと待っててくれる?」
と声をかけたぼくに、Uさんは言った。
 「味噌汁の具が採れそうな所ならいいよ。」
 そこでぼくたちは車を停めて線路を渡り、斜面の畑の小道を登って行った。ぼくが撮影ポイントを決めると、Uさんは辺りを見回して、畑の脇の茂みを探索し始めた。
 ディーゼルカーの写真を撮り終わったころ、Uさんが籠の中身をぼくに見せた。それは昨日も味噌汁に入った、ミョウガだった。
 「よかったよ。これでサバのり味噌汁がおいしくなる。」
 笑顔のUさんに、ぼくは一安心したのである。

 昼飯はサバ汁と水没おにぎり
  
                    川の土手の階段で「サバ汁」を食す。
 時は昼、ルアーを振っていたOさんが手ぶらで合流して、ぼくたち3人は昼飯を食べることにした。場所は、鼠ヶ関川の土手。と言っても、民宿のすぐ近くの駐車スペースの後ろで、小さな公園になっている所だ。山用のガスコンロをセットして、クーラーボックスから昨日のサバを取り出し、Uさんがぶつ切りにして、さっき採ったミョウガを刻む。何のことはない、昨日のイワナ汁が「サバ汁」に化けただけである。
 今日のおにぎりは、午前中にコンビニで買ったもの。ところが、暑さを避けるためにクーラーボックスに入れておいたら、半分ほど水没してしまい、水がしみこんだポロポロとこぼれるおにぎりになってしまった。それでも米は米なので、がんばって食べた。サバ汁が美味だったので、水没おにぎりでも3人は笑顔を崩さずにすんだのである。
 それにしても、ここは実に楽しい場所だ。のんびりと昼飯が食べられるし、何しろ羽越本線の列車も眺めることができる。貨物列車も特急も、そして普通列車のディーゼルカーも、結構な頻度でやって来る。Uさんは、
 「羽越線って、五日市線よりも本数が多いんだね。」
と感心していた。五日市線は20分間隔で、上下合わせると10分に1本という計算で、羽越本線よりも本数は多いと思うのだが、列車自体の存在感では、こっちのほうが上だろう。ぼくにとっては、まったく最高の場所だったのである。
  
   昼飯の場所から特急「いなほ」を眺める。ここは鼠ヶ関―小岩川間である。
 
 フグ のち ハゼ
 昨日の試し釣りでハゼが釣れたのが午後2時ごろ。そこで、昼飯を食べ終わった1時半頃から、河口でハゼを狙ってみた。ところが、アタリはあるものの、ハリスが何度も切られてしまう。これはハゼではなく、フグである。ニッパのような歯で、フグがエサとハリを飲み込み、邪魔なハリスを食いちぎってしまうのである。
 いつものフィールドの三浦三崎でも、時期によってはフグに何度もハリスを切られることがあるので、一応慣れてはいるのだが、ハリスを付け替える手間が何とも悔しい。ハリスの被害を防ぐには、ハリのサイズを大きくするか、ハリスの太いハリに替えるかだが、ちょうどよい持ち合わせがない。そこで、ハリのウキの動きを察知して早くアワセをくれることで被害の減少を試みた。
 さらに、うまく飲み込まれずに釣り上げたフグの処置である。憎らしくて日干しにする人もいるが、それはあまりにかわいそうだ。さりとて、そのままリリースしたら、再び食いつくかもしれない。そこで思いついたのは、隔離政策である。釣れたフグを逃がさず殺さず、ビニールバケツに入れておくのである。フグは体の表面に毒を持っているわけではないので、バケツの中に毒が浸出することはない。我ながら、これは良い考えだとほくそえんだ。
 潮が次第に上げてきた。西風が強くてさざ波が立っているものの、アタリは2つの玉ウキにしっかりと出る。そのうちに、待望のハゼが釣れた。大喜びで、フグといっしょのバケツに入れる。それからは、釣れるのはほとんどがハゼ。バケツに増えたハゼはクーラーボックスに移し、フグはもちろんそのまま。それを何度か繰り返し、釣れたハゼは2時間で30尾近くになった。
 ハゼ釣りをしていても、通る列車に目が行く。初めての場所で、ハゼが釣れて、列車の眺めることができたので、もう、十二分に満足したぼくだったのである。
   
   特急「いなほ」を眺めるUさん。実は頭の上には橋が架かっているのだが。

    
                これが日本海、鼠ヶ関のハゼである。天ぷら級。

 海の幸の食卓
  民宿「丸武」の食事は、劇的においしかった。海の幸がこれでもかというほど、新鮮な姿で食卓に並んだ。肉類が全く出なかったのもうれしかった。
 海のそばの宿でも、団体が泊まれるような大きな観光ホテルだと、素材に手をかけすぎて、フランス料理のようにしてしまうことが多々ある。素材の素性や鮮度そのものを疑うような事態も間々ある。そして、質はともかく量は多く、食べきれないこともある。伊豆あたりの観光ホテルでは、団体客は料理よりも宴会を目当てに来ると思っているためか、料理で感激することはほとんどない。ぼくは職場の仲間との「職員旅行」の幹事も長くやっていたが、職員旅行で泊まるホテルで食事を期待するほうが間違っている、と思う。もっとも、1泊2食付1万5千円ほどの料金の話であり、金持ちが泊まるような高級ホテルは別かもしれないが。
 伊豆あたりでも、民宿の料理はホテルよりもずっとおいしい。しかし、職員旅行で民宿に泊まるのは無理というもの。宴会のできる広間、酔っ払っての大騒ぎ、夜中まで部屋で賑やかに過ごすのがふつうの職員旅行だから、民宿では大迷惑この上ないのである。
 民宿に泊まる客は、新鮮な料理を目当てにやって来る。山の民宿は山の幸、海の民宿は海の幸が、素材のよさを十分に発揮して食卓に並ぶ。民宿の売り物は、ここである。だから、布団を敷いてくれないとか、部屋に鍵がかからない(ぼくたちの部屋はそうだった)とか言う人は、民宿に泊まってはいけないのである。ぼくがあちこちで泊まり歩いた駅前旅館の中には、鍵のかからない部屋もたくさんあったのだが、金持ちに見えない男性なら、その程度は気にしてはいけないのである。
前日は食事のだいぶ前にビールを飲んでしまったため、料理の写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。そこでこの日は、しっかりとカメラに収めたのである。と言っても、全部がどうかは酔っ払ってしまったので定かではない。
 
  上から、焼き魚(アマダイの一夜干し)、焼きイカ、右へ天ぷら(エビは地元産)、左はカレイの煮付け。真ん中の枝豆も地元産で、「駄々茶豆は終わっているので、別の種類です」とのことだが、とてもおいしかった。
  
 刺身もおいしかった。真ん中下の魚は聞いたことのない名前で、忘れてしまった。たしか、「クロ何とか」だったと思う。

 帰り道は寄り道を少し
 
  下り貨物列車が海辺を走る。右の海沿いの小道が旧線跡。
                         2009.9.21  勝木―府屋

 3日目の朝も、午前5時起床。朝飯前の釣りが、今回の最終ラウンドである。Uさんのサバへの期待もむなしく、釣れるのは豆アジばかり。しかも、風が強くてとても寒い。3人とも体が冷えてしまったので、河口のハゼをもう一度、と移動したが、ここも寒い。それでも数尾のハゼを追加したところで、朝食の時間になった。
 もう、堪能した。釣り飽きてしまった。2泊3日での魚釣りは、のんびりできるが飽きが来るものだと実感した。考えてみれば、毎年7月の「イワナのくんせい紀行」も、3日目は惰性で釣っているようなものだ。ぼくたちの釣りへの集中力は2日間が限度なのだろう。
 朝食を食べ切って満足し、帰り支度。この日は5連休の3日目だが、やはり早く帰路に着くに越したことはない。それに、クーラーボックスに入っている魚たちの処理も今日中にしなければならないので、夕刻までには家に戻りたい。だから、9時過ぎには宿の人たちにお礼を言って出立したのである。
 「帰りも笹川流れに寄ってくれる? 写真を撮りたいんだ。」
 このセリフはぼくではなく、Uさんである。ぼくはもちろん別の目的で喜んで、承諾したのである。
 府屋からのトンネルを抜けると、右の海辺に単線の線路、そして海が見えた。「鉄」らしき人が2人、歩道に三脚を立てている。ぼくは本能的に車を脇に停め、2人に声をかけた。
 「何か来るよ、ちょっと見て行こう。」
 手持ちの羽越本線列車ダイヤ(今回はちゃんと入手して持参していたのである)を確かめると、まもなく貨物列車がやって来る。そこで、三脚を立てている同志のそばに行き、あいさつをして、近くで列車を待った。
 線路の少し海側には、かつての線路の跡が細い道になって続いている。この旧線を走るC57の1号機を、ぼくは39年前、高校2年生の夏に、線路端から撮影している。ここは「我が青春の羽越本線」なのだ。
 まもなく上り貨物列車が轟音とともにトンネルから出てきた。これは後姿。この列車と府屋の先の複線区間ですれ違って、下り貨物がやって来る。
 Uさんは少し離れたところでカメラを構えている。彼はもともと美大出身で、しかも度々ぼくの「鉄」に付き合っているので、相手が列車でも自然に撮影モードに入れるのである。Oさんはどこかを散歩しているらしく、姿が見えない。
 下り貨物が岩の向こうから姿を見せた。汚れたピンクの富山の81(JR貨物・富山機関区所属のEF81形電気機関車。古い上に汚れた車両が多いので「鉄」仲間からは敬遠されている。)だったので、ちょっとがっかりしたが、次の列車まで2人を待たせるわけには行かない。そこで、勝木から国道345号に入り、笹川流れを目指して南下することにした。
 越後寒川を過ぎると大きな岩が海岸に聳え立つ。
 「これが蓬莱山だ。昔、蒸気機関車の写真を撮った所だよ。」
などとしゃべっているうちに、うっかり今川を過ぎて、桑川の道の駅まで来てしまった。
 「しまった! 笹川流れを過ぎちゃった。」
 まったくとんでもないガイドである。しかも、
 「もう少し先で、写真を撮れる所があるよ。」
と言って、越後早川から間島への途中で列車をプチ俯瞰するポイントに車を入れ、15分も2人を日差しの下で待たせたのだから、まったく鉄道ファンは身勝手な生き物である。いや、ぼくが身勝手な生き物なのだが。
 身勝手な生き物に3日間もつきあってくれたUさん、Oさん、ありがとうございました。
  
       粟島をはるかに望む。   2009.9.21  間島―越後早川

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