国鉄色 最後の夏に 山田線 2007.8.24 山田線大志田―浅岸 |
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こんなタイトルでは、まるでここが鉄道のページみたいである。しかし、鉄道趣味と釣りの趣味の融合をめざすのがこのページなのだから、このくらいのタイトルは許していただきたいのである。 ぼくの「避暑地」 ぼくが東北地方で一番多く泊まっている旅館は、山田線区界駅前の区界旅館である。本当は日本の旅館の中で一番多く泊まっているのだが、ここは「東北の渓のザッコ釣り」のページなので、東北地方で一番、としておく。 区界旅館に初めて泊まったのは、もう15年以上も前のことだ。渓流釣りのガイドブックの閉伊川のページに、この旅館が釣り宿として紹介されていたのを見つけたのだ。紹介といっても宿の写真もなく、「区界駅前」であることと、電話番号が書いてあるだけだった。 ぼくが岩手にイワナ釣りに行くようになったきっかけは、八王子の教員仲間で早池峰山に登る企画があったからだ。すでに福島県奥会津でイワナを釣っていたぼくに、「早池峰山に登る前日の小田越山荘での晩餐に、イワナを用意してほしい」との贅沢な要望が出された。そこで、鉄道趣味で培った土地勘と、2万5千分の一地形図をもとに、ぼくの力量でイワナが釣れそうな場所を早池峰山周辺で物色した結果、早池峰北麓の閉伊川流域が可能性として一番高いという結論に至った。そして、区界旅館に前泊してたくさんのイワナを釣り、小田越山荘(ここは無人の山小屋)に届けたのである。 この翌年から、ぼくは毎年、いや、年に何回も、岩手の渓でイワナ釣りをするようになった。イワナがたくさんいるから、というのは実は二の次で、山田線区界駅前の旅館というロケーションのよさに、すっかりハマってしまったのである。 少しでも線路のそばにいたい鉄道ファンであるぼくにとって、駅前旅館はとても楽しい宿泊施設。そこに泊まって、もう一つの趣味である魚釣りができるのだから、最高である。しかもその魚がイワナなのだから、たまらない。だからぼくは、多い年には1年間に10泊以上も区界旅館に泊まっているのである。特に夏は、高原のさわやかな風を受けての「避暑地」になる。何しろ、標高700mの区界の最高気温、最低気温は涼しい岩手県でも一番低いくらいなのである。その涼しい高原に滞在して、ある日はイワナ釣り、ある日は鉄道写真撮影、そしてたまに盛岡の街に出て、映画を観たり漫画喫茶で時間をつぶしたり、という、「高原の避暑地」の日々を、ぼくは送ってきたのである。
区界を通る山田線は、北上高地を越えて盛岡と三陸沿岸の宮古を結ぶ重要な連絡支線だったのだが、国道106号を走る急行バスに客を取られて、JRの「お荷物」路線になってしまった。しかし、ここ数年、ローカル線、また「秘境駅」の静かなブームが到来し、JRでも臨時列車を走らせたり、団体募集をするなど、新幹線の乗客を増やすための重要な観光資源として認識されてきたようである。 しかも山田線には、国鉄の黄金時代に製造されたキハ52、キハ58というディーゼルカーが走り、しかもJR盛岡支社が2001年に、その車両の一部を、国鉄時代の塗装(クリームと赤)に復元し、多くの鉄道ファンに注目される路線となったのである。 山田線は、列車本数が極端に少ない。朝と夕方だけしか列車が停まらない駅もある。区界にしても、盛岡行きが1日5本、宮古行きが3本。宮古行きの時刻は、一番列車が11時31分(!)、二番列車が17時18分、そして最終が19時59分なのだから驚きだ。さらに、盛岡と区界の間にある大志田という「秘境駅」にいたっては、盛岡行きが6時56分と20時18分、宮古行きは、19時39分の1本だけしか停まらない。 だから、山田線を相手に「鉄」(鉄道趣味の行動)をするときは、車で出かけて撮影をするか、列車に乗ることを楽しむかを選択しなければならない。しかし、贅沢なぼくは、2007年8月24日の1日でこの両方を味わい、さらに山田線の鉄橋の下でヤマメとイワナの釣りを楽しんだのである。 盛岡市民の川 岩手県の県都・盛岡市は、北上川の畔にある。北上川には西から雫石川が合流し、東からは梁川、中津川が市内にいくつもの橋を架けて合流している。このうちの中津川と支流の米内川は、盛岡市の水道水源になっていて、市でも、「市民の川」として位置づけ、環境保持にとりくんでいる。北上川や中津川には、秋にはサケも上って来るのだ。 「市民の川」の「市民」には、釣り人も含まれる。よい環境の中で市民が楽しく魚釣りができるようにと、この川には漁業権が設定されていないのである。つまり、市民が自由に(もちろん節度を持って)釣りをすることができるという、たいへんめずらしい川なのである。ぼくは八王子市民なのだが、ぼくも自由に釣りをすることができるのである。 そうは言っても、特別に魚影が濃いわけではない。閉伊川流域のほうがイワナはたくさん釣れる。でも、閉伊川には他の河川と同様、漁業権が設定されていて、1日1,000円の日釣り券を買わなければならない。ぼくは「ショバ代」と、事故を起こしたときの保険、つまり、ケガをして救出されたときに、「何だ、券も買っていないのか」と言われたくないことから、日釣り券を前の日の夕方に旅館の隣りのコンビニで買うことにしている。だが、券を買うと、もうその日はがんばってたくさん釣らなければ、という気になり、鉄道写真を撮ることはほとんどしなくなってしまうのである。 そこへ行くと、中津川、米内川は気分的に楽なので、「半釣半鉄」が十二分に満喫できるのだから、ありがたい。釣りは列車の合間の楽しみとなり、晩御飯のおかずくらいは確保できるのである。盛岡市のみなさん、ありがとうございます。 山田線、突然山の中へ 学生時代、初めて盛岡から山田線に乗ったとき、びっくりした。列車がすぐに山の中に入ってしまったからである。 盛岡は、岩手県の県庁所在地であると同時に、東北本線、そして今は東北新幹線の重要な拠点である。その盛岡を出たディーゼルカーが、次の上盛岡を出るともうトンネルを潜り、その次の山岸からは、米内川の谷に沿って走り始め、上米内を出ると、もう人跡未踏(もちろんそんなはずはないが)の山の中にどんどん分け入って行った。そして、大志田、浅岸と連続する山の中のスイッチバック駅で、降りる人たちが何人もいるのに驚いた。 今、2つのスイッチバック駅は、かつてのポイントの所に1つだけのホームが作られ、まったくの無人駅となっている。いや、いないのは駅員だけではなく、駅の周りに住んでいる人もいない、「秘境駅」になっているのである。浅岸駅の1kmほど奥には数軒の人家があるのだが、駅の近くには廃校になった学校の建物などが、昔を偲ばせてくれるだけだ。駅のホームには、何と、「クマに注意してください」という張り紙があった。たしかに、クマが出ても不思議ではなく、むしろ「人間が出る」ことのほうが不思議と言えるかもしれない。
さらにここ大志田、浅岸が「秘境駅」的であるのは、車を使うにしても、狭い道を延々と走らなければならないことだ。山田線は盛岡と宮古を結ぶ国道106号から、この区間は大きく北へ離れていて、上米内から大志田へは1本道で行けるものの、大志田から浅岸へは、未舗装区間もあり、さらに、迂回して小さな尾根を越えなければならず、標識(と言うより「道しるべ」)を見落とすと分岐からまったく別の場所に出てしまう。徒歩なら遭難の危険もあるのだ。 浅岸から区界へは、列車はいくつものトンネルを抜けているが、道は、舗装されているが狭い山道をたどって行くと、国道106号の区界トンネルの少し盛岡方に出る。それでも、知らない人はよほど決意しなければ、この区間には入り込めないだろう。 国鉄色キハ58を堪能する
その日の朝、ぼくは区界旅館を午前5時過ぎに出発した。区界トンネルを抜けて、浅岸への道に入る。朝一番の盛岡行き631Dを撮影する場所を探すためだ。この区間は、狭い道がほとんど線路よりも下を通っていて、木々や草が生い茂っているので、撮影ポイントは限られている。浅岸から大志田への尾根を越え、大志田から少し上米内寄りまで行ってみたが、結局、大志田―浅岸間の第14米内川橋梁(だと思う)を下から狙うことにした。 橋を潜る道は砂利道。ジムニー「はつかり号」を停めて、三脚をセットする。接近する列車を視認することができないので、こっちの動作は「押すだけ」にしなければならない。朝日が鉄橋に当たり、国鉄色のキハ58が輝くシーンを思い浮かべながら、通過時刻を待つ。浅岸発車が6時46分なので、6時50分からは、折りたたみの椅子に腰をかけて、スタンバイ。 ところが、そのころ空に白い雲がかかり、朝日の力が弱まってしまった。バックの空は青いのだが、車体は輝かないのではないか。雲に「早く行け!」と怒鳴ったが、列車の通過まで、うす曇りの状態になってしまった。がっかりしたが、シャッターチャンスは合っていて、それなりに満足の行く写真になった(このページのトップ)。 さて、631Dが通過すると、あと4時間の間、ここに列車は来ない。そこで、上米内駅近くに「はつかり号」を停めて、朝に盛岡と上米内を2往復する列車に乗って楽しむことにする。この2往復は631Dで盛岡に行った車両を使うので、もちろん「国鉄色」。上米内駅で青春18きっぷに日付のスタンプを押してもらい、楽しいひと時を味わったのである。 第14米内川橋梁下でヤマメを釣る さてさて、やっと釣りである。このページは渓流釣りのページなのである。 上米内駅で、盛岡へもどるキハ58を見送ったぼくは、再び米内川の奥へ「はつかり号」を走らせた。しかし、次の通過列車までは、まだ1時間半もある。ぼくはさっきの第14米内川橋梁の下に車を停めて、少し下流から川に入った。最初に釣れたのは、10cmのヤマメ。これをリリースしてもう少し進んだところで、鋭角的なアタリと、しっかりした手ごたえ。しなる竿の向こうに、ヤマメが姿を現した。ゆっくり水面を滑らせて、左手でつかむ。この日の最初のキープサイズは、きれいなヤマメだった。
3639Dは、2両編成の先頭に国鉄色のキハ52がついていた。これはチェックしていなかったので、幸運に歓声を上げた。 勾配を駆け下るキハ52型。 2007.8.24 大志田―浅岸 慰霊碑を見つけた 3639Dは、上米内で宮古行き快速「リアス」3648Dと交換する。浅岸の通過は11時20分ころなので、これは浅岸から区界へのトンネルの手前で撮ることにした。朝に発見していた、築堤に登る小道をたどると、すぐに線路端に出た。ここはまだ撮ったことがないので、新しい場所を見つけたぼくは、笑顔。2万5千分の一地形図「大志田」を確かめると、この小さなSカーブの区界方に長いトンネルがある。トンネルに向けては、千分の25の急勾配だ。 トンネルの入口を確かめようと歩き始めたら、線路端に大きな石が見えた。いや、石碑が立っているのだ。近寄ると、「第壹飛鳥隧道殉職者之碑」「昭和二年八月建立」とある。ときどき誰かが手入れをしているようだ。 碑の後ろに回ると、大正14年から15年にかけて、日付の入った8人の殉職者の名前が刻まれていた。 区界旅館に戻ってから、かつて国鉄で保線の仕事をしていたご主人にこの慰霊碑のことを聞くと、トンネル工事で亡くなった人たちの碑で、国鉄時代は毎年慰霊祭をしていたが、今はどうだろうか。」とのこと。でも、周囲の草の様子や枯れた供花などから、今でも手入れがされているようである。 「あそこに書いてある名前は日本人だけなんだよな。」 ご主人は続けた。 「ほかに、朝鮮人がたくさん働いていて、死人も出たはずなんだが、あの時代だから、何も残されていないんだ。」 保線の仕事をしていたご主人は、きっと、先輩から慰霊碑にまつわる話を聞かされていたのだろう。ぼくは、次の機会には名前が刻まれていない人たちの分まで頭を下げてこようと思ったのだった。 第1飛鳥トンネルの浅岸側に建つ「殉職者の碑」。
さて、次の列車は14時20分くらいに通過する、宮古行き3652D。この列車で、朝の国鉄色のキハ58がまたやって来るのだが、それまでの3時間近くを、再び渓の中で過ごすことにした。浅岸駅の少し上流、つまり区界寄りに車を停め、川に降りてまず昼食。コーヒーを沸かして、旅館で作ってもらったおにぎりを食べる。この日は朝と昼、2食分を作ってもらっている。 魚は、ヤマメが多かった。リリースサイズも多かったが、走るヤマメをこらえて引き寄せる楽しみもたっぷり味わうことができた。でも、列車の時刻に遅れると大変なので、2時間で切り上げ。この日に釣った魚は、翌日に秋田県鷹巣の友人宅へのお土産にするので、しっかりクーラーボックスに入れた。
堪能は終わらず 国鉄色キハ58型2連の3652D。 2007.8.24 浅岸―区界 まったく、このページは釣りのページなのである。それなのに、国鉄色キハ58の堪能は、まだ終わらなかったのである。困ったものである。 3652Dを慰霊碑のそばで撮り、車にもどって足回りを取り替える。ウエーディングシューズとウール混紡の靴下を脱ぎ、トレパンを脱ぎ、タイツを脱ぐ。足の水気をタオルで拭いて、ズボンをはき、スポーツサンダルを履く。旅館にもどったのが3時過ぎ。洗濯機を借りて、濡れた釣り着を洗濯している間、宿の食堂でお茶とおしゃべり。洗濯が終わり、部屋に吊るして、一休み。だが、この日の行動はまだ残っていた。 さっき宮古へ向かった国鉄色のキハ58は、盛岡行きの最終で区界にもどって来る。その列車に乗って堪能しようというのだ。 だが、区界から最終に乗ったら、区界には帰って来れない。そこで、17時18分発の宮古行きに乗って行って、盛岡行きを待ち伏せて、区界までもどるという戦術である。この日の朝、上米内で青春18きっぷに今日の日付を押してもらったので、今日はいくらでも乗れるのである。ぼくは隣りのコンビニでビールとつまみを買い、区界駅に向かったのである。いや、目の前が駅なので、「向かった」というほどではないのだが、適当な語彙が見つからないので、「向かった」ということなのである。(そうか、「国道を渡った」という言い方があるナ。) 宮古行きの658Dは、区界で盛岡行きの653Dと交換する。入ってきた653Dが国鉄色のキハ52だったので、またまた幸運! もう見納めだからと、ぼくのためにサービスしてくれたかのようである。 ぼくは宮古行きの「盛岡色」キハ52に揺られながらビールを飲み、窓の外を流れる木々に目をやっていた。釣りの疲れのためか、すぐに酔いが回ってしまった。 この658Dは茂市で盛岡行きと交換するのだが、それではせわしないので、2つ手前の陸中川井で降りて、しばらく散歩することにした。もう、ボーッとしていい気分である。 2つ先の駅で交換して来ると言っても、駅間距離が長いので、40分以上も時間がある。閉伊川の橋を渡って国道沿いの小さなスーパーまで、いい気分で歩き、アイスクリームを買って、きれいな半月を見ながらかじる。駅にもどって、駅の前、駅のホームをブラブラする。こんな時間がぼくは大好きだ。
もうすっかり暗くなった谷間の駅に、2灯のヘッドライトがゆっくり近づいてきた。18時51分発、最終の盛岡行きの到着である。夏休みで、しかも新型車両への置き換えをひかえ、さらに、国鉄色の気動車であるためか、何となく「同業者」が多い。ぼくは、窓の隙間から入ってくる涼しい風を楽しみながら、山田線キハ58の最後の旅を楽しんでいた。 区界に列車が着いた。ホームに降りたとたん、ぼくは思わず「寒い!」と背中を丸め、いっしょに降りた「同業者」も相槌を打った。見ると、この列車から10人近い鉄道ファンがホームに降りてきた。この列車は区界で15分ほど停車して、下りの最終列車を待つ。その時間は、夜景の撮影タイムになるのである。線路を渡って下りホームに行くと、区界旅館の娘さん(と言っても、孫もいる、ぼくより年上)のY子さんも、デジカメを持って待っていた。ぼくも旅館の前の「はつかり号」から三脚を取り出して、アングルを変えて何回もシャッターを押した。 やがて、タイフォンが2つ鳴り、下り列車が入ってきた。これが何と、国鉄色のキハ52がついている。もう、最高のシーンである。 まもなく下り列車が発車、続いてぼくが乗ってきた盛岡行きが、エンジン音を響かせて発車。すぐ下り勾配なので、ノッチ(車のアクセル)をもどす。ポイントを渡って遠ざかるレールの響きが、夜の闇に吸い込まれていった。長い1日が、ようやく終わった。 国鉄色キハ58が、しばしの休息をとる夜の区界駅。 2007.8.24 「東北の渓のザッコ釣り」のトップにもどる ホームページのトップにもどる |