鉄道は雪に弱くなった?

   
   豪雪の中を突っ走る特急「いなほ」。 1981.1.6 上越線 石打―大沢

 今年の冬は記録的な豪雪。国道や高速道路、鉄道の通行止めや立往生、運休などのニュースがマスコミに何度も登場した。
 道路での立往生の直接の原因は、チェーンを巻いていない、または不十分な大型車が雪道で動けなくなったことだが、ここでぼくが注目したのは、通行止めの措置が遅れたのではないかというマスコミの問いに、「生活道路を通行止めにするのはできるだけ避けたかった」と答えた国道事務所の職員の言葉だった。
 山陰の大雪では鉄道も不通となり、何本もの列車が途中の線路上や駅で立往生した。倒木に行く手を塞がれて待機中に雪に埋もれた特急、それを助けに向かったラッセル車も脱線、乗客をバスで運ぼうにも国道が渋滞で行けず、など、鳥取・島根県内で18本の列車が立往生したまま夜明かし、年越ししたとのことである。それにしても18本もの列車が立往生するとは異常事態だ。JR西日本の雪対策の不備も指摘されて当然だろう。「JR西は関西都市圏にしか金をかけていないから」という批判も起きている。

 上越線はよく止まるようになった
 
  当時最強の除雪車、DD54形ロータリー車。  
                1981.2.10 上越線 越後中里―岩原スキー場前

 最近、鉄道が雪に弱くなったという実感を、多くの鉄道ファンが抱いている。新幹線ではなく、在来線の話だが。
 弱くなったのは、雪が増えたためではない。除雪体制が弱くなったためである。上越線は上越新幹線ができてから、雪による不通が増えたというのが、ぼくの実感だ。
 1980年から81年にかけての冬、「56豪雪」の年に、ぼくは新潟県内の鉄道の写真を撮るために何度も雪の中へ通っていた。3mを超える積雪で、まるで溝のようになった線路を、特急列車が雪煙を上げて疾走していた。圧倒的な雪の中を、それでも列車が走っていること自体が驚きだった。
 新幹線はもちろん、関越自動車道も開通していない当時、上越線は首都圏と日本海側を結ぶ生命線だった。国鉄は、全国一の除雪体制を敷いて、この生命線を確保していた。ラッセル車もロータリー車も、最強の車両が配置され、人員も万全の体制で冬期間の輸送確保に当たっていた。
 上越新幹線の雪対策は磐石だ。信号トラブルなどで不通になることはあっても、雪のために止まることはまずない。だが、その分、在来の上越線の除雪体制が弱くなった。豪雪の年でなくても、上越線の水上から新潟県内にかけての区間は、一冬に何度も不通になる。いや、まるで「止めてしまっている」印象すら持ってしまうほどだ。
 たしかに今の上越線は、新幹線に接続する北陸への特急列車の走る越後湯沢―六日町間を除けば、ローカル線並みの輸送量であり、「生命線」だった時代とは様変わりしているのだが、それは旅客輸送に限った話だ。かつてより本数は減ったものの、上越線には今もたくさんの貨物列車が走っている。貨物輸送にとっては、上越線の役割はとても大きい。ところが、施設を持っているJR東日本が列車を止めてしまうため、JR貨物は荷を運ぶことができない。上越新幹線のワリを一番食っているのは、JR貨物だと言えよう。

 羽越線事故の影響
 JR東日本では、2005年12月25日に発生した羽越本線での特急列車転覆事故の影響が大きい。
 寒冷前線の接近にともなう強風の中を走っていた新潟行きの特急「いなほ14号」が、竜巻と判断される突風にあおられて脱線転覆し、乗客5人が死亡、32人が重軽傷を負った事故である。
 事故原因は当時の観測システムでは予測が難しい突風で、運転士は制限速度(120km)よりも自己判断でスピードを落として(約100km)走行しており、事故後の対応も適切だったという事故調査委員会の見解が出されている。しかし、多数の死傷者を出したことはまぎれもない事実で、JR東日本では風対策の強化に100億円以上を使っているとのことだ。また、気象庁でもレーダーの改良など、局地的気象への対応を進めている。

 基準の強化で運休が増えた
   
  スイッチバック時代の信越本線関山を発車する115系普通電車。 
                           1981.1.

 さて、JR東日本では、強風時の運転規制を、この事故をきっかけに強化した。それまでの基準は風速30mで運転抑止、25mで徐行運転(時速25km)だったのだが、事故後は風速25mで抑止、20mで徐行になった。この影響は、台風や前線などによる強風時にしばしば現れた。徐行運転や運転見合わせのケースが大幅に増えたのだ。しかも、私鉄が動いているのにJRが止まっているというケースもあり、特に首都圏の利用客からは不満の声が上がっている。
 JRは規制基準を厳しくしただけでなく、鉄橋や築堤などの強風の常習箇所に防風柵を設けたり、観測機器を増備したりしている。しかし、規制基準緩和の動きは、まだ見えない。

 冬はあてにならない羽越線
 この基準強化の影響は、「地元」の羽越本線でも深刻だ。冬季、日本海からの季節風に晒される羽越本線では、事故の後、徐行や運休が増え、地元自治体からも「設備を整えて基準の見直しを」という声が出ている。何しろ、大阪―青森を結ぶ寝台特急「日本海」、上野―青森を羽越線経由で結ぶ「あけぼの」は、冬場は運休が多い。それも、「低気圧接近で荒天が予想されるため」、事前に運休を決めてしまうことが多いのだ。
 たしかに、途中で立往生したり、事故が起きたりしてはどうしようもないのだが、利用客には、「JRは弱気になった」と受け取られてしまう。常連客は、いつも代替ルートを頭に入れて出張計画を立てているそうだ。
 同じ雪国の鉄道でも、風による運休が多いのは日本海に沿った線区と、風の通り道に当たる一部の山間線区。それ以外の線区が不通になるのは、本当の大雪のときだ。今年の冬は内陸部の線区でも、除雪作業のために列車を止めるケースが多い。

 鉄道が「生命線」の時代は……
      
 「五六豪雪」と闘う国鉄職員。客車に機関車を連結する前に、機関車が押してきた雪をどけなければならない。  1980.12.27  北陸本線 糸魚川
 それにしても、今のJR東日本には、かつての国鉄のような、「何としてでも鉄路を守る」という気概が感じられない。奥会津と越後を結ぶ只見線は、県境付近が不通になったまま、もうずいぶん日数が経つ。これでは春まで開通させないのではないかと思えるほどだ。「安全第一」は評価できるが、最初に紹介した国道事務所の職員の言葉を思い起こすと、すでに鉄道が地域の生活の生命線ではなくなっていることを証明しているようで、鉄道ファンとしてはまったく残念な現実である。

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