鉄路の記憶

     
春の木曽路   1971

   
 夜明けの空に白煙が舞う。D51が牽引する臨時急行9817列車「ちくま51号」である。                    1971.5.2  木曽福島―中平信号場
 1971年、高校3年生になった5月の連休に、再び木曽路へ向かった。新宿を5月1日夕刻の「アルプス8号」(超満員だった)で旅立ち、塩尻で名古屋行きの夜行に乗り換えて木曽福島へ。夜明けを待って、隣の上松まで、撮影しながら1日がかりで歩いた強行軍だった。

   
 木曽福島と上松の間は単線で、木曽福島寄りに中平信号場がある。列車ダイヤをチェックしていない貨物列車がやって来たので、あわてて三脚を据えた。重いタンク車を、後補機の力を借りて引いて来る。思いがけない出会いだった。  1971.5.2  中平信号場

   
 中平信号場で狙ったのは、この列車だった。午前6時ごろ、D51 265(中津川機関区)が牽引する2683列車である。
 このとき、フィルムは「イソパンISS」というASA100のドイツ製のフィルムを使っていた。粒子が細かく、ネオパンSSよりも暖かい雰囲気に仕上がる、なかなかの代物だった。

          
             661列車   1971.5.2 中平(信)―上松
 この年の正月に来たときにはほとんど運休だった貨物列車が、この日はしっかりと動いていた。中津川機関区のD51 777が勾配を上ってきた。朝は気温が低いので、白煙がきれいだ。
   
              692列車   1971.5.2 中平(信)―上松
 中山道木曽路の難所、「木曽の桟(かけはし)」付近は、中央西線も急斜面に橋を架けて建設されていた。ここは現在は複線トンネルとなっている。
         
   
     この時代、ディーゼル急行の編成も長かった。801D「きそ1号」。
                          1971.5.2  中平(信)―上松


       
                   667列車 D51 402(中) 

           
             12D 上り特急「しなの」 キハ181系
 夜明けから午前中にかけて、とても充実した時間を過ごしたぼくは、午後、木曽平沢―奈良井間で上り貨物列車(D51重連)を狙うことにした。午前中は他の撮影者に一人も会わなかったが、午後は10人ほどが重連を待っていた。だが、時間がだいぶ過ぎてもやって来ない。ゴールデンウィークのため、運休だったらしい。最後は空振りで木曽路を後にして、松本のユースホステルに泊まり、翌日は篠ノ井線の羽根尾信号場のスイッチバックでDD51やディーゼルカーを撮影している。SLだけにこだわらない、若き鉄道ファンだったのである。

       
            線路脇でコーヒータイム中の、17歳。
                1971.5.2  中平(信)―上松


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