鉄路の記憶 伊那谷の鉄路 飯田線 1970、1971 田切―伊那福岡 1970.8.22. 伊那谷。天竜川に沿ってきたから南に連なる細長い谷。 東に南アルプス、西に中央アルプスの峰々が聳え立つ谷。 河岸段丘の上に桑畑が広がる上伊那。 山々がそのまま天竜川に落ち込んでいる下伊那。 そして、村と村を結ぶ、細い、だが住民の大切な足である飯田線。 その飯田線の表情を、1970年夏、1971年初秋の写真から抜き出してみた。 いなだにの持つ雰囲気が少しでも伝われば幸いである。 このページは1971年に作ったアルバムを収録したものです。青字の文章は、当時のもの(一部改訂)ですので、ご承知おきください。 |
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ED19とクモハ42の交換。 1970.8.22 伊那福岡 伊那谷の朝は、古いモーターのうなり声で始まる。そして朝の光が花崗岩の河原に照り、その向こうに中央アルプスがそそり立つ……と言いたかったが、この朝は雲で見えなかった。雲がなければ標高2864mの空木(うつぎ)岳が、電車の向こうにそびえているはずである。 飯田線は古い電車、機関車の溜まり場である。戦前から戦後にかけて東京や大阪で使われた車両が、続々とこの谷間の線区に押し込められて来る。そして彼らは車体を紺とクリームの横須賀色に塗り替えられて、第二の職場に勤めている。 電気機関車はもっと古い。大正から昭和初期に、輸入されたり、国産初期の試作として製造された機関車が未だに残っている。 辰野―飯田間ではED19、ED26、飯田―中部天竜間ではED18、そして中部天竜―豊橋間はED17が使用されている。 しかし、新型電気機関車の登場で余った、大型のEF10が割り込んできて、1972年春には飯田―豊橋間をすべてEF10に統一し、急曲線のある辰野―飯田間でED18、ED19を使用する予定である。 半径140mの急カーブをゆっくりと通過する。 田切―伊那福岡 80系が急行列車に使われていた。 田切―伊那福岡 飯田線の急行は、豊橋―辰野間の全線を走る「伊那」、新宿から飯田、天竜峡まで直通する「こまがね」、そして長野から来るキハ58系「天竜」の3系統。そのうち「伊那」3往復には、大都市付近では各駅停車からも退いた「湘南型」80系が使われている。しかしこれも1972年春には、「こまがね」と同じ165系に置き換わることになっている。 中田切川橋りょうを渡る、ED19形牽引の貨物列車。 1970.8.22 田切―伊那福岡 1970.8.22 門島―唐笠 辰野から来た電車が天竜峡を出ると、風景は一変する。天竜川狭窄部への突入である。明るく開けた谷の代わりに、数え切れないトンネルと天竜川の流れが展開する。 天竜峡から中部天竜までの区間は、3分の1以上がトンネルのために、「地下鉄飯田線」と称する人もいるほどだ。 1970.8.22 唐笠―門島 ED18は、イギリスのDICK−KERR WORKS(通称、「デッカー」)という会社で製作され、東海道本線の電化用に輸入された。ED17とよく似ているが、台車を「A−1−A」という珍しい軸配置に変えたもので、このとき、豊橋機関区中部天竜支区に3両が配置されていた。1972年からは伊那松島機関区に配転となり、飯田―辰野間で使用された。 このときの旅は、小石川高校鉄道研究同好会の自主合宿。宿は温田(ぬくた)だったが、当時は現地の電話が自動交換機ではなく、公衆電話からではつながらなくてびっくりした。
旧型国電同士の列車交換。左はクモハ52、右はクモハ61である。 1970.8.23 城西 流線型電車クモハ52と、デッカーED17の、豪華な列車交換。 1970.8.23 三河東郷 1970年8月21日の新宿を夜行急行「アルプス6号」で出発した小石川高校鉄道研究同好会のメンバーは、22日の午前中を田切―伊那福岡間で、午後を門島―温田間で過ごし、温田の旅館に宿泊した。翌23日は城西で撮影したあと、豊橋から80系東京行き普通列車で帰着した。 ぼくにとっても、他のメンバーにとっても初めての飯田線であり、その印象は強烈だった。 1971年9月、高校3年生のぼくは、再び飯田線を訪れた。今度は一人旅。C56の小海線に物足りず、予定を1日早めての、2泊3日の飯田線訪問だった。天竜川は、やはり圧倒的な迫力で、ぼくを迎えてくれた。 1971.9.29 金野―千代 1971.9.29 為栗(してぐり)―温田 急行がタブレットを引っ掛けて通過する。 1971.9.29 門島 停車する列車は駅長からタブレットを受け取る。ED18のヨロイのような通風孔が印象的だった。 1971.9.28 温田 谷間の駅に、大きな電気機関車EF10がすでに姿を見せていた。 1971.9.29 温田 当務駅長がタブレットを扱い、白手袋の右手を上げて発車合図をする。ホームが短いので、先頭車はホームにかからない。 1971.9.29 温田 急行「伊那」の80系と、かつては京阪神間の急行電車だったクモハ52が顔を合わせた。 1971.9.30 水窪 1971.9.30 出馬―上市場 初秋の伊那谷を、ED26が行く。 1971.9.28 上片桐―伊那田島 (アルバムは1971年に製作しました。) 「鉄道民俗学」のトップにもどる ホームページのトップにもどる |