鉄路の記憶

    
中央本線 in Tokyo
                                 
                                   1969〜1979

 子どもの頃は市ヶ谷の濠の向こうを走る電車を眺めていた中央線。八王子に就職してからは、意識して撮影した中央線。ここでは東京―高尾の国電区間の、昔の風景を集めてみました。
   
 房総西線(内房線)電化初日、新宿発の165系急行「うち房」を市ヶ谷―四ツ谷間で撮影した。(この場所、昔は柵も何もなく、入れたのです。) 1969.7.13

   
 続いて来た臨時急行は、113系。わざわざ手前の草を前景に入れて撮っている、高校1年生の私。    1969.7.13 市ヶ谷―四ツ谷

   
 新宿駅の1番線から。右は165系の急行「アルプス」、左は停車中の貨物列車。EF13形の次位にはEF11形1号機が連結されている。  1970.7.23

   
 同じ新宿駅1番線ホームから、EF11形の2号機。EF11はわずか4両の少数所帯で、このときは全機が八王子機関区に所属していた。1974年には廃車になっているので、貴重な写真である。   1970.7.23

   
 新宿―甲府間の急行「かいじ」は、夜の1本が115系で運転されていた。
 この日、到着した普通列車をED61が引いてきたのだが、写真に撮らなかったことを後悔している。今度から牽引機が変わったとばかり思っていたのだが、ED61の引く客車列車はこのときだけしか見ることができなかったのである。
                            1973.8.17   新宿


   
 御茶ノ水の聖橋からの風景。地下鉄丸ノ内線の500形が懐かしい。中央線快速東京行きの後姿とのコラボ。これに上を走る総武線が加わるとベストなのだが。  
                                1973.12.26


   
     103系初期型の特別快速。  1974.3.25  高円寺

   
 大都市のターミナル駅で、デッキ付きの電気機関車がふつうに見られた時代だった。
                              1974.8.14  新宿

  
  郵便荷物車2両を連結して10両編成になった115系普通列車新宿行きです。
                          1975.1.6  高円寺

  
    今では信じられない、ディーゼル急行11両編成。先頭はキハ65である。
                               1975.1.6 高円寺

    
   まだ客車列車もEF64の牽引になって残っていた。 1975.1.6 高円寺

   
 1976年、八王子の住人となった私は、中央本線を中心に撮影を始めた。これは八王子の陸橋(りくばし)から西側を見た風景。踏切は国道16号の相模街道踏切で、このときは踏切警手がいた。  1977.1.22   八王子―西八王子

  
 中央本線の貨物列車は、八王子を境に牽引機が交代していた。東の平坦区間には、まだEF15も走っていた。西の山岳区間は、EF64が幅を利かせ、ED61は風前の灯になっていた。 1977.12.11  豊田―八王子

   
                   日曜日夕刻の新宿駅。  1978.12.1

   
  郵便荷物合造車クモユニ82形と特快103系が並んだ。1978.12.1  新宿

   
 急行「アルプス」には、サロが2両、ビュッフェ(営業はすでに休止していた)のついたサハシが連結されていた。  1978.12.17  立川―日野

   
 多摩川河川敷は、人々の憩いの場。遊具で遊ぶ子どもたちの向こうを、183系の特急「あずさ」が走る。  1978.12.17  立川―日野

   


   
 三鷹以西には、たくさんの踏切があった。「開かずの踏切」も多かったが、ここはおだやかな、小さな踏切。ミラーに、シャッターを押した私が写っている。
                      1979.2.12  三鷹―武蔵境。


   
 多摩川を渡る電車は非冷房の101系。ガーダー橋の響きが聞こえてくるようだ。 
                           1979.2.12  立川―日野


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