ひたちない郵便局の秘密 

 ひたちない郵便局は、秋田県北秋田郡ひたちない村の、たった一つだけの郵便局だ。職員は、局長を含めて三人しかいないのだが、窓口の郵便や貯金、振替などの仕事のほかに、集配業務も行っている。もっとも、村の人口は五〇〇人ほどなので、それほど忙しいわけではない。
 だが、ひたちない郵便局には、日本政府には知られていない、もう一つの大切な仕事がある。それは、ひたちない村の奥にあるクマの村、くまのたいら村との郵便物の交換業務なのだ。
 ある秋の日、その大切な秘密が、政府郵政省に、危うく見つかりそうになった。これは、その危機一髪の報告である。

  クマの郵便局員 
 ひたちない村の村営バスの終点、もりよし温泉から、車の通れない山道を30分ほど登った、大きなミズナラの木の下に、丸木をくりぬいて横向きにすえつけた郵便ポストがある。ここが、ひたちない村と、くまのたいら村の境界だ。
 晴れた秋の日の朝、くまのたいら村からの下り坂を、大きな荷物を背負った一人のクマが、やってきた。
 「やれやれ、やっと着いたよ。何て大きな荷物なんだ。今年の郵便の中で、一番重い荷物だよ、これは。」
 クマは、大きな袋をポストの横に下ろすと、腕を伸ばして、大きなあくびをした。
 「あーあ、めんどうくさい。こんな天気のいい日に、どうして郵便配達なんか、しなければいけないんだよ。まったくゥ!」
 そんなことを言いながら、クマは、横に長いポストの、右側の扉を開けて、手を突っ込んだ。中には手紙が一通、入っていた。
 「なになに、うわぁ、東森のクマ次郎さんあてだぁ。三つも山を越えた、一番奥の家じゃないか。これを届けるだけで日が暮れちまうよ。あーあ、めんどうくさい。……そうだ、クマ次郎さんのうちは、イワナのくんせいを作っているんだっけ。よし、一番大きなやつを、郵便配達料にもらってやろう。ウウッ、うまそう!」
 クマは、危うくよだれをたらしそうになりながら、手紙をカバンに入れ、代わりに、背負ってきた大きな袋を、左側のとびらを開けて、ドスンと入れた。その大きな袋には、小さなオマケの袋がついていて、中には、ヤマグリがいっぱいつまっている。
 「おっと、いけない。キクヨから手紙を頼まれていたんだっけ。危ない危ない。これを出し忘れたら、大変だ。キクヨに引っかかれちまうよ。」
 クマは、ニヤニヤ笑って、ヤマブドウの入ったかごといっしょに、手紙をポストにそっと押し込み、鼻歌を歌いながら、今きた山道を引き返して行った。

 人間の郵便局員
 クマの郵便局員が、山を一つ越えたころ、くまのたいら村へ続く山道を、人間の郵便局員が、汗をふきながら登ってきた。
 「いやあ、暑い暑い。秋になっても、この山道を歩くのは、大変だ。ひたちない郵便局の受け持ちの中で、ここだけは、車の通れる道がないんだから。」
 この、奥山マサル局員が、横に長いポストの左側のとびらを開けると、大きな袋がドンと置いてあった。
 「うわあ、こりゃあ、たまげた!」
 びっくりぎょうてんした奥山局員は、でも、おまけのヤマグリの袋と、ヤマブドウの入ったかごを見て、急に、うれしそうな笑顔になった。
 「なになに、この荷物は……。ああ、東京の、さくら台小学校あてのクルミかあ。そう言えば、この間、にぎやかなワラシ子たちが、バスに乗っていたっけな。よし、サービスして送ってやろう。手紙のほうは……、ああ、キクヨちゃんから、きたくまもり村のタケシへの、いつものラブレターだ。あれ、かごにメモがついてるぞ。」
 (人間のゆうびんやさん、いつもありがとう。これは、わたしがとってきたヤマブドウです。どうぞ食べてください。)
「いやあ、かわいいねえ、うらやましいねえ。はいはい、しっかり届けますよっと。」
 奥山局員は、手紙をカバンに入れ、大きな荷物を背負い、かごを手に持って、ゆっくりと山道を下って行った。ヤマブドウを少しずつ口に入れながら……。

 ひたちない郵便局の仕事
 ひたちない郵便局は、秋田県北秋田郡ひたちない村にある。ひたちない村は、バスも、小さな鉄道も通っているけれど、山に囲まれた小さな村だ。
 ひたちない郵便局は、人間の村の郵便局だが、クマの郵便も、あつかっている。奥山マサル局員が、山道の途中の、くまのたいら郵便局との交換ポストから運んできた郵便物は、手紙には切手が貼られ、大きな荷物は『ゆうパック』にして、ひたちない駅から、もりよし鉄道の小さなディーゼルカーに積み込まれる。もちろん、ひたちない村からの郵便物といっしょだ。
 もりよし鉄道には、郵便専用車がないので、お客さんが乗る車両のすみっこに、郵便物の袋が乗せられる。
 さくら台小学校あての荷物は、ふもとの大きな町、鷹ノ巣の郵便局に運ばれ、トラックで東京に送られる。きたくまもり村のタケシあてのラブレターは、もりよし鉄道のとちゅうの、あにまえだ駅で下ろされ、あにまえだ郵便局に運ばれる。あにまえだ村と、きたくまもり村の境の山道には、やっぱり横に長い郵便ポストがあって、きたくまもり郵便局のクマと、手紙や荷物の引きつぎをしているのだ。

 クマの郵便ネットワーク
 知らない人が多いと思うが、クマの村のとなりにある人間の村の郵便局では、どこでもクマの郵便物をあつかっている。秋田県だけでも、39の人間の郵便局が、この仕事をしているのだ。もちろん、政府郵政省には、この事実は知らされていない。北海道をのぞく日本全体では、498の郵便局が、政府にないしょで、クマの郵便物を届けているのだ。
 北海道の郵便局がクマの郵便物をあつかっていないのは、北海道のヒグマが大きすぎて、人間の郵便局員が、こわがって配達に行かないためだ。
 だから、ヒグマの村では、エゾリスにたのんで、手紙を届けてもらっているのだが、このエゾリス便、大きな荷物を運べないのが難点である。

 ふくらんだ「ゆうパック」
 その日の午後3時過ぎ、ひたちない郵便局の中森アカネ局長は、さくらだい小学校あてのクルミを段ボール箱につめながら、頭をひねり続けていた。
 「どうしようかな、どうしようかな、どうしようかな、ウーン……。」
 くまのたいら小学校から運ばれてきたクルミは、袋のままでは東京まで送れない。そこで『ゆうパック』の段ボール箱につめているのだが、クルミが多すぎて、一番大きい箱に入れても、ふたが閉まらないのだ。
 「まったく、大熊先生ったら、気前がいいんだから。少しは、こっちの身になってほしいものだわ。今度あったら、文句を言わなくちゃ。」
 アカネ局長は、両手に体重をかけて、クルミの袋をグイッと箱に押し込み、窓口に座っている熊谷セイジ局員に向かって叫んだ。
 「早く、セイジ君、ここへ来て、ふたを閉めてちょうだい!」
 セイジ局員は、あたふたとやって来たが、箱はなかなかうまく閉まらない。
 「セイジくん、あなたのお尻を乗せなさい!」
 アカネ局長にどなられたセイジ局員は、あわてて大きなお尻を箱の上に乗せた。すると、さすがのクルミも、観念したように箱に押し込まれ、アカネ局長が、すばやくテープをがんじがらめに貼りつけて、ようやく『ゆうパック』が完成した。しかし、そのダンボール箱は、箱と言うよりも風船と言ったほうがいいくらい、中のクルミに押されて、パンパンにふくらんでしまった。
 今にも転がり出しそうなその箱を見て、アカネ局長は考え込んだ。
 「二つの箱に入れたほうがいいかしら。でも、一つの、郵便物を勝手に取り出して二つに分けるのは、郵便法に違反するし、お金もよけいにかかってしまう。ただでさえ、うちの局は、営業成績が悪いって、郵政省から、にらまれているし……。まあ、いいや。セイジくん、これにあて名のシールを貼ってちょうだい。」
 アカネ局長はそう言って、自分のつくえにもどって、フウッとため息をついた。

 あにまえだ局からの緊急連絡
 そのとき、局長のつくえの電話が鳴った。受話器をとったアカネ局長の耳に、あにまえだ郵便局長の、あわてた声が飛び込んできた。
 「中森さん、たいへんだ! 東京の郵政省から、エライ人が視察に来たダヨ! いま、オラホの局サ出たとこだ。きょうは、もりよし温泉に泊まるから、ついでに、ひたちない局にも寄るって言ってたデ、とにかく知らせておこうと思ってナ。」
 アカネ局長は、大きな口を開けたまま、体がこわばってしまった。あにまえだ局の局長が、
「エエか、ウマイ茶ッコサ出して、何でもハイハイって言って、あたまを下げるダ。どうせ温泉旅行のついでの視察なんだから、すぐに帰るベサ。それから、いっしょについてきている秋田郵便局の熊川って男は、クマネットの人間だから、安心してまかせておけ。」
と教えてくれる声を、アカネ局長は、ボーッとした頭で聞いていた。
 これはたいへんなことだ。きっと、このあたりの郵便局の営業成績が悪いので、郵政省の役人が、文句を言いに回っているのだろう。頭の回転がもどってきたアカネ局長は、あれこれと言いわけを考え始めた。
 (わたしだって、定額貯金のセールスはしているし、このあいだは、村の寄り合いで、簡易保険を二件拡大したし、あまった記念切手を友だちに売りつけているし。でも、人間の数が少ないのだから、営業成績が悪いのはあたりまえよ。クマの人数を入れれば、けっこうお客さんは多いんだけど、まさか郵政省の人に、そんなことは言えないし……。)
「ええい、とりあえず、そうじだ、そうじだァ!」

 郵政省監督局査察官
 セイジ局員があわててお湯をわかし、アカネ局長が玄関に水を打ち、カウンターのぞうきんがけを終えたとき、外で車のとまる音がした。
 玄関のドアの向こうに、ネクタイをしめた見知らぬ男たちが三人で、ひたちない郵便局の小さな建物を見回していた。後から来た男が、ドアを開けて三人を中に案内した。
 「やあ、お客様は、いないのかね。」
 一番先に入って来た男が、セイジ局員に声をかけた。
 「は、はい。」
 セイジ局員が答えると、二番目に入って来た男が、大きな声で笑って言った。
 「こんな山奥だから、客も少ないでしょう。このあたりでは、人間の数よりも、クマの数のほうが多いのではないですかな。」
 「ウッハッハッハ」と、三番目に入ってきた男が、もっと大きな声で笑った。
 「あのう、何かご用でおいでになられたのですか?」
 アカネ局長が、顔を真っ赤にして、でも、落ち着いた声でたずねた。すると、さっきドアを開けた男が、秋なのに汗をかいて、説明した。
 「こちらは、秋田県の郵政事情を視察に来られた、東京の郵政省のみなさまです。山奥の村の郵便局を、わざわざ見ていただけるというので、ご案内しました。私は、秋田郵便局の熊川といいます。」
 「それはどうも、ご苦労さまでございます。わたしが、ここの局長の中森でございます。まあ、おすわりいただいて、お茶でもお召し上がりくださいませ。」
 アカネ局長はセイジ局員に合図をして、事務室のいすを出し、お茶を用意させたが、一番目に入ってきた男は、
「いやいや、けっこう。あとのことがありますから。」
と、手を横に振り、胸を突き出すようにして言った。
 「私は、郵政省監督局査察官の小泉です。郵政事業がもっと利益を上げるための施策を考えることが、私の仕事です。さて、君、きょうの『ゆうパック』の受け付けは、何件だったかね?」
 突然声をかけられたセイジ局員は、びっくりして大きな声で答えた。
 「はいっ、そこにある箱一つだけであります!」

 みんな、まっ青
 「アッ」と顔をしかめたアカネ局長をのぞいた五人の目が、いっせいに、あの、風船のようにふくらんだ、大きな『ゆうパック』の箱を見つめてしまった。事態に気がついたセイジ局員と、秋田郵便局の熊川さんは、アカネ局長と目を見合わせてうろたえたが、郵政省の三人の目は、まだ、風船のような箱に、くぎづけになっていた。
 「何ですか! この箱は!? こんなにふくらんでいたら、規格に合わないじゃないか! どうしてこんなものを受け付けたんだ!?」
 二番目の男が、アカネ局長をどなりつけた。
 「はい、あのう、学校から来た荷物なので、ことわるのもどうかと思いまして、そのまま受け付けたのですが……。」
 アカネ局長が弁解すると、三番目の男が顔をしかめて言った。
 「学校も保育園も、同じお客様なんですよ。郵政事業も、商売なのですから、きっちりと料金をとらなくてはいけません。どうも、現場は認識が甘い。これでは民間会社に勝てませんよ。この荷物を出した学校に、すぐに電話をかけて、追加料金をとりなさい。どこの学校かね。……なになに、くまのたいら小学校だって?」
 「あのう、その学校には、電話がないんです。」
青い顔のセイジ局員がそう言ったとたん、一番目の男、小泉査察官が、大声を出した。
「何だと!? いまどき、電話がない学校が、あるわけないじゃないか! 
それともナニか? くまのたいら小学校は、人間の学校ではなくて、クマの学校だとでも言うのかね!?」
 いっしょに来た二人の役人は、小泉査察官の言葉を聞いて、お腹を抱えて笑い出した。だが、アカネ局長とセイジ局員、それに熊川さんの顔は、真っ青になって凍りついてしまった。
 お腹を抱えて笑っていた二人の男が、しだいに落ち着きを取りもどしてきた。だが、アカネ局長たちは、まだ、体を固くして、つっ立ったままだった。

 ヤマブドウ危機一髪
                
 そのとき、ひたちない郵便局のドアが開き、集配を終えてもどってきた奥山マサル局員が、中のみんなに、のんびりした声をかけた。

 「オーイ、茶ッコしネエカ? オラが朝もらってきたヤマブドウがあるからヨォ。」
 六人の視線が、いっせいに奥山局員に集まった。何も事情を知らない奥山局員は、集配カバンを置くと、冷蔵庫から、かごいっぱいのヤマブドウを出して、つくえの上に置いた。
 「あれ、お客さん、見慣れない顔だな。都会の人かい? セバ、ちょうどいい。都会ダバ食べられネエ山の味だ。サ、つまんでみろや。」
 あっけにとられた東京の三人は、顔を見合わせながら、それでも青紫色の小さな粒を一つ、口に入れてみた。
 「ウゥーン、すっぱい。いや、でも、おいしいぞ。」
 「コクがありますねえ。なつかしい味ですねえ。」
 「たまらんねえ、とまらんよ。」
と、かってなことを言いながら、三人は手を休めずに、ヤマブドウの粒を、口の中に放り込んでは、皮とタネを手のひらにペッペッと吐き出した。 
 「ちょっとまて。」
 小泉査察官が、二人の手をさえぎった。
 「このヤマブドウで、ブドウ酒を造ったら、きっと、すばらしい味の酒ができるに違いない。君、このヤマブドウを、全部もらえないかね。」
 二人目の男がうなづいた。
 「それはいい考えですな。小泉さんの果実酒好きは、郵政省でも有名ですからな。」
 「今まで何度もブドウ酒を造ってみたが、なかなかいいものができなかったんだ。この酸味の強いヤマブドウを使えば、さぞかしうまいブドウ酒ができるだろう。」
小泉査察官が、さっきの引きつった顔から、満面の笑顔になったとき、奥山局員が、不思議そうな顔で、小泉査察官に話しかけた。
 「あのう、お客さん、郵政省のかたダか? さしでがましいようだが、オラたちがブドウで酒を造るのは、一応、法律で禁止されているダドモ。
今は昔みたいに税務署がうるさくないから、ないしょで造ってるものは、けっこういるダドモ、やっぱり、郵政省のえらい人がぶどう酒を造ったら、まずいんでないのかい?」
小泉査察官の顔色が、見る間に真っ赤になり、目がキョロキョロといそがしく動き回った。
 「いや、君、法律というものは、ね、人間が楽しく暮らすためにあるのだから、ね。だから、その、四角四面って言うわけではなく、丸く、そう、丸く考えることが大切なのだよ。」
 小泉査察官は、やっとのことで声を出したのだが、口の動きと声の出方が、不ぞろいなので、アカネ局長とセイジ局員、それに熊川さんは、笑い出しそうになるのを、必死にこらえていた。郵政省の二人の男が、あわてて小泉査察官に、相づちを打った。
 「そうです、そうですとも。」
 奥山局員が、納得のいかない顔をして口を開こうとしたとき、アカネ局長がニッコリ笑って言った。
 「そうですよ、他人様に迷惑をかけなければ、おいしいものを味わうことは、罪にはなりませんわ。少しぐらい丸いほうが、角が立たなくていいじゃありませんか。」
 アカネ局長は、そう言いながら、ことの起こりの丸い「ゆうパック」に、ゆっくりと視線を送り、また小泉査察官のほうを向いて、大げさにうなづいた。小泉査察官も、チラリと「ゆうパック」に目を移したあと、まだ不ぞろいな口のまま、笑い声を出した。
 「ウハ、ウハハ、ウハハハハ……。」
 郵政省の二人の男も、それにあわせて、顔を少しゆがめて、笑い出した。
 「ウハハ、ウハハハ、ウハハハハ……。」
 アカネ局長は、ヤマブドウのかごを、小泉査察官の前に差し出していった。
 「どうぞ、これを東京へのおみやげに、お持ちください。私たちは、こんな山奥でも、村の人たちのために、毎日まじめに仕事をしています。わたしたちの仕事は、世のため、人のため、そして、そう、クマのためにもなるのですわ。」
 東京の三人は、アカネ局長の最後のことばで、ドッとふきだして大笑いをした。セイジ局員は、まじめな顔で、うなづいた。熊川さんは、ドキッとした顔を一瞬だけ見せたが、すぐに三人といっしょに笑顔を作った。
 郵政省監督局の一行は、今晩の宿の、もりよし温泉に出発した。ヤマブドウのかごは、大切に車に積み込まれた。
 アカネ局長とセイジ局員は、玄関の外に出て、熊川さんの運転する車を見送った。だが、奥山局員だけは、ヤマブドウが置かれていたつくえの上を、じっと見つめて、何度もため息をついていた。

(「ひたちない郵便局の秘密」、おわり)