あるぽらんの夜 |
「あの人、今ごろどうしているでしょうね。」 カウンター席にすわった猪熊サチコさんが、ビールのグラスを置いて、「フーッ」と、ため息をつきながら、つぶやいた。 「きっと、いい夢見てますよ。」 ゴーヤチャンプルを作っていたマスターの佐々木ヨシタカさんは、ちらりとサチコさんの方を見て、口元をゆるめた。 「でも、私、今でも、まだ信じられないんですよ。あの人がクマで、いま、山の中で冬眠しているなんて……。」 「そうだと思いますよ。だって、サチコさんが猪熊さんからカミングアウトされたのは、つい1ヶ月前のことなんですからね。」 佐々木さんは、夜の窓の外を見上げながら言った。中央線のオレンジ色の電車が、明るい窓の中にたくさんの乗客を乗せて、阿佐ヶ谷駅のホームに入ってくるのが見えた。 サチコさんの連れ合いの猪熊ゲンジさんは、今、40年ぶりにクマの姿にもどって、故郷の秋田県くまのたいら村で、40年ぶりの冬ごもりをしている。 ゲンジさんは、くまのたいら小学校2年間で卒業したあと、人間の姿になって、ひたちない小学校の3年生に転入した。そして、ひたちない中学校を卒業して、集団就職で東京のレストランに勤め、コックの修業を積んで、10年前に、自分の店を開店させた。その、レストラン「森の家」は、東京都世田谷区にある。 ゲンジさんは、修業時代に知り合った人間のサチコさんと結婚して、男の子が生まれた。そのヒデオくんは、レストラン「森の家」で、いっしょに働いている。ゲンジさんが冬ごもりをしている間、ヒデオくんはサチコさんと2人で、店を守っているのだ。 クマの世界では、冬は活動を停止して、ほとんど寝ているのだが、人間になったゲンジさんは、冬も厳しいコック修業を続け、自分の店を持ってからも、店の仕事とクマネットの活動にずっと働きづめだったので、ストレスがたまりすぎて、神経性胃炎になってしまった。心配したサチコさんとヒデオくんに、ゲンジさんは、意を決して、自分がクマであることを告白したのである。 「最初は、冗談を言ってるって、笑ってたんですよ。でも、真剣な顔つきで、くまのたいら村の出した通行手形とか、クマネットの機関誌を見せるんで、私、こわくなったんですよ。」 「そして、ここに来た、というわけですね。」 佐々木さんは、ニッコリ笑った。 「ええ。あの人が、ここが東京のクマネットの連絡所だから、話を聞いてみてくれって言うものだから。それで、佐々木さんから、クマが人間になる方法とか、クマの村への行き方とか、いろいろ聞いて……。」 「そう。あのとき、サチコさんの顔、ほとんど固まってましたよね。」 「あはっ。……でも、あの人がたとえクマでも、これからもいっしょにやって行こうって思ったのは、クマの人たちのほうが、人間よりも環境問題を真剣に考えているんだなって、わかったからなんです。うちの店は、有機栽培の野菜とか、産直の肉とかを使っているけど、みんな、あの人が言い始めたことなんですよ。私は、少しでも値段が安いほうがいいって言ったんだけど、あの人、頑固だった。でも、最初は赤字覚悟だったのに、常連のお客さんが少しずつ増えて、今は、ほんとに忙しいくらいなんですから。」 「いい素材、いいシェフ、安い値段ですからね、はやらないほうがおかしいですよ。今は自然食の時代ですからね。」 また、オレンジ色の電車が、駅に入ってきた。曇った窓ガラスの向こうの、人の影が揺れている。 「佐々木さんは、どうしてクマネットに入ったんですか?」 まだ時間が早いので、小さなこの店には、ほかに客がいなかった。ゴーヤチャンプルをサチコさんに出して、佐々木さんは、フライパンを洗うと、話を始めた。 「ぼくは、京都の福知山の生まれなんですけど、東京の大学に来て、環境問題のサークルに入ったんですよ。そうしたら、そこに、岩手出身の先輩がいて、山のことにとてもくわしいんですよね。いっしょに山にイワナ釣りに入ると、ナタ1本で、その辺の木を切って、寝る場所を作ったり、石を積んでカマドを組んだり、屋根つきの宴会場まで作っちまうんです。その先輩といっしょに行くと、山の暮らしがとても楽しくて、いつだったか、先輩に聞いたんですよ。『どうしてそんなに何でもできるんですか?』って。そしたら、その先輩、『オレはクマだから』って言うんですよ。最初は冗談だと思っていたんだけど、夜、酒を飲みながら、先輩が、まじめな顔をして、クマの村の話を始めたんです。」 「その先輩も、猪熊と同じような都会留学生だったわけね。」 「そう。くまのはた村っていうクマの村の出身で、盛岡の高校を出て、ぼくと同じM大学に入ったそうです。」 「その先輩は、今、どうしてるんですか?」 「村に帰って、役場の企画課長をしてますよ。」 「村って、クマの村ですよね。……っていうと、クマにもどっているわけなのね。」 「そう。なかなかがんばっている村ですよ。ぼくも行ったことがあるんです。サケが獲れるんですよ、くまのはた村は。来年の春にでも、ゲンジさんといっしょに出かけたらどうですか? 春は、サクラマスの漁がありますから。これがまた、おいしいんですよ。」 「そうですねえ。息子もいっしょにいけるといいな。」 「こんばんわぁ」 入口のドアが開いて、若い女性が入ってきた。 「ああ、ヨウコさん、いらっしゃい。ゲンジさんの奥さん、もうみえてますよ。」 佐々木さんに声をかけられた女性は、サチコさんを見て、ニッコリ笑って頭を下げた。 「サチコさん、この人が、くまのたいら村出身の、春山ヨウコさん。八王子で小学校の教員をしている人です。このあいだ、クラスの子どもたちを連れて、くまのたいら村に行ってきたんですよ。」 サチコさんは、ほんの少し緊張した顔で、ほんの少しの間、ヨウコ先生を見つめた。 「……こんばんわ。あの、猪熊ゲンジの連れ合いのサチコです。あの、あなたも、クマの人なんですね?」 「ええ。ゲンジさんには、東京に出てきてから、とってもお世話になってます。私、大学まで秋田にいたんで、わからないことばかりだったから。ここの、あるぽらんがクマネットの連絡所になっているんで、よくここで相談に乗ってもらったんです。」 「ええと、じゃあ、あなたも、もうずっと人間になったままなんですか。」 ヨウコ先生は、佐々木さんからグラスを受け取りながら、笑って答えた。 「ウフッ。学校が冬休みの間は、くまのたいら村に帰って、冬ごもりするんです。それでリフレッシュできるんだけど、ゲンジさんは、働きづめでしたから、ほんとに疲れたんですね。」 「もっと早く教えてくれればよかったのに、あの人、何も言わないんだから……。」 下を向いたサチコさんに、佐々木さんが陶製のカップを出しながら言った。 「すいませんね。でも、体の具合が悪くなったから、やっとカミングアウトできたんですよ。人間が、人間だっていうのは簡単だけど、クマが、クマだって言うのって、すごくタイミングがむずかしいんですから。」 「そうね、今だからよかったんですね。結婚したばかりのときだったら、私、信じないで笑っているか、逃げ出していたわ。」 「さあ、乾杯しましょう。きょうは、岩手のクマネットの酒屋から、『月の輪』の純米吟醸が届いたんですよ。」 佐々木さんが一升瓶の封を開けた。 「わあ、久しぶりだわ。」 ヨウコ先生が、懐かしそうに、瓶のラベルを見つめた。 「さあ、乾杯しましょう。ゲンジさんの健康のために!」 佐々木さんの声で、3つのカップがカチリと音を立てた。ホームに停まる電車のブレーキの音が、窓の外から聞こえてきた。あるぽらんの夜は、まだ始まったばかりだった。 「月の輪」は、クマが作った、まじめでおいしい酒です。あるぽらんにおいでの際、「月の輪、あります?」とお尋ねください。それがクマネットの仲間の合言葉です。 あるぽらん……中央線阿佐ヶ谷駅北口徒歩少し。 п@03−3330−8341 2004年秋、あるぽらんに、くまのたいら村の人が訪ねてきました。ところが、そのときすでに「月の輪」がなくなっていて、飲めなかったとのこと。すみませんでした。 2005年2月末、新たに「月の輪」があるぽらんに入荷しました。なるべく早めにおこしください。 くまのたいら村ホームページのトップにもどる 「クマさんの鉄道と環境の民俗学」のトップにもどる |