「あけぼの」の未来は

        東北の未来


  
 奥羽本線を迂回した寝台特急「あけぼの」。 2011.8.12 神宮寺―刈和野
 今年の8月10日から12日まで、寝台特急「あけぼの」が東北・北上・奥羽本線経由で運転された。
 これは、上越線が豪雨のために不通になっていたため、お盆の帰省客の便を図るために、運休していた「あけぼの」を3日間だけ臨時迂回運行したものだ。
 昔なら、不通になったその日のうちに迂回ダイヤが設定され、運休することはほとんどなかったのだが、今は平気で運休してしまうのだから、困ったものだ。今は新幹線や飛行機、高速バスなどの代替交通機関があるのだが、そもそも迂回運転に対応できる設備や車両、人員がいないから運休させているのではないか。さすがにお盆のピークには、他の列車やバスも混雑するため、3日間限定の迂回運行を決めたのだろう。おかげでぼくは久しぶりに、DLが牽引する「あけぼの」の写真を撮ることができたのだが。

 36年ぶりの雄姿
 8月12日の早朝、自宅から車で1時間半をかけて、奥羽本線神宮寺―刈和野の撮影ポイントへ。穂が出て花が咲き始めた稲田の向こうに、ストレートの複線が伸びている。手前は「こまち」用の広軌、向こうは狭軌と広軌の共用区間だ。
 6時半過ぎ、2灯のヘッドライトが見えた。701系ではない、ディーゼル機関車のライトである。重連のDE10に牽かれて、青い空の下、青い寝台車の列が、青田の中を突き抜けて行く。ぼくにとっては36年ぶりの、奥羽南線を走る「あけぼの」の雄姿だった。

 秋田駅の華だった
 寝台特急「あけぼの」の誕生は1970年。ぼくが高校生で、東北に撮影旅行に通っていた頃だ。
 1972年に秋田大学に入学したとき、「あけぼの」は「日本海」と並ぶ秋田駅の華だった。共に下り列車はDD51が20系を牽引して秋田駅に到着するのだが、「日本海」が羽越本線からまっすぐに入線するのに対して、「あけぼの」は奥羽本線からポイントを何度も渡って悠然と到着するので魅力的だった。キハ82系のディーゼル特急「白鳥」、キハ181系の「つばさ」、そして鼻が目立つキハ81系の「いなほ」がいた時代である。
 1972年10月の羽越電化で、DD51の特急は「あけぼの」だけ、ディーゼル特急は「つばさ」だけになり、ぼくは秋田以南の、いわゆる奥羽南線によく撮影に出かけるようになった。ただ、秋田の近くでは、朝の下り列車は半逆光か逆光になるため、「あけぼの」はなかなかうまく撮れなかった。たまたま、直線コースで編成全体を入れた写真が1枚あり、これがぼくのDD51牽引「あけぼの」のベストショットになっている。
  
    DD51が20系を牽いていた時代。  1973年4月  羽後境―大張野
 奥羽南線での隠れたスターは、特急「あおば」。キハ181系「つばさ」の運用間合いを利用して、基本編成だけに仙台出張をさせた、食堂車つきのローカル特急である。ぼくは「あおば」は北上線でたくさん撮っているが、奥羽南線でも、カーブでススキの向こうから顔を出した「あおば」を正面から撮っていて、これが自分ではとても気に入っている。
 奥羽南線には客車を牽くDD51がよく似合っていた。「津軽」も「つばさ51号」も普通列車も貨物列車も、DD51が牽いていた。山形―秋田間の電化工事のポール建植に追い立てられるように、ぼくは奥羽南線に通っていた。
 1975年12月の奥羽南線電化で、「あけぼの」はED75牽引に、「つばさ」は485系になり、何と「あおば」はキハ58系の急行に格下げされてしまった。ぼくはこのあと翌年3月に卒業して秋田を去るまで、奥羽南線の撮影には出かけていない。

 「あけぼの」の流転
 長らく奥羽本線の寝台特急として運転されてきた「あけぼの」は、最盛期は3往復もあった。しかし、1988年に2往復となり、1990年には山形新幹線の工事にともない、1往復は陸羽東線経由に、1往復は上越・羽越線経由となって、そっちは名前も「鳥海」と変えられてしまった。そして1997年の秋田新幹線開業で、上越・羽越線回りの「鳥海」を「あけぼの」と改名、陸羽東線・奥羽南線経由の「あけぼの」は廃止されてしまった。このときぼくは、「羽越線回りだなんて『あけぼの』じゃない!」と叫んだのだが、秋田―青森間だけはこれまで通り奥羽北線を走っているので、「あけぼの」の命脈はかろうじて保たれていると言えよう。
 しかし、羽越本線を通るということは、風の影響を受けるということで、運休することが多くなった。特に「いなほ」の転覆事故以降、徐行や抑止による大幅な遅延や、低気圧接近時の「事前運休」が目立つ。だから冬場の「あけぼの」は当てにならないのである。

 「あけぼの」の利用者になった
 ぼくが初めて「あけぼの」に乗車したのは、実は今から6年前のこと。学生時代は周遊券で急行自由席しか利用せず、初めて特急に乗ったのは、大学4年生の秋に教員採用試験を受けるために東京に出たとき、というエコノミー派なのだが、さすがに就職してからは特急や新幹線をふつうに利用していた。(もっとも、急行がなくなったせいもあるのだが。)
 それでも、寝台車には、グループ旅行でしかたなく乗るときしかなかった。理由は簡単。寝台料金が高いからである。寝台を使うなら、新幹線で行ってビジネスホテルに泊まったほうがよく寝られるからである。
 そのぼくが「あけぼの」をしばしば利用するようになったのは、東京から秋田内陸縦貫鉄道のサポーターとして通うようになってからだ。東京から秋田へは、航空機と対抗するためか、割引切符が設定され、しかも、同じ値段で「あけぼの」も利用できることを知ったからである。

 まだEF81が牽いていた頃。
         2007.11.1 上野

 個室の上段でおいしいビールを。

 「青森」の表示がうれしい13番ホーム。
            2009.3.17

  記念写真を撮る人たちも。このあと、私がツーショットを撮って差し上げました。        2009.3.17

 「あけぼの」は人気者だった
 「あけぼの」を利用しようとして、「あけぼの」が人気者であることを知った。特に金曜日のB個室はほぼ満員となる。初めてのときは鷹ノ巣から上り列車の開放型B寝台上段を使ったのだが、これがなかなか寝られない。同じブロックの客に気を使うせいもあるが、単線区間の多い奥羽・羽越線内では、駅を通過するたびにポイントで横に振られる。これがB寝台だと身体を縦に振られることになり、眠れないのだ。結局、熟睡したのは信越本線の複線区間に入ってからだった。
 月に一度は秋田に通っていたぼくは、1ヶ月前に次の日程を決めて、金曜日の夜の下りB個室をとることができた。心を弾ませて13番線に向かうと、まだ入線前なのに、何やら人がたくさんウロウロしている。この人たちはみんな、カメラを提げた鉄道ファンだった。
 寝台特急の中でも、「あけぼの」は「北陸」(すでに廃止)と並ぶ「絶滅危惧種」として知られているのだが、毎日走る定期列車なのに、夜の9時過ぎに20人ものファンがホームにいるなんて、びっくり。こっちの面でも「あけぼの」は人気者だったのである。

 狭いながらも楽しい我が家
   
   牽引機がEF64に変わり、また注目された。 2009.3.17  上野
 B個室は実に快適だった。上段の個室はベッドを作ると入口のドアが窮屈で、167センチ、67キロの私でも折り戸をすり抜けるようにしなければ出入りできないのだが、窓は広いし位置が高いし、好きなときに電気を点けたり消したりできるのがありがたい。それに寝台がレールと並行に向いているので、揺れも気にならない。まったく楽しい空間なのである。
 2009年から、上野―長岡間の牽引機がEF81からEF64に替わり、上野駅13番線の先頭には以前にも増してたくさんの「鉄」が集結した。利用者にとっては、発車時刻が30分も繰り上がり、到着時刻は同じ(長岡で長時間停車している)というサービス低下なのだが、それでも、夜明けの日本海を眺めての旅は楽しかった。
 しかし、喜びはそう長くは続かなかった。東北新幹線新青森開業に合わせた切符の改変で、「あけぼの」も利用できた「秋田大館フリーきっぷ」は廃止され、乗車券だけの「北東北・函館フリー乗車券」になってしまった。すなわち、「あけぼの」に乗るためには特急券のほかに寝台券も買わなければならなくなったのである。
 だが、4月から秋田県民となったぼくには、別の特典が残されている。それは、「あけぼの」についている「ゴロンとシート」で東京を往復できる割引切符で、値段は1万6千円。試しに一度使ってみようと思っているのだが、まだその機会はやってこない。

 なくなったら困る
 この「あけぼの」、さっきも書いたが、乗車率は意外に高い。特に週末は、B個室と「ゴロンと」は満員、開放型B寝台も高乗車率ということが結構ある。鷹巣在住の私の友人は、東京出張によく「あけぼの」を利用している。行きも「あけぼの」、帰りも「あけぼの」ということも多いそうだ。東京での有効滞在時間がとても長く取れるからである。この友人は、「あけぼのが廃止になったら困るよ!」と、ダイヤ改正の度に心配している。
 実際、24系寝台車に乗ると、寄る年波を感じてしまう。木のテーブルは擦り切れているし、スイッチも前時代的だ。車内放送のオルゴールは国鉄時代からの「ハイケンスのセレナーデ」で、これはうれしいのだが、新しい寝台車を造らないと車両の寿命で列車が廃止、という事態になりかねない。

  電光掲示でも孤高の存在感。
       2010.4.2   

  個室上段。狭いながらも楽しい「我が家」。
 
 姿が変わってもいいから
 客車での新型化が難しければ、「サンライズ」のような寝台電車にすればいいと思う。電車なら、臨時列車や団体列車用に生き残っている583系の代替にもなるだろうに。「いや、機関車牽引のブルートレインだから価値がある」と言うファンも多いと思うが、利用する側としては、とにかくスジが残ってもらいたいのである。
 寝台電車の新製にはお金がかかる。それなら、自主制作映画の協力券のように、ファンや利用者から資金を集めて、その代わり割引料金で利用できる、というような方法でもいいのではないか。
 「あけぼの」の未来は利用者と鉄道ファンの動向にかかっているといっても過言ではないだろう。「あけぼの」の未来は東北の未来。ぼくはそんな気持ちになっているのである。

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