「四八豪雪」の日々 

   
   雪に挑むDD14形ロータリー。  1973.1.24 奥羽本線 飯詰―大曲

 今年、2010年から2011年にかけての冬は、記録的な豪雪となった。あちこちで列車が止まり、道路も塞がれたニュースを見て、ぼくは1973年(昭和48年)から1974年にかけての、秋田の豪雪を思い出した。
 全国的には、1963年(昭和38年)1月から2月にかけての「三八豪雪」や、1980年から81年にかけての「五六豪雪」などが知られているが、秋田県では、必ず話題に上るのが「四八豪雪」である。

 11月の初雪が根雪になった
 1973年、ぼくが秋田大学2年生の冬は、突然やって来た。
 秋田での初雪は11月18日。前年よりも3日遅い初雪だったが、この雪が降り続き、内陸部ではそのまま春まで解けない根雪になってしまった。まだ除雪用のディーゼル機関車の冬装備ができていなかったため、奥羽本線新庄―院内間にはC58がキ100形を推進するラッセル車が何度も出動した。12月10日に院内駅でこのラッセルの写真を撮ったときの話は連載の21号でも紹介したが、その「SLラッセル」はこの年の豪雪の、ほんの序章に過ぎなかった。
   
         待機するキ100形ラッセル車。    奥羽本線 大曲

 九州旅行
 北国の大学の冬休みは長い。ぼくは1974年になった1月2日の夜、上野から長岡行きの夜行普通列車733Mで、長い撮影旅行に出発した。
 3日は上越線の越後中里で撮影、その日から十日町近郊にある大学の友人Y君の実家に世話になった。雪深い里だが、列車もバスも動いていて、「これがふつうの雪国だ」と、正月料理をごちそうになり、裏山で生まれて初めてスキーを楽しんだ。
 6日朝、友人の家を出て、再び上越線の撮影。そして夕刻、長岡で九州周遊券を買い、糸魚川から大阪行きの夜行急行「立山3号」に。7日は京都で市電や京阪などを撮り、宇治市にある大学鉄研先輩O氏の家へ。翌8日は早朝から、東海道本線神足―山崎間で、EF58牽引のブルートレイン(向日町までの回送列車)を撮影、梅小路蒸気機関車館にも寄った。
 そして九州である。京都から長崎行きの「雲仙2号」に乗り、九州では田川線、鹿児島本線、日豊本線、高森線などを回った。九州は暖かいと思っていたら、鹿児島で氷点下の寒さに遭ってびっくり。そのころ、秋田では雪が降り続いていたわけである。
 1月18日に東京の実家に戻り、フィルム現像をして、20日の上越線の夜行急行「佐渡4号」で秋田へ向かったのだが、この「佐渡4号」が車両故障を起こし、後閑で後続の普通733Mに乗り換えさせられた。115系の車内は寒く、窓ガラスは凍てついていた。
 19日は米坂線で米沢に出て、奥羽本線の急行「おが1号」で秋田へ。大学の授業は21日から始まった。

 DD14ロータリー
   
 それにしても、前の年とはまったく違う雪の量である。先に秋田に戻っていた鉄研のO氏からさっそく情報がもたらされた。奥羽南線にDD14のロータリーが出動すると言う。去年は一度も出動がなかったのに、今年はすでに大曲の積雪が160cmに達し、19日にもDD14が出動したと言うのだ。
 1月25日、秋田大学鉄研の仲間4人(授業を休める者だけ)は、万全の装備(カンジキ、コンロ、食料持参)で、運転規制が敷かれて列車本数が減っている奥羽南線に向かった。雪が深いので撮影場所は限定される。この日は横手―秋田間の運転なので、大曲駅から飯詰方にしばらく歩いた地点がポイント。ロータリーのウイングは広いので、線路から十分な距離を開けて足元の雪を踏み固め、ロータリー(特雪691列車)を待った。
 激しい雪の向こうから、ウイングを広げたDD14が雪を吹き飛ばしながら近づいてきた。速度は時速10kmも出ていないだろう。初めて目にしたDD14ロータリーは、雪に押しつぶされそうなレールを必死で守ろうとして、厳しい闘いに挑んでいた。シャッターを押したぼくたちは、畏敬の念すら覚えながら、乗務員に向かって手を挙げた。

 秋田県内、全面不通
 翌1月26日の朝、寮を出て大学に向かったぼくは、前の日よりも自分の目の位置が高いことに気がついた。深い雪に足を取られながら、いつもの秋田―秋田操間の踏切に着くと、線路が見えない。足で掘ってみても、レールにたどり着くことができなかった。
 この日の未明の雪は、秋田県内の線路を埋め尽くしてしまった。秋田鉄道管理局では、開局以来初めての「第5次運転規制」(通勤通学列車以外はすべて運休して除雪に全力を挙げる)を敷いたのだが、その通勤通学列車も、動かすことはできなかった。

 雪との闘いの果て
   
  DD51からスチームの湯気が立ち上る。 1973.1. 奥羽本線 大曲
 この日に至るまでの雪の状況を、秋田大学鉄研の機関誌にまとめていたので、それを紐解いてみよう。
 1月10日から11日にかけて、県南でドカ雪。北上線、田沢湖線が一時不通。401列車「津軽1号」は110遅れ。
 16日は風雪。ラッセル車が除雪してできた雪の壁に吹きだまりができ、奥羽本線2046列車(DD511牽引)が夕刻に神宮寺駅場内信号で停止している間に雪に埋まり、23時過ぎまで立往生。このため上り2002列車「あけぼの1号」、2004列車「あけぼの2号」は羽越・陸西を迂回した。五能線は風波のため、断続的に不通が続いた。
 18日夜は青森がドカ雪で第3次運転規制。21日は関東地方の雪のため東北本線栗橋―古河間で架線が切断。奥羽本線も風雪で、401列車が4時間遅れ、1001、1003列車は9時間遅れた。
 24日は8002列車「つばさ51号」が神宮寺―刈和野間で吹きだまりに突っ込み、5時間不通。このため11D「あおば」、711D、714D「千秋」も運休。支線区でも吹きだまりに突っ込む事故が続発。陸羽東線、西線ではモーターカーラッセルが吹きだまりに突っ込んだ。奥羽北線では矢立峠で下り貨物が吹きだまりに突っ込み、下り線が7時間不通。
 ぼくたちがロータリーの写真を撮った1月25日には、特急・急行が9本運休するなど、秋田県内の鉄道は青息吐息だった。そして26日には県内全域が雪に埋もれたのである。この日午前9時現在の積雪は、秋田88cm、横手199cm、鷹巣112cm。数日後、秋田ではこの冬の最深積雪117cmを記録した。県南の横手、湯沢などでは2mを越えた。

 8本の優等列車が立往生
 1月26日に立往生した奥羽・羽越本線の優等列車は8本。そのうち、401、801、4001列車は当日夜までに秋田に到着した(801の乗客はバス輸送)が、1001は大曲で、403、1003は横手で、4002Mは土崎で、504Dは森岳で、乗客を乗せたまま一夜を明かした。この日は東能代から秋田に向かったキ100+ED75も、羽後飯塚で脱線してしまった。
 26、27日は県内の鉄道は完全に止まった。DD14ロータリー4両を始め、ラッセル車や人海戦術で除雪に当たった結果、28日に日本海縦貫線と男鹿、阿仁合、矢島、五能の各線が開通した。奥羽南線の開通は1月30日、田沢湖線は2月2日、そして北上線は2月4日にやっと開通した。
 2月中旬には寒気も緩み、次第に積雪は少なくなった。しかし、秋田操車場などはまだ雪に埋もれたままで、貨物の滞貨解消には春先までかかった。
 4月に入り、田んぼの雪もようやく解け始め、黒い土が、やっと香りを放つようになった。だが、除雪作業で積み上げられた雪の山は、秋田大学の構内でも、4月末まで残っていた。
 この冬の豪雪は、ぼくたちにたくさんの被写体を提供してくれたが、それ以上に、雪国の厳しい冬の実相を、東京生まれのぼくに突きつけた。アルバイト先の秋田放送報道部にいるときも、雪の被害のニュースが次々に入り、記者たちが緊迫した顔で走り回っていたことを思い出す。
   
   線路の両側は雪の壁になった。  1973.2.  奥羽本線 峰吉川―羽後境

 五六豪雪にも遭遇した
 1976年に秋田大学を卒業したぼくは、東京都八王子市に職と住まいを得たのだが、1980年から1981年にかけての「五六豪雪」にも、遭遇することになった。1年間かけて新潟県内の鉄道の姿をまとめようと、八高線、上越線を利用して通っていたその冬が、「四八豪雪」以来のたいへんな冬になったのだ。
 12月末、信越本線高田駅近くのホテルを拠点に撮影に出かけていたとき、富山県内のドカ雪で北陸本線がストップしてしまった。親不知まで乗った普通列車は、その先、富山に行き着けず、ぼくはしばらく待って直江津行きの下り列車に乗ったが、その列車も機関車が故障して大幅に遅れ、帰り着けないのではないかと気を揉んだ。
 1月に上越線に出かけたときは、あまりの雪の量に圧倒された。大沢付近で撮影したのだが、雪で視界が利かず、線路はまるですり鉢の底。疾走して来る「とき」や「いなほ」を撮りながらも、こんな雪の中で列車が走っていること自体が驚きだった。
  
                    1981.1.6   上越線 石打―大沢
 今年、2010年から11年の冬も記録的な豪雪となった。各地で鉄道の不通が伝えられているが、ぼくには少しの違和感がある。上越新幹線の開業以来、上越在来線が雪で止まることが多くなったような気がする。日本海縦貫線でも、「日本海」や「あけぼの」は低気圧が接近すると、あらかじめ運休してしまう。事故や不通が起きる前の予防と言えばそうなのだが、かつてのような、「何としても鉄路を守り抜く」という姿勢があまり感じられない。列車が止まっても生活ができる世の中になったとすれば、それは寂しい時代の流れなのだが。

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